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「そういえば……」


ぽつりと呟いたノーラは、ゆっくりと思い出すように続けた。


「ノクス坊っちゃまのお母君が、時折城で見かけられることがありました」


「ノクス様のお母様が?」


私は思わず聞き返す。


「はい。ただ、それは毎年決まってこの時期……それも、雨の降る日だけでした」


その言葉に、ジェフリーも「ああ、確かに」と同意するように頷く。


「坊ちゃまのお母君は、雨の日には外出を控えられていたと聞いております。ドレスが汚れるのを嫌がっておられたのだとか」


ノーラは、当時別館を担当していた使用人から聞いた話を思い出しながらそう言った。


そこまで聞いて、私は考え込む。


雨の日には外出しないご婦人など珍しくはない。それ自体は、貴族の間では特に不思議なことではないだろう。


だが、居住区として別館を重視していたはずの彼の母が、なぜわざわざ城で目撃されるのか。



「ノクス様のお母様は、城で何をしていたのかしら?」


私は問いかけた。

ノーラは少し考えてから、申し訳なさそうに答えた。


「それが……よくわからないのです」


当時、城の家臣たちは仕事をせずに遊び呆ける当主、つまりノクス様の父親である先代の代わりに業務をこなし、皆それぞれが忙しかったのだという。当主は領地のことだけでなく、城の管理や様々な家臣たちへの指示出しも欠かせない。それがないとなると当然統率が取りきれず、当時のこの城は大変だっただろう。そのため、城内で起こる些細なことにまで気を配る余裕はなかった。


さらに、城の中にはノクス様の父や母の子飼いの使用人たちも存在していた。ジェフリーやノーラの目を盗み、何かをしていたとしても、気づくことは難しかっただろう。


「確かに……」


ジェフリーもうなずきながら言葉を継いだ。


「当時は、この城の中でさえ誰が味方で誰が敵かわからない状況でした。我々、先先代の家臣たちは、日々の業務とノクス坊ちゃんの教育を優先しており、全てを把握することはできなかったでしょう」


ジェフリーは続ける。


「教育といっても、坊ちゃんは年相応とはかけ離れた達観した子供でした。仕事のやり方や、次期当主として必要なことを教えることはありましたが、基本的に何でも自分でやってしまわれた。だから、家臣の手を借りることが少なく、結果として目が離れることも多かったのです」


私はその言葉を聞き、私の愛する旦那様が何でもできる人なのは、幼少期からその片鱗があったのだなと思った。



しかし、だからこそ――



ー雨の日の不調


ー梅雨になると引きこもりがちになるノクス様

 

ー雨の日に現れる母親



この三つが今回の重要な鍵になるのかもしれない。

私はそう確信を強めた。



◇ ◇ ◇



そんな風に、ノクス様について周りの者たちに聞いて彼のことを考えていた私だけれど、もちろん愛する息子のことも忘れてはいない。


今日の私の愛する息子であるノエルは、私の執務室で計算の勉強をしていた。


机の上には、子供用の計算のおもちゃ。それを熱心に使いながら、まるで遊ぶように学んでいる。そばには、レオの姿。


この前の誕生日で、ノエルはレオとノクス様の補佐官であるジェラール、この二人気とすっかり仲良くなっていた。その影響か、彼らが行っている事業や私たちの仕事に興味を持ったらしい。最近は色々と話を聞きたがり、何かと質問をしている。


今日も例に漏れず、近くで仕事をしているレオに向かって「これはどうしたらいいんだろう?」「なんでこーなるの?」と言いながら、試行錯誤していた。


「ここはこうするといいですよ、ノエル坊ちゃん」


レオは微笑みながら、ノエルの手元を見て助言する。その甲斐甲斐しい様子に、ノエルも真剣な表情を見せながらおもちゃに向き合う。


このおもちゃも、元々は私が「子供の勉強にもなるおもちゃがあったらいいわねぇ」と何気なく口にしたことがきっかけでレオが作った、我が商会の品の一つだった。自ら考案した品で遊ぶノエルの姿がよほど嬉しいのか、レオの目もどこか誇らしげだ。


「こうやると……あ、できた!」


小さな手で計算おもちゃを動かし、正解を導き出したノエルは、嬉しそうに顔を輝かせる。


「おお、なかなかやるじゃないですか!」


レオが感心したように頭を撫でると、ノエルは得意げに胸を張った。


私は執務机からその光景を眺めながら、微笑ましく思う。


(こっちの黒髪くんは、あっちの黒髪さんと違って、楽しそうで何よりねぇ)


執務に追われる日々の中、こうした穏やかな時間が何よりも愛おしく感じられた。



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