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別館の侍女たちをどうにかしてから、すでに数週間が経っていた。厄介ごとも消え去り、私は今も変わらず、愛する旦那様と義理の息子と共に穏やかな日々を過ごしている。


夜中に泣き出すことの多かったノエルも、最近は落ち着いて眠る日々が続いていた。ノクス様の乳母だったノーラに相談した際、三歳ごろまで夜泣きをする子供も珍しくはなく、自然と落ち着くものだと聞いていた。その言葉に安心し、特別なことはせず、ただひたすら愛情をもって接しながら見守ることにしていた。


そして、別館の侍女たちが迅速に処刑された数日後のこと。ノエルは、城内を自由に歩けるようになったことが嬉しいのか、私と手を繋ぎながら廊下を歩いていた。最近は二人で場内の様々な場所に散歩しに行くのがブームになっていた。しばらくすると、ふと足を止め、遠くをじっと見つめる。彼の視線の先には、かつて彼を虐げていた侍女たちがいた別館があった場所へと続く道だ。


「あの人たちは……どうしてるの?」


幼いながらも、慎重に言葉を選ぶような声音だった。ノエルから別館やその侍女たちについての言葉が出るのは初めてのことだ。私は彼の意図を察し、少しだけ考えた後、穏やかに答えた。


「あの人たちは、もうどこか遠くへ行ってしまったの。もう二度と、私たちの前に姿を見せることはないわ」


ノエルは私の顔を見上げ、しばらくじっと考え込むような表情を浮かべた。小さな手がぎゅっと私の指を握る。彼の金色の瞳には、幼いながらも何かを確かめるような光が宿っていた。


そして、次の瞬間、彼は小さく頷き、そっと私に抱きついてきた。まるで、「もう大丈夫」とでも言うかのように。私はそんなノエルを優しく抱きしめ返し、彼の背中をそっと撫でた。そして、安心させるように、改めて囁く。


「何があっても、私がノエルを守るわ。一緒にいるから、怖いことなんて何もないの。安心していいのよ」


ノエルはぎゅっと私の服を握りしめると、ふわりと息を吐いた。その仕草が、彼が少しずつ安らぎを取り戻している証に思えて、私は胸が温かくなるのを感じた。


こうして少しずつ、彼の中にあった恐怖や不安が消え、安心できる時間が増えていけばいい——私はそう願いながら、小さな体をそっと抱きしめ続けた。



◇ ◇ ◇


そんなこんなでノエルが落ち着いてきたこともあって、私は愛しい旦那様を休ませるという計画を実施することにした。


もちろん何日も休むのは難しかった。城はまだ変革期真っ只中で、ノクス様が長く執務を離れる余裕はない。でも、一日だけなら何とかなるだろうとジェラールが言っていた。それもあって、私は今日一日、ノクス様から仕事を取り上げることに決めた。


朝食を三人で食べ終え、いつものようにノクス様は無言で立ち上がり、執務室へと向かおうとする。その手を私は素早く取って引き止めた。


「ノクス様、今日1日、仕事は禁止にします」


ノクス様は驚いたように私を見つめた。隣に座るノエルも、きょとんとした表情で私たちを見上げる。


「……いや」

「……ですが」


ノクス様はどうにか言葉を紡ごうとするが、私は肩をすくめて言った。


「じゃあ、執務室に行ってみるといいですわ。たぶん入れないでしょうけど」


その言葉に、ノクス様は一瞬眉をひそめた後、無言で食堂を出た。私は座っていたノエルを抱き上げ、後を追う。そうして辿り着いた執務室の前で、ノクス様は足を止める。


執務室の扉が、なかったのだ。


もともとあったはずの重厚な扉は姿を消し、そこには綺麗な壁が広がっている。もちろん私がやった。私は朝食前に土系統魔法を使い、扉を完璧に塞いでおいたのだ。解除しない限り、誰も中には入れない。


数秒ほど沈黙した後、ノクス様はゆっくりと眉間に指をあてる。そして深いため息をついた。


「……本当に、仕事をしてはいけないのですか?」

「えぇ!観念してくださいな」


私はにっこりと笑いながら、片手でノエルを抱き、もう片方でノクス様の手を握る。まだ何か言いたげだったが、観念したのか小さく頷く。そして私は満足げに彼の手を引き、執務室から遠ざかった。


今日の装いは、私が淡いレモン色の生地を基調に、所々空色を取り入れたドレス。胸元から首元にかけて繊細なレースが飾られ、詰まった襟元には大ぶりのアクアマリンの宝石が輝く。ノエルは空色の短パンに、黄色の刺繍が施された白いシャツ。ジャケットは羽織らず、動きやすいようにサスペンダーでズボンを留めていた。そしてノクス様は、二人に合わせたように空色のシャツに藍色のズボンを着ており、首元にはイエローサファイアの宝石があしらわれたループタイが光っている。


今日は家族で「空色」を基調としたコーディネートで揃えてみたのだ。ノクス様の服は、事前にライナーに頼んでこの色を着るようにしてもらった。これまで彼の服は装飾のない暗めのものばかりだったけれど、せっかくの美しい黒髪と容姿なのだから、もっと映える色を着てもらいたい。そう思って、ノエルの服と同じように、既製品を選びつつ採寸を進めていた。


(もちろん、フルオーダーの服もノエルの服と一緒に準備中よ!あぁ、楽しみ!)


私たち三人は並んで廊下を歩く。使用人たちが行き交うたびに、そっと微笑ましげな視線を向けてきた。普段はずっとフードを被っていたノクス様が、こうして堂々と歩く姿は最近増えてきたとはいえまだ珍しいだろう。それでも、以前のような好奇の目ではなく、穏やかに見守るような眼差しに変わっている。


私たちが向かったのは城の庭だった。ここも改装が入り、美しく整備されたばかりだ。花壇には色とりどりの花が咲き誇り、甘い香りが風に乗って漂う。どこからか小鳥のさえずりが聞こえ、春の暖かな日差しが心地よく肌を撫でた。


「今日はここで過ごしましょう」


そう提案すると、ノエルは嬉しそうに頷き、私に抱き抱えられていた腕から降りて駆け出した。私はその後を追いかけ、一緒に庭を走る。


ふと視線を向けると、ノクス様は少し離れた木陰に立っていた。木漏れ日が黒髪を淡く照らし、風に揺れる草木が彼の静かな佇まいとよく馴染んでいる。腕を組み、穏やかな表情でこちらを見ていた。


(木陰に佇む黒髪の美丈夫。最高に素敵なシュチュエーションね…。私の心のフィルターに残しておかなければ…)


最初は執務のことばかり考えていたかもしれない。でも今は、ほんの少しだけ、肩の力が抜けている気がする。

私は手を差し出した。


「ノクス様も、一緒にどうですか?」


彼は少し戸惑ったようにノエルと私を交互に見つめる。だが、やがて小さく息をつき、観念したように歩み寄ってきて、私の手を握った。


こうして、穏やかな春の日の1日が始まった――。



◇ ◇ ◇



しばらく庭で遊んだ後、程よい木陰に敷物を敷いて、ピクニックのように昼食を取った。春の空の下、気持ちのいい風が程よく吹いていて、とても心地よい。


(ん〜!ほんとにいい天気!)


食べ終わった後も、しばらくそのまま三人でぼーっとしていた。やがて、ノエルがうとうととし始める。彼の瞼はゆっくりと落ちていき、小さなあくびがもれる。


「心地よいものね。眠くなっちゃったわね」


私はくすっと微笑みながら、ふと気づくとアンドレアがいつの間にか傍にいた。彼女から薄めのクッションとブランケットを受け取り、優しくノエルに声をかける。


「ここでお昼寝しましょうか?」


眠たげなノエルはこくりと頷き、私の隣あたりに寝転がろうとする。私はそっとクッションを敷いてやり、彼が楽な体勢で眠れるように調整した。やがて彼は私の方に小さく丸くなり、スヤスヤと夢の世界へと落ちていった。


しばらくノエルの頭を撫でていた私は、ふと隣に座るノクス様に視線を向けた。彼は何を考えるともなく、風に揺れる黒髪をなびかせながら庭の景色をぼんやりと眺めている。


「ノクス様も、お昼寝してはどうですか?」


私が囁くと、彼は驚いたように目を丸くした。そんな彼の反応にくすりと笑いながら、私はもう一つクッションを取り、自分の膝の上にそっと置く。


そして、膝上のクッションをぽんぽんと叩きながら、彼を見つめた。


「さぁ、どうぞ?」


ノクス様は一瞬戸惑うような仕草を見せたが、気持ちの良いこの空間に気が緩んだのか、ゆっくりとした動作で私の膝上のクッションへと頭をのせた。


いつもは見上げることの多い彼の顔が、今日はすぐそばにある。目を伏せ、長い睫毛が影を落とす美しい横顔をじっと眺めながら、私は愛しいその黒髪を優しく撫でた。


すると、彼はふっと小さく息をつき、次第にまぶたが落ちていく。心地よさそうな表情のまま、静かに目を閉じた。


ノクス様にとっては、ほぼ初めてと言ってもいい休日。


(少しでも癒されますように)


そう願いながら、私はそっと彼の髪を撫で続けた。


今回は、家族で過ごす休日の一コマ。次も穏やかな感じで進んでいきます。



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