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私は、泣いてしまったノエルをしばらく抱きしめ続けて、その黒髪を撫でながら彼が落ち着くのを待った。しばらくして、ノエルはしゃくりあげながらも私の胸元に埋めていた頭を動かした。私はそんな彼の目元にそれまで頭を撫でていた手を持っていき、大きな金眼に溜まった涙を拭ってやる。まだ涙が出てしまうのか、拭ってもその目は潤み、涙が溜まっていった。
部屋を出ていたはずのアンドレアがいつの間にか戻ってきていて、私にそっとハンカチを差し出してきた。私はそれを受け取り、ノエルの顔を拭った。そうしてしばらくするとやっと落ち着いてきたのか、ノエルの涙は止まってきた。まだ瞳は潤んでいて、金色の瞳はキラキラと輝いている。そんな彼に、私は先ほどまで彼の涙を拭っていたハンカチをそっと差し出す。ノエルはためらいがちにそれを受け取り、自分の手できゅっと握りしめた。
「ありがとう……」
掠れた声でそう呟くノエルは、まだどこか不安げだったが、少しスッキリしたような表情をしていた。
「さぁ、お茶でもしながら一緒にこの部屋で過ごさない?」
私が柔らかく微笑んで提案すると、ノエルは一瞬だけ目を見開いた。驚いたような、しかしどこか安堵したような表情を浮かべると、控えめに頷いた。それを見て、私は部屋の壁際に控えていたアンドレアを呼び、お茶とおやつの用意をしてもらうことにした。
「あの…姫様」
「なぁに?アンドレア」
「その…胸元が…」
私は小声でそういうアンドレアから指摘され、ふと自分のドレスに残る涙の跡に気づいた。
(あら、着替えてきた方が良いかしらね?)
少し申し訳なさそうにしているノエルの頭を撫で、穏やかに「少しだけ待っていてね」と告げて、別室で新しいドレスに着替えることにした。
◇ ◇ ◇
着替え終わって戻ると、ノエルは私が持ってきていたいくつかの書物の一つを床に座って眺めていた。
(ただ座って本を眺めているだけなのに、とっても絵になるわぁ。可愛い…)
ついついその光景をふふふ…と眺めていたら、私が着替えにいっている間に残ってもらったヴィヴィが「手持ち無沙汰な感じでしたので…」と本をすすめてくれたらしかった。
ノエルが眺めていたのは、この王国の色々な場所が描かれている資料だった。本が好きなのだろうか。しゃがんで眺めていた彼の近くにいき、「お待たせ」と声をかける。
「本は好きかしら?」
私の問いかけに、彼は小さく頷いた。
「好き……知らない世界が知れるから」
その答えに、私は微笑みながら、彼のために新しい本を取り寄せようかと考えた。
「さあ、こっちに座りましょう」
そう言って、床に座り込んでいたノエルをそっと立たせ、手を引いてテラスへ向かった。テラスには、簡単なティータイムを楽しめるようにと置かれた椅子がある。先ほど用意をお願いしたティーセットも椅子とセットのテーブルの上に置かれている。昼を過ぎた麗らかな午後で、気持ちの良い風が吹いていた。
「ここなら気持ちいいでしょう?」
私が微笑むと、ノエルはそっと頷きながら、椅子に座った。
「お待たせ。さあ、ゆっくりお話しでもしましょうか」
ノエルは私のちょうど斜め横の席に座り、小さな指を組みながら、ちらりちらりと私の顔を窺う。何を話していいか迷っている様子の彼を見て、私は優しく問いかけた。
「さっき見ていた本、どの写真が気に入った?」
ノエルは少し考えた後、慎重に言葉を選びながら答えた。
「最初のページのお城……すごく綺麗だった。それと……その数ページ先にあった場所」
「どの場所かしら?」
気になった私は、部屋の中に置きっぱなしになっていた本を持ってきてもらい、ノエルの前に置いた。ノエルはそっと本をめくり、あるページを指差した。そこに映っていたのは、王家直轄領の一つであるイリス領の街並みだった。イリス領はここ数年で飛躍的に発展した場所であり、別名を魔法都市とも呼ばれている。魔法に長けた者たちを多く招いた学術都市の一つでもあった。ノエルが示した写真には、魔法と都市が融合し、宙を舞う灯りや透明な水路が煌めく幻想的な街並みが広がっていた。
「ここが気になったの?」
ノエルは小さく頷く。
「……すごく綺麗だった。こういう場所があるんだって思った」
私は微笑みながら、そっと彼の髪を撫でた。
(あら、嬉しいことを言ってくれるわね)
「ここはね、私が任されている領地なのよ。魔法の才能がある人は、身分に関係なく受け入れて、皆が安心して暮らせる場所を目指して作った場所なの」
そう、ノエルが綺麗だと言ったイリス領は王位継承権を持つ王族に任される王家直轄領の一つで、ちょうど私に12歳の頃から与えられた場所だった。与えられた当初は特に特徴もない小さな領地だったのだが、せっかくだからと色々と試行錯誤をしていくうちに、王国の中でも有数の発展した領地になっていった。その試行錯誤の試みの一つとして挙げられるのが、別名にまでなっている魔法都市である。魔法の才能を持った者たちを身分に関係なく平民でも貴族でも受け入れていき、彼らを支援した結果、イリス領は魔法研究の盛んな魔法都市になっていった。この領地を良くしようと動く過程で、私の商会やら暗部組織やらが出来上がっていったのだが、それはまたいつか話題にしよう。
「アイリス様の……?」
ノエルは驚いたように私を見上げた。
「ええ。今度、興味があるのなら一緒にいきましょう?この写真に載っているところ以外にも面白いところいっぱいあるのよ?」
私の言葉にノエルの瞳が輝いた。
「……行ってみたい」
私は微笑み、彼の小さな手を包み込んだ。
「じゃあ、約束ね」
やがて、話題は自然と私の旦那様であり、ノエルの父親であるノクス様へと移った。
「お父様はどんな人かしら?」
私の問いに、ノエルは少し困ったように言った。
「わからない…」
どうやら私の旦那様は、ノエルとの交流がほぼ無いようだった。
(まぁ、それもそうか…)
ノクス様の家臣であるライナーですら、ノエルのことを知らなかったのだ。そして別館への立ち入りも拒否されていたのであれば、会う機会などないに等しいだろう。
その後も私たちは日が暮れるまで色々な話をした。そうしているうちに夕食の時間になり、昼食と同じように私の部屋で共に食事をとることにした。テーブルには温かい料理が並び、ノエルは少し緊張しながらも、一口ずつゆっくりと食べていった。
「美味しい?」
私が尋ねると、ノエルは小さく頷いた。
「うん…!」
その表情は、心から安心したように見えた。食事を終えた後、私は優しく微笑みながら提案した。
「ノエルさえよかったら、今夜は私の部屋で一緒に眠りましょう?」
その言葉にノエルの瞳が大きく揺れた。驚きと戸惑い、そして僅かな希望が混ざったような表情だった。
「…いいの?」
「ええ。今夜とは言わずに、しばらくは私の部屋で過ごしてほしいわ。この城にもノエルの部屋を用意するけど、素敵な部屋を用意したいからちょっと時間をちょうだいね?どうかしら?」
私の問いかけに、彼はまだ少し不安そうにしながらも嬉しそうな表情を見せる。
「いつもの場所に戻らなくても…いいの?一緒にいてもいい?」
「もちろんよ。あちらには戻らなくていいの。もちろんあなたが戻りたいというのであれば、そうしてもいいのだけれど。私としては、ノエルに一緒にいてほしいわ」
すると、ブンブンと首を横に振って「戻りたくない」とノエルは言った。
「じゃあ決まりね!」
そうしてその後も仲良く過ごした後、私の寝室で一緒に眠ることにした。一緒の寝台に入ると、ノエルはまだ少し緊張した様子だった。私はそっと彼を抱き寄せて、安心できるように背中を優しくトントンと叩いてあげる。
しばらくすると、ノエルの呼吸は次第に穏やかになり、スヤスヤと眠りについた。その寝顔を見つめながら、私も安堵の息をつく。
(この子が少しでも安心して眠れるように、そして気兼ねなく暮らせる環境を早く整えなきゃね…)
そんな思いを胸に抱きながら、私も静かに目を閉じた。
アイリスの領地であるイリス領は、アイリスの名前からとってイリスと名付けられました。
領地の発展に尽力していたのは丁度学園に通っていた頃になります。貢献に一役買ったのはもちろんレオです。学園に通いつつ忙しくしながらも、アイリスと仲間たちはイリス領を変えていくのでした。
いつかその辺の話も書けたら面白いかも…と思っています。