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「——さて、次に相談したいのは執事長をどうするか、なのだけれど」

 

私が言葉を切ると、ライナーとノーラ、そして私の後ろに控えていたアンドレアが静かにうなずいた。ノーラに来てもらい、家政婦長を引き受けてもらう話をしたあとで、話は現在ライナーに兼任してもらっている執事長をどうするかということへと移った。

応接室の窓から差し込む朝の光が、磨き上げられたテーブルを照らしている。その傍らで、ノエルは私の膝の上にちょこんと座り、興味深げに大人たちの会話を聞いていた。先ほどまでは隣に座らせていたのだが、手持ち無沙汰のように足をぶらぶらとさせていたので、私が抱き上げたのだ。抱きしめられるのは好きみたいで、嬉しそうに顔を綻ばせながら静かにしている。


(なんて可愛いのかしら…どれだけ見つめていても飽きない可愛らしさ…最高!)


そんなことを思いつつ、ノエルの頭を撫でながら、私は話を進める。


「今はライナーに引き受けてもらっているじゃない?でも、閣下が戻られたらライナーも忙しくなるし、この城は人手不足。誰か候補者はいないかしら?」


私の問いかけに、ノーラが少し考え込むように指を顎に当てた。そして、やや躊躇いがちに言葉を紡ぐ。


「これは……ノクス坊ちゃまが許されるか分かりませんが、一人、適任と思われる者がいますわね」

「誰かしら?」

「ジェフリー・カーライルという者でございます。先先代の当主に仕え、先代の時代までこの城の執事長を務めた者ですわ」


その名前が出た瞬間、沈黙が落ちた。ライナーが一人、驚いたように目を見開く。その反応に、私は何かあるのだろうと察したが、ノーラへさらに話を促した。


「詳しく聞かせてちょうだい」


ノーラは深くうなずき、静かに語り始めた。


「私を含め、この城に古くから仕えていた家臣たちは皆、先先代……ノルヴィス様に仕えていた者がほとんどです。ジェフリーもそうで、ノルヴィス様のお子様である先代当主の時代までこの城の執事長を務めておりました」


ジェフリーという前執事長がいた、その事実にライナーがさらに驚いた顔をする。ノーラはそのまま続けた。


「私たち、この城の古くからの家臣たちは皆、ノルヴィス様に仕え、彼の方を深く敬愛しておりました。しかし、ノルヴィス様が亡くなられた後、跡を継がれた先代当主は……正直なところ、辺境伯当主としての器には欠けておられました」

「つまり……?」

「ノルヴィス様はそのことを早くから悟っておられたのです。ですので、私たち家臣に『どうか息子の代になっても、この家を支えてほしい』と、何度も頼み込まれました。私たちは、ノルヴィス様の願いに応え、当時ノルヴィス様亡き後もこの城に留まることを決めたのです」


窓の外で鳥がさえずる。静かに話を聞いていたノエルが、私の手をぎゅっと握った。


「しかし、先代当主は辺境伯家当主としての職務に関心を持たれず、遊びにふけることが多かったのです。その結果、実際の辺境伯当主の仕事はノルヴィス様の懸念の通り、ほぼ家臣たちが担うことになりました」


私は息を飲む。


(まさか、旦那様の父君がそこまで無能だったとは思わなかったわね…)


「そして時が過ぎ、先代当主にお子が生まれました——すなわち、現当主様であるノクス坊ちゃまです」


その言葉に、私は目を瞬いた。旦那様の話をこのように詳しく聞くのは、初めてかもしれない。


「ノクス坊ちゃまは幼い頃から聡明で、ノルヴィス様に似た優秀なお方でした。自然と時期辺境伯家当主としての責務を学ばれ、私たち家臣に教えを乞いながら成長されていったのです。そして10歳になる頃には、実質的に領地の管理を担われるようになりました」

「そんなに早くから……?」

「はい。父君であらせられる先代当主から仕事をこなせと初めて命じられるようになったのは、まだノクス坊ちゃまが6歳頃のことです。そして、先代当主が亡くなられ、正式に跡を継がれた時、ノクス坊ちゃまは私たちにこう言われました。『これまで、仕えたくもない父に仕えさせてしまって申し訳なかった。もう十分だから、お前たちは自由になってくれ』と」


ノーラの声には、どこか懐かしさと誇りが滲んでいた。


「私はこの城に残りましたが、他の家臣たちは皆、ノクス坊ちゃまの意を汲み、城を去りました。しかし、多くが今でも領地内に留まり、ノクス坊ちゃまのことを案じております。ジェフリーも、きっとそうでしょう。彼ならば、今でもこの城のために尽くしたいと考えているのではないかと」


話を聞き終えた私は、静かに目を閉じた。


(なるほど。私の旦那様は、どうやら、とても優しく、良い意味でお人好しな方なのね)


穏やかな笑みが、自然と口元に浮かぶ。膝の上に座っているノエルを見た。見られていることに気づいたノエルは不思議そうにコテっと首を傾げて私を見上げる。そんなノエルの額に、寝る前にするようにキスをして、私はノーラたちに向き直った。


「ノーラ、教えてくれてありがとう。どうやらそのジェフリーという者が適任そうに感じるわ。ところで、ライナー。何か言いたいことがあるのではない?」


私の言葉に、ライナーがハッと私を見た。やはりそのジェフリーという人物に思うところがあるらしい。


「詳しく聞かせてちょうだい」


 ライナーは私の言葉を受け、静かに口を開いた。


「実は……私も彼を知っています。ただ、その前に、私自身のことを少しお話しさせていただいてもよろしいでしょうか?」


私がうなずくと、ライナーはゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。


「私は孤児院出身の平民で、この領地で育ちました。そのままこの領地で生活をしていて、国境付近で起こったある諍いに巻き込まれ、死にかけたことがあります。その時、私を助けてくださったのが、現在の当主であるノクス様でした。その恩があり、数年前よりこの城で仕えさせていただいております」


 その言葉に、私は静かに頷いた。


(平民であることや、救ってくれた旦那様に恩を感じて仕えているというのは聞いていたけれど、ライナーは孤児院出身だったのね)


「幼い頃に過ごした孤児院には、いつも支援をしてくださる男性がいました。彼はかつて高位貴族のもとで使用人として仕えていたことがあり、孤児院の子供たちに作法やマナーを教えてくれることも多かったのです。私も子供の頃、教えてもらいました。大人になり縁があってこの城で働くようになった私は、未だに時折孤児院を訪れているのですが、ある時そこで彼と再会したのです。私がかつての自分と同じように、貴族の元で働いていることを知ると、時折私の相談に乗ってくれたり、助言をくれることがあります」


そこまで語ると、ライナーは深く息をつき、ノーラと私を順番に見やった。


「そして、その彼こそが、ノーラさんが推薦したジェフリー・カーライルなのです」


私は驚きと共に感心した。


(この城には、良い家臣が多く残っているのね。それは先先代の当主の人柄ゆえであり、また、今なお領地に残る者たちがいることを思えば、現在の当主である旦那様の人柄も影響しているのね)


「そうだったのね。話してくれてありがとう、ライナー」


私は微笑みながら礼を述べ、改めて部屋の皆を見渡した。そして、静かに決意を口にする。


「ノーラから推薦してもらったジェフリーという者が執事長にふさわしいのではないかと思います。ライナーから聞いた話を踏まえても適任だと思うわ。ただ……元は閣下が城から出した者ということもある。まずは、当主である閣下の意向を確認しなければいけないでしょうね」

「ノクス様がお戻りになるのは、問題がなければあと数日後です」


ライナーがそう告げると、私はうなずいた。


「それまでの間に、城の人員配置を整理し、別館の厄介ごとを解決し、城の内装をより良くするための準備を進めておきましょう」


そして、ジェフリー・カーライルには、まだ交流があるというノーラから声をかけてもらうことになった。さらに、領地に残る元家臣たちの中で、今もなお旦那様を支えたいと願う者がいれば、彼らにも話を持ちかけるようにと私は指示を出した。


こうして、私の執務室で行われた話し合いは幕を閉じたのである。

アイリスの旦那様、まさかの6歳から仕事を請け負うという過酷な少年期を過ごしておりました…

次回は、別館の侍女たちをどうにかします。


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