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私が料理を振る舞ってから少し経ち、そろそろこの城に来て三ヶ月ほどになる。早いものだ。
相変わらずノクス様の仕事は忙しいが、少しずつ適度に休みを取るようになり、その生活も少しずつ改善されていた。
(”仕事をすること=自分の価値”のようなことを前に言っていた私の愛しい旦那様も、やっと休むということを覚えてきたようね……)
以前のように食事を疎かにすることもなくなり、休みの日には家族で別館でのんびりと過ごすことも増えてきた。特に、図書館のある別館には、彼も私もノエルもお気に入りの本がたくさんある。ノクス様が休みでなくとも、家族それぞれが気が向いたときに訪れる場所になった。
(なんだか、外のスペースにある花壇の花もどんどん増えてきたし……)
そんな日々の中で、ノクス様だけでなくノエルの成長を改めて感じるようになった。最初の頃は、どこに行くにも私から片時も離れず、私の後に続く親鳥を追う雛のようだったのに、最近では侍女のミモザを伴い、自分の部屋や図書館へ行くことが増えた。慣れてきたようで、この城の中を自由に、私がいなくても動き回れるようになったことは喜ばしい。
(でも、少し寂しいという気持ちも、もちろんあるわねぇ)
子供の成長は思ったよりも早いものだ。もちろん、まだまだ甘えてくるし、私の膝の上にちょこんと座ってくることもある。けれど、それもあとどれほど続くだろうか。だからこそ、今の時間を噛み締めて、大切に過ごさなければならない。
(今でさえ、あんなに可愛らしく整った容姿をしているというのに、成長したらすごい美貌の黒髪男子になるわきっと。そう、ノクス様みたいに!!きっと性格も良いからモテるわねぇ)
そんなことを考えながら、自室の執務机の椅子に腰かける。手元には書類がいくつか積まれているが、今考えなければならないのは、ノエルの誕生日についてだ。もうすぐ四歳になる。
これまでも彼にはさまざまなものを贈ってきた。自室や書斎、ぬいぐるみ、本、玩具……けれど、誕生日は特別な日。せっかくなら、より良い一日にしてあげたい。
(どんな贈り物をすれば、ノエルは喜ぶかしら?それにどんな誕生日パーティーにすれば、ノエルにとって思い出深いものになる?)
この世界では、五歳になると貴族の子供の社交が始まる。正式な夜会などではなくとも、貴族の子息たちは五歳を迎えると互いに交流を持つようになる。それに合わせて、魔法や学問の教育も本格的に始まる。だが、ノエルはまだ四歳。外部の者を招くことはせず、城の中で彼に関わる人々を集めて、身内だけの誕生日会を開くのがよいだろう。
(じゃあ、プレゼントはどうしよう……)
考えを巡らせていると、ふと、以前ノエルが騎士物語について熱く語っていたのを思い出した。あれ以来、彼は他の騎士が登場する物語や書物にも興味を持つようになり、嬉々として読みふけっていた。最近では、騎士たちの装備や武器についても関心を示し、執事や騎士たちに質問を投げかけることも増えてきた。
(それなら……)
彼の好きな騎士物語に出てくるような剣を贈るのはどうだろう。もちろん、騎士たちの持つような本物の剣ではなく、子供用の模造剣だ。それでも、しっかりと鍛冶師に依頼し、本物の騎士の剣を模した、美しいものを作ってもらおう。
(美しい剣を持つ、黒髪少年。うん。最高に素敵なビジュアルになるわよ……!)
本や室内で遊べるものはこれまでに十分与えてきた。少し違ったものを贈るのもいいかもしれない。彼が手に取ったとき、どんな顔をするだろうか。
そんな光景を思い浮かべながら、私は執事長のジェフリーを呼ぶことにした。
ジェフリーに声をかけてほどなく、彼は執務室へと姿を見せた。
「姫殿下、お呼びと伺いましたが……どうかなさいましたか?」
私の向かいに立ったジェフリーが尋ねる。
「今度の誕生日、ノエルに子供用の剣を贈ろうと思っているの。領地内で腕のいい剣職人を知らないかしら?」
私の問いかけに、ジェフリーは少し考えるそぶりを見せた後、「そういったことなら、ロータルが詳しいはずです。彼に聞いてみてはいかがでしょうか?」と答えた。
「ノクス坊ちゃんの剣も、確か彼が揃えていたはずですね…」
(なるほど。それならば、彼に相談するのが一番確実ね)
私は早速、元騎士団長ロータルのもとへ向かうことにした。
現在、ロータルは城に戻ってきてくれてから、主に騎士団の訓練場で若手の育成に力を入れていると聞いている。現騎士団長リアムとも深い付き合いがあるらしく、騎士団の上層部も彼を頼りにしているらしい。
ヴィヴィを伴い、騎士団のいるエリアへと向かう。そこには広々とした訓練場があり、今日も多くの騎士たちが訓練を行っていた。私に気づいた騎士たちは、ぺこりと礼をする。
「ごきげんよう」
にこやかに挨拶を返しつつ、今度何か差し入れを持ってこようかと考える。騎士たちの訓練は見ているだけでも迫力があり、その努力を讃えたくなるものだった。
(お酒……?とかかしら?今度誰かに相談してみましょう)
しばらく進むと、別の訓練場から金属がぶつかり合う音が聞こえてきた。どうやら模擬戦が行われているようだ。周囲には騎士たちが集まり、興味深そうに見守っている。
誰が戦っているのかと近づいてみると、一人はリアム。そして、もう一人は——。
「……ノクス様?」
そういえば、彼の仕事ぶりは見ていても、実際に剣を握る姿を見るのは初めてかもしれない。
私は騎士たちの邪魔にならないよう端へと移動し、ヴィヴィと共に模擬戦を見守ることにした。現状は、リアムがやや押され気味。対するノクス様は涼しい顔のまま、流れるような動きでリアムの攻撃を受け流している。
「閣下……やっぱりすごいですね〜」
ヴィヴィが小さく感嘆の声を漏らす。彼女も王国の騎士団長を輩出する家柄の出であり、相当な腕前のはず。その彼女が驚くほどなのだから、私の愛するかっこいい旦那様の実力は相当なものなのだろう。
(剣の技術も素晴らしいのが素人でもわかるくらいだけど……うん。なんて素敵なシュチュエーション……!汗が光り、ピッタリとしたインナー越しでもわかる素敵な筋肉……美味しすぎる……!!そういえばいつもノクス様は長袖のインナーを中にきてるわねぇ、暑くないのかしら)
そんな変態じみた感想を心の中でしていると、目の前の状況が変わる。今度はリアムが勝負を仕掛けた。鋭い一撃が放たれるが、やはり、ノクス様は難なくかわす。そして、次の瞬間。
カキーンッ!
鋭い音と共に、ノクス様がリアムの剣を弾き飛ばした。
くるくると回転しながら、勢いよくこちらへ飛んでくる。
「あら」
反射的に魔法で弾こうかと考えた瞬間、脇から鋭い動きがあった。
キィンッ!
飛んできた剣が別の剣によって弾かれ、少し先の地面へと落ちる。驚きに包まれる周囲。模擬戦をしていた二人も、思わず動きを止めた。
私は剣を弾いた人物に目を向け、にっこりと微笑んだ。
「ありがとう、ロータル」
彼は豪快に笑い、「とんでもない! 若造どもが迷惑をかけましたな!」と謝罪した。
リアムとノクス様も駆け寄ってくる。
「姫殿下、申し訳ありません!」
リアムが深々と頭を下げる。一方、ノクス様は無表情ながらも、その金色の瞳は心配そうに私を見つめていた。
「アイリス、怪我はありませんか?」
「ええ、大丈夫ですわ」
私は笑顔で答えた。そんな私の様子に、ノクス様は少しだけ安堵したように見える。
「それで、どうしてこんなところに?」
ノクス様が尋ねる。その問いに、私はロータルへと視線を向けた。
「ロータルにお願いがあって来ましたの」
その言葉に、ノクス様もリアムも、さらには観戦していた騎士たちまできょとんとする。
そんな中、ロータルはまたもや豪快に笑い、
「おやおや、そりゃあ興味深い。ぜひ、お話を伺いましょう!」
そう言って、満足そうに頷いたのだった。




