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今日は、随分と放置していたことを片付けてしまうことにした。

私は現在、城の地下牢へ続く重厚な扉の前に立っていた。隣にはノクス様。その後ろには、私の側近三人と、旦那様の補佐官となったジェラール、執事長のジェフリー、そしてライナーが控えている。


かつて別館で前夫人に仕えていた侍女たち。その顔を見たいとも思わなかったし、彼女たちにかけた魔法の効果は少し時間がかかるため、しばらく放置していたらすっかり遅くなってしまった。


「さぁ、行きましょうか」


私が声をかけると、ノクス様が自然と手を差し出した。彼は本日フードを脱いでいる。そもそもこの城ではもはや、彼とノエルの黒髪を忌避する者はいない。そのように教育が行き届いたのはつい最近だ。それもあり、ノクス様は薄暗いフード付きのマントを脱ぎ捨て、漆黒の髪を晒していた。


(はぁ…美しいわ。なんて素敵なんでしょう)


私の胸がときめく。フードを被らずに立つ彼は、幽玄な美しさを帯びていた。冷ややかな金の瞳に見つめられながら、差し伸べられた手を取る。こうやって、私に差し出してくれる様になったのもつい最近だ。これまでは私から手を差し伸べていたが、最近になって彼の方から段差があったりすると手を差し伸べてくれる様になった。


(私の可愛らしい旦那様もまた一つ、成長しているのね)


そして、共に地下牢へと続く階段を降りていった。暗い石造りの階段は、ひんやりと湿っている。空気は澱み、腐敗した藁の匂いが微かに漂っていた。足音だけが重々しく響く。

奥へ進むと、鉄格子の並ぶ地下牢が視界に入った。


(さてと、彼女たちはどうなったかしら)


私はわずかに期待を込めて牢の中を覗き込んだ。すると、そこにいたのは、変わり果てた侍女たちだった。


一人は壁に向かい、うわ言のように謝罪の言葉を繰り返している。別の者は、しゃがみ込んだまま何もない虚空をぼんやりと見つめていた。そして、別の者は頭を掻きむしりながら何かを叫び続けている。


彼女たちの顔は青ざめ、目の下には深く刻まれた隈。髪は乱れ、爪は何かをひっかいたのか血が滲んでいる。異様な光景に、ノクス様をはじめとするジェラールやジェフリー、ライナーが言葉を失った。


一方、私の側近たちは平然としていた。すでに彼女たちにかけた魔法について説明してあるのだ。


「効果は抜群みたいですね」


牢を覗き込みながら、レオが「ふぅん?」と言った感じで感想を漏らす。


「一種の拷問にも使えそうですね」


アンドレアが冷静に考え込みながら言う。

驚愕を隠せないジェラールが、ようやく我に返ったように私へ問いかけた。


「彼女たちは……一体、どうしたのですか?」


私は静かに微笑んだ。


「彼女たちは毎夜、悪夢にうなされているのよ」


そう、これは闇系統の魔法の中でも特に高度な精神干渉魔法、通称『悪夢』。この魔法は、かけられた者にとって最も辛かった記憶と、その正反対に最も望んだ幸福な幻影を、絶え間なく繰り返し見せる。精神が脆い者ほど、その落差に耐えられなくなる。


「魔法都市で研究されている魔法の一つなのだけれど、ちょうど試せる相手がいて助かったわ」


「研究者たちにせがまれていてね?」と淡々とそう述べると、ジェラールもライナーも、呆然と私を見つめていた。ジェフリーは私を見てなんだか考え込んでいるようだ。


「……あなたは、どの系統の魔法が使えるのですか?」


沈黙を破ったのはノクス様だった。


私はにっこりと微笑む。


「全部ですわ」


その瞬間、ジェラールとライナー、考え込んでいたジェフリーも含めて三人が揃って驚きの声をあげた。しかし、ノクス様だけは微かに目を細めただけで、さして驚いた様子はない。


「驚かないのですね?」


私が問うと、彼は少しきょとんとしたような顔をして言った。


「姫殿下はいつも、私の予想を超えてくる方なので」


と呟いた。


「うちの姫さん、規格外だよな〜」


レオが肩をすくめて笑う。


(規格外? 失礼ね)


そう思いつつも、私は牢の中に目を戻す。


「……良い夢は見られた?」


震えながら赦しを乞う侍女たちを冷ややかに見下ろしながら、私は問いかけた。その中で、ひとりだけ異質な者がいた。


(あれは確か…オリビエと言ったかしら?)


彼女は泣き叫ぶこともせず、ただ魂が抜けたような目でどこかを見つめていた。


(あら? 精神が壊れたかしら?そこまで強くは設定していなかったはずだけれど…)


私は光系統魔法を用い、彼女の内側を覗いてみた。光系統と闇系統の魔法はどちらも相反する魔法ではあるが、謎が多い魔法系統だった。そのため、数多くの研究者が研究テーマにしていることが多い。私が使った通称『透視』もまだまだ謎が多い魔法の一つで光系統魔法の上級に当たる。


映ったのは、幼い少女が使用人部屋で母の最期を看取る場面。そこへ男が現れ、少女を無理やり引きずっていく。泣き叫ぶ少女の願いも虚しく、扉は閉ざされる——。


次の瞬間、場面は変わる。


先ほどの男女と少女が、穏やかに庭でお茶を楽しんでいた。


そして再び、母を失う場面へ。


彼女の魔法耐性が低かったのか、繰り返される幻影に心が耐えきれなかったのだろう。他人の私から見れば、この世界でよくあるような私生児の幼少期に見えるけれど、人によって何が一番の心の傷になるかはわからないものだ。きっと彼女にとってこの場面は、耐え難いほどに辛い出来事だったのだろう。


(かわいそうに——いえ、別にかわいそうだとは思わないわね)


これは自業自得。何より、彼女たちは私の大切なノエルを傷つけた。


「王国法では、当主とその家族に害を為した者は死刑が妥当ね」


そう言うと、ノクス様は無表情のまま頷いた。


「ジェフリー、悪いけど処理をお願いするわね。レオ、研究室のあの子たちに結果の報告をよろしくね?」


そう告げると、私は再びノクス様の手を取り、階段へと向かった。


「さあ、帰りましょう?」


冷たい空気の漂う地下牢を後にし、私たちはゆっくりと地上へと歩を進めた。



◇ ◇ ◇



薄暗くジメジメとした地下牢のあった場所から出て、城の綺麗な空気を吸い込む。


(やっぱり、あんな暗いところには居たくないわね〜)


未だ手を繋いだままのノクス様はそんな私を静かに見つめていた。


「何か気になることでもありますか?ノクス様」


そう問いかける。


「……いや」と呟きなんと言おうか考えたそぶりを見せたノクス様は、私の目を見て静かに話し始めた。


「あなたは…、私やノエル、そのほかの城の者たちにも優しく接してくださるので、あのような魔法や刑罰は嫌がるかと思ったのですが…」


(あぁ、なるほど)


彼には私がひどく優しく慈悲深い王女に映っていたらしい。近くにまだいたレオがそれを聞いて吹き出した。


「あっはは!姫さんが慈悲深い王女のようってのは面白いですね、閣下。確かに見た目だけで言えばうちの姫さんはそうかもしれませんが、結構えげつない性格の一面もあるんですよ?」


茶化すようにノクス様に笑って言った。


(えげつないって何よ…えげつないって)


そんなレオにため息をつきながら、アンドレアも続けて言う。


「レオ…閣下に向かってその様に…。でも姫様は確かに慈悲深い一面もお持ちですが、ご自分の懐に入れた者たちを害する輩には容赦しないですからね。閣下が驚くのも無理はないかと」


(アンドレアまで…まぁ合ってはいるから何も言えない…)


ぐぬぬ…と反論できずにいた私に、静かにレオやアンドレアの言葉を聞いていたノクス様が言った。


「いえ。この辺境伯領ではたまに諍いや厳しい処罰も行うことがありますから、むしろ好ましいかと思います」


(あれ?好ましいと仰った?)


その言葉にびっくりした私は、思わずノクス様をまじまじと見てしまう。やはりその端正な顔は無表情なままではあるが、少し照れているようだ。


(うふふ…!やっぱり可愛い人!)


そう思いながら私は自分の可愛らしい目の前の旦那様へ心を込めて言った。


「私にとっても、ノクス様の存在そのものが好ましいですわ!愛しの旦那様?」


自分の懐に入れた者には際限なく愛情を与え、自分の大事なものに手を出す輩には容赦なし。そんなアイリスさんでした。

だいぶ、ノクスがアイリスに心を開いてきたような気配…?

次回はほのぼのとした家族団欒を描きたいと思います!



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