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雨が降っている。


ぽつぽつと静かに落ちていた雨粒が、やがて勢いを増し、窓硝子に細かな水の筋を作り始めた。木々の葉を打つ音、地面に跳ねる水飛沫、遠くで雷鳴のように響く厚い雲の唸り声——それらが重なり合い、この城を包み込む。


どこか心地よいこの雨の音を聞きながら、私は外の景色を眺めていた。


「梅雨が来たわね……」


この世界にも、前世でいう梅雨のような季節があるらしい。しばらくは、しとしとと続く雨の日々が続くことになるのだろう。外遊びが好きなノエルは退屈するかもしれないが、雨の日ならではの遊びを一緒に考えるのもまた楽しい。


(雨というのもまたそれはそれでいいわねぇ)


梅雨は嫌いではなかった。前世でも梅雨の季節はあったが、こちらの梅雨はあまりジメジメとしすぎていない。気候が違うのだろうか。雨音が心地よくて、私は結構この季節が好きなのだった。



ノエルの誕生日からしばらくが経ち、我が家は何事もなく穏やかな日々を過ごしていた。辺境伯家の領地は王都とは違い、貴族同士の面倒なマウント合戦とは無縁で、心地よい静けさがある。


(そもそも最近は学園にいた時期のほうが長いし、王都に懐かしさを感じることもないんだけれど)



最近の私の関心ごとは、もっぱら自らの愛する旦那様についてだった。


ノエルの誕生日の日、私がノクス様の誕生日について触れたときの彼の微妙な反応。あの違和感は、未だに拭えない。


ただ、その後の彼は変わらず、執務に追われながらも、たまに私やノエルと穏やかな時間を過ごし、最近はノエルに剣の稽古をつけてやることも増えてきた。領地の視察や国境の確認のために数日城を空けることもあり、その際には例のごとくフードを深く被って出かけていく。


(そういえば、視察にはホテルも活用してくれているわね)


初めて彼と出会った商業都市で買い取ったホテルのことを思い出した。その後のホテルには、私の前世の知識を活かして質の高いサービスを導入し、評判は上々だった。すでに領地内の主要都市に第二、第三のホテルが建設され、ノクス様の視察の折には拠点として使ってもらっている。



「どこかに温泉地とかないかしら?」


ふと、そんな考えが浮かぶ。温泉宿などあれば、旅の疲れを癒やすには最適だろう。前世の記憶の中にある温泉文化を導入できたら、ノクス様やノエルにも喜ばれるかもしれない。


(忙しいあの人には癒しの場所が多く必要だと思うんだけど……)


「……そういう場所、領地内にあるかしら?」


独り言のように呟くと、ちょうどそばで仕事をしていたレオが即座に反応した。


「温泉? 確かに寒冷地では貴重な資源だが、領地内には適した場所があるか……ちょっと調べてみようか?」


「ええ、お願い。もしあるなら、一度視察に行ってみたいわねぇ」


「あったらいいよな!!」


レオは少し楽しげな表情を浮かべながら、「ジェラールさんとかジェフリーさんなら何か知ってるかな…」と言い、部屋を出て行った。


色々とやることは多い。


(まぁ、優秀な側近も部下もいることだし、それはどうにかなるとして……)


そんな日々の中で、やはり一番気になるのは、私の愛する旦那様のことなのだと、改めて思うのだった。




雨の音は執務室の窓から変わらず静かに響いてくる。


しとしとと降り続く雨は、まるでこの空間だけを切り取ったように静寂を生み出していた。私は窓の外をぼんやりと眺めながら、ふと、最近の彼の様子を思い返す。



出会って数ヶ月が経った。最初は少し距離を感じていたものの、今ではあの可愛らしく美しい旦那様のことを私はすっかり気に入ってしまった。恋愛感情なのかどうかはよくわからない。でも、少なくとも特別な「好き」という感情が確かに芽生えている。


彼は優しい。無愛想に見えても、人を気遣う姿勢は尊敬できるし、誰にでも公平な態度を貫いている。高身長で鍛え上げられた体躯は見惚れるほどに格好良く、剣の腕も魔法の才能も申し分ない。


(ノエルを見にいくと言いつつ、ついつい目線でノクス様を追っちゃうのよねぇ)


そして何より最近、艶を増したように感じる黒髪が最高に似合う。その端正な容姿を拝める生活は、文句なしと言ってもいいだろう。


(ほんっとに私からしたら幸せ生活まっしぐら……前世で何かいいことしたのかしら?)


けれど、梅雨に入り雨の日が続くようになってから、彼は執務室にこもる時間が増えた。休みの日さえも、仕事をしていることが多くなった気がする。


彼の補佐官であるジェラールにそれとなく聞いてみると、彼は困ったように溜め息をついた。


「仕事の調整はしているのですが……いつの間にか、閣下が自ら持っていってしまうのです。全く……」


ジェラールだけでなく、執事長のジェフリーや家政婦長のノーラといった、幼い頃からの彼をよく知る人々や身近で仕事をする騎士団長のリアムでさえも、その様子を心配はするが特段気にする様子はなかった。「坊ちゃんはは仕事熱心だから」「閣下はお強いですからね!」と言って、それ以上深く考えていないようだった。


(でも、ねぇ……?)


私には少し違って見えた。


どこか、何かから逃げるように、あるいは何かから目を逸らすように、ただひたすらに仕事に没頭している気がするのだ。


気のせいだろうか? 

そう思いながら、試しに「どうかしました?」と聞いてみても、「大丈夫です」としか返ってこない。


その言葉を聞いて、私はかすかな違和感を覚えた。


(最近、あの人は「大丈夫です」と言わなくなっていたはずなのに……)


それがまた戻ってきてしまった。

それはつまり、彼が何かを抱えている証拠なのではないか。


もしかして、私が「大丈夫?」と聞くからいけないのだろうか? 彼は無意識に私を心配させまいとして、そう言っているのではないだろうか?


考えても答えは出ない。けれど、私が気づいたこの小さな変化は、きっと見過ごしてはいけないもののような気がする。


外では今もずっと雨が降り続いていた。


私は、長く続く雨を見つめながら、深くため息をついたのだった。



こちらから「夏」の章スタートです。

よろしくお願いいたします( ˙꒳˙)!

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