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子供への暴力表現があります。


ノクス様は、私が両手で包み込むように握った自分の手を見つめていた。指先がわずかに動き、ほんのかすかに握り返される。その手は驚くほど冷たくて、まるで長い間温もりから遠ざかっていたかのようだった。


私はその冷たさが少しでも和らぐように、ぎゅっと握る力を込める。そして、そのまま彼の前にしゃがみ込み、彼の顔を見上げた。


彼の美しい金色の瞳が揺れている。


「だから最近、雨の日は体調が悪そうだったんですね?」


私の問いかけに、ノクス様はわずかに目を見開いた。意外だったのか、反応が一瞬遅れる。


「……気づいていたんですか?」


その問いに、私は微笑んで答える。


「当たり前でしょう?」


ノクス様はその返事を聞いて、ふっと苦笑する。


「今まで誰にも気づかれたことはなかったのですが……あなたはやっぱり不思議な方ですね」


「あら、周りはその無表情の美しいお顔で騙せても、私は騙されませんからね?それに、最近の私の関心ごとは、もっぱらあなたの雨の日の様子です。無理やり何かから逃げるように仕事に没頭して、顔色は悪いし、少しやつれて見えるし、とても見ていられませんでしたわ」


彼は何も言わず、ただじっと私を見つめていた。私はさらに言葉を紡ぐ。


「この梅雨の時期は、あなたの誕生日が近いですね。あなた自身、誕生日についてもあまり良い感情を持っていないようでした。だから、過去に何かあったのかと思って……聞くのをためらっていました。でも、ずっと心配していたんですよ?」


ノクス様の表情にわずかな変化があった。動揺と、戸惑い。そして、ほんの少しの不安。


「この梅雨の時期、それに雨の日……過去にあなたのお母様が珍しく別館ではなく、この城で見掛けられていたと聞きました。昔、この時期、それも雨の日に何かあったんですか?」


彼の瞳に、わずかに陰りが落ちる。


沈黙の中で、雨の音だけが静かに響いていた。



◇ ◇ ◇



少しの間、私たちの間には沈黙が流れていた。雨音だけが部屋にこだましている。


ノクス様が話してくれるのを、私はひたすら待っていた。


彼は何度か躊躇するように口を開いては閉じる。そして、しばらくした後に何か決心したように、しかし声色はやけに淡々と、まるで感情を押し殺したかのような声音で話し出した。


「私の母は、この辺境伯家でも黒髪でなかった父の妻として、この領地にやってきました。黒髪でなければ、王家の血を持つ妻は必要ありません。なので、母は古い歴史のある王家と血のつながりのない伯爵家の令嬢でした。母の家は家柄と歴史こそあったものの、先代の事業が失敗し、莫大な借金を抱えていました。そこに目をつけた私の祖父が縁談を持ちかけたのです。母の父、つまり私の母方の祖父は、辺境伯家に娘をやる代わりに、その借金の肩代わりを条件に結婚を了承し、母はまるで売られるようにこの地に輿入れしたのだそうです」


彼の母親の人生が決して幸福なものではなかったことは窺えたが、これも良くある話だった。


「黒髪が生まれる呪われた辺境伯家とはいえ、父は黒髪ではなく、母もどうにかなると思っていたようです。実際、父は私の祖母に甘やかされて育ったせいか、自由奔放で好き勝手に遊び暮らす人でした。それもあって、夫婦仲は最初からあまり良くなく、義務としての付き合い程度しかなかった。そんな母に、子供ができます。つまり、私なわけですが——生まれた子供は、黒髪でした」


そこでノクス様は一度言葉を切った。彼の指先に、微かに力がこもる。

私は彼の手をそっと握り返した。


「それを見た母は、酷く錯乱したそうです。『こんな悍ましい化け物を産んでしまうなんて』と。元々冷めた夫婦仲だった両親は、それを機により疎遠になりました。そして、母は人目を避けるように別館へ移り住み、別館の書斎だった部屋に私を閉じ込めました。そこは母の部屋から一番遠い場所にある部屋でした。最低限の世話だけをさせ、自分は関わりたくないと、見向きもしませんでした」


私は彼の言葉を静かに受け止めながら、考えた。


(あの、立て直される前の別館の、ノエルがいた書斎のような部屋。あれは、元々ノクス様が幼少期に過ごしていた場所だったのね……)


ノクス様は続けた。


「見向きもしない母でしたから、私は使用人たちに最低限の世話をされながら育ちました。初めて母に会ったのは、ちょうどノエルと同じくらいだったでしょうか。使用人たちは母と同じように私の黒髪を毛嫌いし、気持ち悪い、穢らわしいと罵りながら、義務的に食事と世話をするだけでした。

ある時、使用人の一人が二日ほど食事を届けるのを忘れたのか、私は空腹に耐えきれず、部屋の外に出てしまいました。本当は決して出てはいけないと教えられていましたが、それでも、どうしても耐えられなかったのです。その時、ちょうど帰宅したばかりの母に遭遇しました。母は、美しく着飾り、楽しげにしていましたが、私を見つけた瞬間、鬼のような形相に変わりました。そして、私を罵り始めたのです」


ノクス様は一瞬、言葉を区切った。

私はそっと彼の手を握り直す。彼の手はまだ冷たいままだ。


「あまりの怒鳴りように、私は一歩も動けませんでした。すると母は、手に持っていた扇子を振りかざし、私を打ちました。その衝撃で倒れ、その後の記憶はあまり残っていません。ただ、おそらく母はその後もしばらく私を打ち続けたのでしょう。満足したのか、やがて母は戻っていきました。私は使用人によって部屋へと戻されましたが、身体には無数の傷が残っていました」


私は息を呑んだ。


「それから母は、時折私の部屋へ足を運ぶようになりました。その日は決まって雨の日でした。外に出られないから、部屋に閉じこもっていると私の存在を思い出し、不安定になるのだと使用人たちは噂していました。そして……母にとって、私を痛めつけることは、ストレス発散になったのでしょう。自分の汚点である私を痛めつけることで、心を保とうとしていたのかもしれません」


ノクス様の声は、あくまで淡々としていた。


「母は、よく私を物で殴ったり、蹴り上げたりしました。最初のうちは泣いてやめてくれと懇願していましたが、そうすると母の怒りはさらに激しくなりました。だから、私はじっと黙って、母が興味を失うまで待つことにしたのです。そうすれば、多少は早く終わることもありました」


私は言葉を失った。

ただ、彼の冷たい手を握ることしかできない。


「おかげで身体中傷だらけになり、全身が痛む日々を過ごしました。でも……私は丈夫だったようで、死ぬことはありませんでした」


あまりにも淡々と語られるその言葉に、胸が締めつけられる。まるで、他人の人生を語るようなその話し方に、私はどうしようもなく悲しくなった。


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