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キッチンに足を踏み入れた瞬間、ふわりと漂う新しい木の香りに思わず微笑む。まだ作られて間もないこの別館のキッチンは、私が自由に料理を楽しめるように設計されたものだ。備え付けられた調理器具や食材を確認しながら、今日のメイン料理となるハンバーグの準備を始める。


(意外にも材料とか調味料とか似たようなものも多くてよかったわ)


この世界では、宝石や花など前世と同じものが多く存在している。そして食材も、名前は違えど似たものが多かった。


(いつか米や味噌、大豆とかみたいな食材が手に入らないか探してみたいなぁ……)


そんなことを考えながら、私は手際よく材料を刻み、肉を捏ねる。


作業をしながら思わずくすりと笑いがこぼれたのは、ヴィヴィが「姫様の手料理が食べられるなんて楽しみ過ぎて!」と、大袈裟なほどに喜んでいたのを思い出したからだ。今日は夕食に、私たち家族だけでなく、レオやヴィヴィ、アンドレアにライナー、ジェフリーとノーラ、そしてジェラールも招待している。どうせならと、いつも陰ながら支えてくれる彼らへの感謝も込めた食事会だ。


ハンバーグを焼く香ばしい音とともに、食材が奏でる軽やかな音が心地よい。ソースの仕上げを確認し、サイドの料理の盛り付けも済ませたところで、少し休憩することにした。


(作った料理を出来立てのまま保存して置けるのは、この世界のいいところよねぇ)


食材に闇系統魔法を使って影の世界に閉じ込める。すると、外部環境の影響を完全に遮断して魔法を行使した時と同様の状態のまま保存された。

その後キッチンを出て向かったのは、別館の外にあるちょっとしたスペース。木々の合間に作られたこの場所には、椅子や机、そして花壇が配置され、のんびりと過ごすことができる。椅子に腰掛け、そっと目を閉じると、優しい風が頬を撫でた。木々の間からこぼれる日差しが心地よく、まるで時間がゆっくりと流れているかのようだ。


花壇を見やると、花の種類が少しだけ増えていることに気がついた。私が元々植えたものもあるけれど、それだけではない。淡い色合いの花々に混ざり、見たことのない種類の薔薇が揺れている。大輪のものもあれば、小さな花を幾つもつけたものもある。


「……ノクス様が手を入れたのかしら」


自然とノクス様の姿を思い浮かべる。あの人が庭の手入れをする姿は想像しにくいが、それでもこの花壇には彼の気配があった。几帳面な性格の彼らしく、植えられた花は整然と配置され、手入れも行き届いている。普段は多忙で冷静沈着、無表情がデフォルトな辺境伯閣下が、時間を作って静かに花を植えている姿を思うと、なんだか愛おしさがこみ上げる。


「なんでもできる人ね、本当に」


ふと笑みがこぼれた。そんなことを考えているうちに、図書館の方から小さな足音が近づいてくる。目を向けると、黄金の瞳を輝かせたノエルが、嬉しそうに私のもとへと駆け寄ってきた。


「アイリス様!」


それを追うように、ノクス様もゆったりとした足取りでこちらへ向かってくる。どうやら私を探しに来たらしい。


「そろそろ戻ろうかしら」


そう呟いて立ち上がると、ノエルが私の手を引いた。その温もりを感じながら、私は二人と共に、別館へと戻って行った。



◇ ◇ ◇



昼食の時間になり、私たちはそろって食卓についた。広々としたリビングの一角に設えられたダイニングテーブルには、温かな料理が並び、家族水入らずの時間が流れる。ノクス様もノエルも穏やかな表情を浮かべ、和やかに食事を楽しんでいた。


昼食の後は、3人で別館の周りの林を散策することにした。木々の合間を吹き抜ける風は心地よく、陽の光が葉を揺らしながら優しく降り注いでいる。ノエルは嬉しそうに駆け回り、時折、花や虫を見つけては私たちに報告しに戻ってくる。その無邪気な姿を眺めながら、私はふと隣を歩くノクス様を盗み見た。


彼の顔には、もう隈はなかった。以前まで見られたやつれた様子もだいぶ和らぎ、疲労感が薄れているのが分かる。


(私の”かんっぺきな黒髪イケメン旦那様に戻そう大作戦”はついに成功したってことかしら)


私は心の中で小さくガッツポーズをしながら、密かに喜んだ。

そんな私の視線に気づいたのか、ノクス様がこちらを不思議そうに見つめる。


「……何かありましたか?」


「いえ、ノクス様が少し健康的になられた気がして」


冗談めかして言うと、彼は一瞬戸惑ったように瞬きをしたが、すぐに目を細めて小さく頷いた。


「……そうですか」


その返答に、ふっと微笑みながら、私は再び駆け回るノエルの方へ目を向けた。

そうして遊び尽くした後、ついに夕食の時間になった。



夕食の時間に合わせてレオやヴィヴィたち招待した面々が次々と別館を訪れる。10名ほどの夕食会は、城の格式ばった食堂とは異なり、どこか下町の食堂のような気軽さを感じさせた。


「手伝います」と、アンドレアとノーラが料理を運ぶのを手伝ってくれる。


料理を運ぶと、ノエルやヴィヴィが喜びの声を上げた。ほかの者たちも興味深げに、期待に満ちた表情をしている。


「これは何の料理ですか?」とジェラールが尋ねてきた。


「………遠い国の料理よ」と私は微笑みながら説明した。


(遠い国……うん。間違ってはいないわね)


そして、「召し上がれ」の一言で、食事が始まった。


「姫様〜!美味し〜い!美味しいです〜!」と大袈裟に声を上げたのは、今日の料理を楽しみにしていたヴィヴィだった。彼女の勢いに思わず苦笑しながら、「ゆっくり食べるのよ」と声をかける。


ノエルも「アイリス様の料理、おいしい!」と笑顔で言ってくれた。


他のみんなも楽しげに食事を進める。ノクス様に目を向けると、無表情ながらも、口元がほんの少しだけ緩んでいた。ゆっくりと食事を楽しむ彼の姿から、美味しさが伝わってくる。


(みんなに喜んでもらえたみたいでよかった)


そう思いながら、私も温かな雰囲気の中で食事を楽しむのだった。



食事の後、しばらくは皆で語らい、大人たちは酒を酌み交わしながら穏やかな時間を過ごしていた。しかし、やがてそれぞれが城へと戻っていき、別館には私とノクス様、そしてノエルの3人だけが残った。


静かな夜の帳が下り、暖かな照明がゆらめくリビングで、私たちは自然と今日の出来事を報告し合うことになった。


「ノエル、今日は何を読んでいたんだっけ?」


私が優しく問いかけると、ノエルは待っていましたと言わんばかりに勢いよく身を乗り出した。


「今日はね、騎士物語の続きを読んだんだ!すごくかっこよかった!」


目を輝かせながら、ノエルは興奮気味に物語の内容を話し始めた。騎士たちがどのように戦い、どうやって困難を乗り越えたのか、一生懸命に説明する姿が微笑ましい。


「まぁ、それは素敵なお話ね。騎士は強くて勇ましくて、かっこいいものね」


私が微笑みながらそう言うと、ノエルは大きく頷いた。


「うん!」


その言葉に、私はノクス様へと視線を移す。彼は静かに私たちを見ていた。


「知ってる?ノエルのお父様もとっても強いのよ」


そう言うと、ノエルは驚いたように自分の父を見つめ、そして次の瞬間、その黄金の瞳が尊敬の色に輝いた。


「お父様、本当ですか?」


息子の純粋な問いかけに、ノクス様は一瞬言葉を探すように視線を落とした。しかし、やがて口を開く。


「……戦いの場では、必要な分だけの強さはあるかもしれません」


相変わらず控えめな言い方だが、少しだけ口元が和らいでいるように見えた。


「すごい……!」


ノエルはますます目を輝かせ、ノクス様をじっと見上げる。その様子に、私はふっと微笑み、心の中で「よしよし」と小さく頷いた。


「じゃあ、ノクス様は今日は何をしていたのですか?」


私が興味津々に尋ねると、ノクス様は少し目を伏せ、考えるような素振りを見せた後、小さく「内緒です」と呟いた。


「えー?」


ノエルが頬を膨らませながら抗議する。

私もくすくすと笑いながら「私も気になるわね」とノクス様を見やる。


「いつか話せる時が来たら、お伝えします」


ノクス様は淡々と言いながらも、どこか優しげな表情だった。私は深く追及することなく、素直に頷く。


「では、その時を楽しみにしていますね?」


そう返すと、ノクス様は静かに微笑んだ。まだ彼にとって話せないこともあるのかもしれない。でも、きっといつか教えてくれる日が来る。


その後も私たちは他愛のない話をしながら、穏やかな夜の時間を過ごした。ノエルはやがて私の膝の上で小さくあくびをし、そのままうとうとと眠り始める。彼の温もりを感じながら、私はこのひとときがどれほど幸せなものかを噛みしめるのだった。


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