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私は目の前の人物を凝視しながら大混乱の真っ最中だった。先ほど挨拶を交わしたばかりの私の旦那様——黒髪に金眼の美しいその人は、無表情のままじっと私を見つめている。その何を考えているのかわからない視線に見つめられながらも、私は心の中で必死に混乱を抑え込んでいた。
黒髪は、確かに禁忌とされている。しかし、そんなことは私に取っては心底どうでもいい。むしろ、大歓迎の大好物だ。濃密な黒髪がフードの下から流れるように覗き、月光を吸い込むような滑らかな光沢を放っている。金の瞳は静かにこちらを見据え、彫刻のように整った顔立ちは端正そのものだった。
(もっとよく見てみたい)
そんな衝動に駆られ、気がつけば私は少し背伸びして彼の顔あたりに手を伸ばしていた。躊躇いなく、フードをそっと退ける。
「——っ!」
周囲の空気が張り詰めるのが分かった。
現れたのは、私が城に残してきたノエルによく似た顔だった。ただし、ノエルよりもさらに艶やかで、端整で、完璧な美丈夫。まるで絵画から抜け出したかのような旦那様の姿に、私は息を呑んだ。
(何なの…!この世のものとは思えない美貌は!整った鼻筋に、鋭すぎず、それでいて端正な輪郭!金の瞳は、ノエルと同じだけど冷ややかさを感じつつどこか寂しげで、光を受けるたびに深い輝きを宿して良い具合に他のパーツと最高にマッチ!目元には隈が刻まれてるから寝不足なのかしら…?それにちょっとやつれてる?でもそれを超えうる元々の美しさが彼にはあるわ!このやつれ具合と深く刻まれた隈が取れた暁にはどうなってしまうというの!?私の目、あまりの眩しさに潰れてしまうんじゃないかしら?それにしてもまつ毛なっっが!なんという顔面国宝っ!!)
その一方で、私に突然フードを剥がされた旦那様は、わずかに目を丸くしていた。驚いているらしい。けれど、特に抵抗もせず、ただ私を見つめている。彼の表情がわずかに揺らいだことに、何故か満足感を覚えてしまう。
「……なんて綺麗な黒髪とのバランスなのかしら」
「綺麗…!」と思わず、口から言葉が零れた。瞬間、彼のまばたきが一度、ゆっくりと落ちる。
(容姿の美しさはもちろんだけれど、なんって黒髪が映える顔してるのかしら…!!黒以外この顔を一番際立たせる色は存在しないわ…!!さいっっこうよ…!!なんてことなの!!)
そのまま彼を見つめながら、私はふと奇妙な感覚に囚われた。
(どこかで……彼に会ったことがある気がする?でもどこで…?)
こんなにも自分の好みに刺さる顔に、前世でも今世でも出会っていたならば、忘れるはずがない。それなのに、どうしてだろう? 記憶を辿るが、はっきりと思い出せない。
そんな私の思考を、周囲のざわめきがかき消した。
「ひぃ…!恐ろしい……」
「なんて悍ましいのかしら」
「なぜ彼の方がここに入ってきているんだ?」
ホテルのロビーに響く低い囁き。客やスタッフの視線は一斉に旦那様の黒髪へと向けられている。
(あ……やってしまった)
私は我に返った。
(しまった。周囲の視線を集めてしまった…。こうならないようにノエルを城に残してきたというのに)
「ごめんなさい、どうしてもお顔が見たくって……」
慌てて小声で謝り、そっと風系統魔法を使う。ふわりとフードが舞い上がり、再び旦那様の顔を覆った。
(……でも、一度見たからには、もう忘れられないわ。)
この人が、”私の旦那様”なのだ——と、心がときめくのを感じながら、私は改めて彼を見上げた。
見つめあっていた私たちをポカンと見ていた一人、支配人が我に返ったように「困ります」と声を上げた。
「——なぜ、閣下が当ホテルに入ってきているのですか?」
ホテルの支配人は私を敬いながらも、私の旦那様に対しては露骨に礼儀を欠いた態度で後を続ける。
「申し訳ありませんが、オーナーからも黒髪であらせられる閣下はお断りするようにと申し付かっております。このような勝手をされては困ります」
それが、この地の領主であり貴族階級でもトップに近い辺境伯家当主に向ける言葉だろうか。ここでも黒髪への差別の弊害を感じて思わず眉をひそめたが、当の旦那様は特に表情を変えず、「すまない」と静かに返した。彼の背後に控える騎士たちは、主人を侮辱した支配人を睨みつけている。だが、彼らは言葉を発しない。それが、旦那様の命令なのだろう。
(騎士たちの中には旦那様を慕っている者もいるみたいね…)
辺境伯家は国防の要。当然騎士団が常駐している。城に騎士団の騎士たちがいるエリアもあっただろうが、そこは旦那様の管轄であると判断し、特段関わっていなかった。
「姫殿下、申し訳ありませんがまだ仕事が残っております。ホテルにも迷惑をかけてしまったようですから、私はこれで失礼させていただきます」
旦那様はそう言って私へ向き直り、続けた。
「あなたのような高貴な方が、私のような者と結婚せねばならなかったこと、申し訳なく思っております。不自由をさせるつもりはありません。今までと同じように、ご存分にご自身のやりたいように過ごしていただければと思っております」
その言葉を聞き、私はやっぱりこの人は優しくてお人好しなのだと思った。こんな扱いを受けてもなお、何も言わず、自分が下がることを選ぶなんて人としてなかなかできることではない。
「……騎士たちはいつも通り、このホテルに泊めてもらいたい。彼らのことをよろしく頼む」
支配人へそう伝え、旦那様はロビーを後にしようとする。その瞬間、私は思わず声を上げた。
「ちょ…ちょっと待ってください、閣下!」
旦那様が足を止め、静かにこちらを振り返る。
「騎士たちがホテルに泊まるなら、閣下はどこに泊まるというのですか?」
「……私は、都市を出た森でいつも野宿しております」
「…………はぁ?」
思わず絶句する。私の驚きをよそに、同行していた騎士の一人が言った。
「いつも申し上げておりますが、閣下が野宿されるなら、我々もお供させていただきたいと——」
しかし、旦那様はそれを黙って首を振った。そして再び、何も言わずに歩き出そうとする。その後ろ姿を見た支配人が、低く呟いた。
「……悍ましい黒髪がこのホテルに入り込むなど、穢らわしい」
その瞬間、私の中で何かが弾けた。
——ゴウッ。
風がロビーを包む。
真上にあるシャンデリアがギシギシと音を立てて揺れ、周囲の者たちが驚きの声を上げる。ロビー全体に満ちる魔力の波動が、私の怒りを物語っていた。
驚いたように振り返る旦那様と騎士たち。目を丸くする彼らを見ながら、私は深呼吸し、少しだけ感情を沈める。私の近くにいた側近たちがそれぞれ、「あ〜、この前もやってたし姫さんの怒りメーター振り切れるスパン最短記録じゃないか?」とレオ、「普段はそこまでお怒りにならないというのに…」とため息をつくアンドレア、「すっごいシャンデリア揺れてるわ〜!」とヴィヴィ。
(またやってしまった…。というか私の側近たちのんびりしすぎでは!?)
側近たちのいつも通りの様子に、昂っていた感情がおさまってきた。そのまま私は支配人ににっこりと笑顔を向ける。もちろん目は笑っていない。
「……ここのオーナーを、10分以内に呼びなさい」
支配人に向かって冷静に告げた。その声には、決して拒否を許さない圧がある。
そして、再び旦那様へ向き直る。
「仕事を終わらせたら、騎士たちと共に必ずこのホテルに戻ってきてください、閣下。私は閣下を迎えにきたのですから、一緒に帰ります。色々とお話ししたいこともありますし」
旦那様は無言のまま、私を見つめる。そんな彼の周囲にいる騎士たちへ向かって、私は優しく微笑みながら言った。
「あなたたち、閣下をちゃんとここまで連れてきてね?」
騎士たちは互いに顔を見合わせた後、「はっ!仰せのままに」と丁寧に頭を下げる。
そして、私は思い出したように付け加えた。
「あ、そうだわ。この後の閣下のお仕事に、私の側近を一人、お供させてもらえないでしょうか?」
私は、「レオ?」と近くに控えていたレオを呼び、旦那様について行って仕事の様子を見てきてほしいと目配せする。レオは苦笑しつつも頷き、私の旦那様の方へ向かうと「姫殿下の側近のレオンハルト・フランベルンと申します。閣下、ご同行させていただいてよろしいでしょうか?お邪魔はしませんので」と挨拶をした。それに少し驚きつつも、無表情のまま旦那様は「わかった」と了承し、騎士たちと側近を連れてホテルを後にした。
ロビーに残された私は、騒がせてしまった周囲の者たちに一声かけた。
「ふふっ!皆様、騒がせてごめんなさいね」
その言葉を受け、注目していた人々は一斉に動き出す。そして、唖然としたまま突っ立っている支配人に向かって、私は冷え切った声で言った。
「そこのあなた、10分以内にオーナーを呼べと言ったはずよ。あと9分しかないわね。これはお願いではないの、——命令よ?」
「わかったかしら?」と言ったように頬に手を当て、微笑む私を見て、支配人は飛び上がるようにして慌ててオーナーに連絡を取りに駆け出していった。
旦那様の黒髪にもお顔にも、そして性格にもお気に召したアイリスさんでした。




