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子供への暴力表現があります。


ノクス様の昔の話は続く。


「そうやって過ごしていた五歳頃に、突然父から別館ではなく城で過ごすようにと言われました。父ともその時まで会ったことはなかったのですが、あまり私には似ていない人でした。五歳になると貴族の子供はさまざまな勉強や社交を始めます。それに合わせて次期当主としての教育を施すため、私は別館からこの城へと移り住むことになりました。


その頃には、ある程度自分で傷の手当てができるようになっていました。住んでいた部屋には薬草の本や怪我の手当について書かれたものもありましたし、夜中になれば部屋から抜け出してもあまり気づかれませんでした。最初は失敗して悪化させることもありましたが、五歳の頃にはどうにか適切な処置ができるようになりました。ですが、残ってしまった傷跡は見られないように、私の世話係になったノーラにも着替えや風呂の世話を任せることはしませんでした。基本的に何でも自分でこなせるように生きていたので、それに問題はなかったのです」


ノクス様は淡々と語り続ける。


「別館にいる母とは離れ、それ以降は暴力にさらされることはありませんでした。ですが、その代わりに待っていたのは、私が勉強においてことのほか優秀であると気づいた父が、自分の仕事を全て私に丸投げするようになったことでした。膨大な数の学習と当主としての業務に追われる日々が始まったのです。でも祖父の家臣たちもいましたし、どうにかそれをこなして過ごしていました」


ノクスの瞳に、微かに影が落ちる。


「ですが、梅雨の時期、雨が多くなると、普段は別館にいるはずの母が、なぜか私のもとに現れるようになりました。当時の城には父や母の子飼いの使用人も多くいましたから、祖父の家臣たちに見られないよう、ちょうど私が一人でいる時間を狙うことができたのでしょう。そしてやってきた母は、以前よりもやつれた様子でした。おそらく、私というストレスのはけ口を失ったことで精神の均衡を崩していたのかもしれません。わざわざ城までやってきては、かつて別館でしていたように錯乱しながら私を殴りつけました。私は誰にも知られないように、別館で過ごしていた時と同じように、ただひたすら耐えていました。私が我慢すれば、すべてが丸く収まるのだと思っていました」


淡々と話しながら、ノクス様は少しだけ息を吐く。


「ある時から、母は鞭を持ってくるようになりました。何でも、外で見た見世物で動物に鞭を打つ場面を見たそうで、『化け物を痛めつけるには最適だ』と言いながら、私に鞭を打つようになったのです。その鞭は母のお気に入りになり、それからはほとんど鞭による暴力が主になりました。梅雨の時期になると、母は鞭を振るい、父の代わりに私は膨大な仕事をこなす——そんな日々を過ごしました」


静かな雨音が、部屋に響く。


「母が梅雨の時期に精神を不安定にしたのは、私の誕生日が近いことも関係していたようです。鞭を打ちながら、母は『化け物を産んでしまった日がまた来る』と呟いていたのを覚えています。母はよくこうも言っていました」


ノクス様は言葉を区切り、低く続ける。


「『お前のような出来損ないの化け物は、生きているだけで罪なのだから、せめて国や領地、そして私やお前の父のために、身を粉にして尽くせ』と」


ノクス様は当然のように言った。


「だから、私はひたすら仕事をこなし、母の暴力にも耐えました。私のような化け物には、それしか価値がないのですから」


その言葉を聞いた瞬間、私の目から涙がこぼれ落ちた。



◇ ◇ ◇



私の目から次々と溢れる涙に、困惑したようにノクス様は握っていた手を片方解いて、そっと私の目元を拭ってくれる。


「なぜ、泣くのでしょう?」


ノクス様は本当にわからないといった様子で、静かに問いかけた。

その表情に、私はますます涙が止まらなくなる。


「あなたが、ひどく悲しく辛い孤独な時期を過ごしてきたことに……当時のあなたを助けてあげられないことが悲しくて……」


泣き続けながらそう告げると、ノクス様は少し困惑したように瞬きをした。




「……まだ、傷跡は残っていますか?」


私の問いに、ノクス様は少し迷ったように視線を落とした後、静かに頷いた。そして、躊躇いがちに服を脱ぎ、その背中を見せる。


そこには、夥しい数の無数の鞭の跡が刻まれていた。肌に深く刻まれた暴力の痕。淡く、しかし消えることのない痛ましい印。


ノクス様はいつも服の下にインナーを着込んでいた。それが、この傷跡を周囲の目から隠すためだったのだと、今になって理解した。


「……触ってもいいですか?」


私の問いかけに、ノクス様は静かに頷いた。そっと指先を触れると、ぼこぼことした傷の感触が伝わる。何年も前のものなのに、まだそこにある痛みが、彼の過去を物語っていた。


私は光系統の癒しの魔法を発動させる。淡い光が傷跡に吸い込まれるように広がるが、完全に消えることはなかった。少し薄くなっただけで、深く刻まれた古い傷は癒えない。


「……」


それが、ひどく悔しくて、私はまた涙をこぼした。


すると、ノクス様がポツリと言葉を落とす。


「雨の日は……雨音に乗って、母の罵る声が聞こえる気がするのです。それと、この塞がったはずの傷跡が、なぜか痛むような気がして……だから、気分が悪くなるのでしょう」


彼の声は淡々としていた。


「でも、それを誰にも言ったことはありません。母の行いやこの傷跡は隠していましたし、幼い頃から感情を表に出さないように注意して生きてきましたから。……誰も気づかなかった。だから、アイリスが私の不調に気づいたのは驚きました」


ノクス様は穏やかに、しかし静かに言った。


「あなたはやっぱり不思議な方です」


その言葉を聞いて、私は涙をこぼしながら彼と目を合わせた。


「あなたは化け物なんかじゃないわ。そして何も悪くないの。ただ黒髪だからといって、呪われてなんかもいないわ。……呪いだというのなら、それはあなたが今まで受けてきた暴力や暴言、不当で理不尽な数々こそ、人間の醜い呪いでしょう」


ノクス様の金色の瞳が、わずかに揺れる。


「当時のあなたは、感情を殺し、従順に暴力に耐えることで自分を保ってきたのかもしれない。でも、私の前ではどうか隠さないで。どんなあなたでも、私は愛すると誓うわ。苦しい時や悲しい時、辛い時には言ってほしい。……あなたの受けた数々の苦しみのすべてを、私はわかってあげることはできない。でも、一緒にいることはできるはずだから。どうか、孤独のままでいないでほしい」


 私は震える声で、最後にもう一度言った。


「ノクス様……あなたを愛しているわ」


そう言って、私は立ち上がって、目の前で座っている彼を抱きしめた。


ノクス様は戸惑ったように動きを止めたが、おずおずと手を伸ばし、そっと私の背中を抱きしめ返す。

その優しさに、また涙が溢れて止まらなくなる。


そんな私に気づいたノクス様は、ぎこちなくも、オロオロとした様子で抱きしめながら慰めてくれた。


そんな彼の姿を見て、私は心に固く誓った。


この優しすぎる人を、私が絶対に幸せにすると。


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