51話 大黒監督
そのお店は、野球選手のサインが壁いっぱいに飾ってあった。
店内には、キャベツや豚肉たちの焼けた香ばしい匂いと、濃厚なソースの匂いが充満し、空っぽのお腹を刺激する。
10席もないほどのテーブル席は埋まっており、お客さんの楽しそうな会話で活気あふれる。
自分の想像する大阪のお好み焼き屋そのものだと陽翔は思った。
「すみません。遅れました!」
少しだけ緊張した面持ちで、テーブル席に着く。
向かいの席には、陽翔を呼び出した大黒監督がいた。
なぜ、呼び出されたかは、見当もつかない。
「この辺、土地勘がなくて、迷っちゃいました」
「いえいえ、とりあえず注文しましょう」
大黒監督は既に注文を決めているみたいで、陽翔はメニューを手渡された。
パッと目についた豚チーズ一枚と、焼きそばの入ったのを一枚、それとご飯とみそ汁のついた定食セットを注文した。
店員を呼び、注文を伝える。
厨房には大きな鉄板があって、何枚ものお好み焼きが焼かれる姿が客から見える構造になっていた。
「すみません、なんで今日僕は呼ばれたんですか?」
陽翔の質問に、大黒監督は白く染まった口ひげを指で構いながら、
「私は今年で監督を辞めます。数日後、報道機関からリリースがあるでしょう」
陽翔はびっくりして、言葉がでなくなった。
大黒監督もそれ以降何も言わないので、気まずくなって、言葉を絞り出した。
「そ、それは……お疲れさまでした……」
「ふふ、これから日本シリーズありますよ」
「あ、そうですね。じゃあ最後、勝って有終の美を飾りましょう」
「ええ、そうですね」
「でも、どうして。まだ……」
まだいけるでしょう、とか言いかけて、やめた。
「もう十分、やれたので、思い残すことはない。あとは若い人に野球界を任せます。三浦くんや森本くんもですが、五十嵐くん、私は君の活躍を楽しみに余生を過ごそうと思います。あとは森田くんもね」
森田くん――これから日本シリーズで戦うウォーリアーズ監督。
陽翔とは少なからず因縁を持つ、森田監督も、大黒監督がウォーリアーズ監督時代の教え子である。
大黒監督は陽翔が生まれる前からプロ野球の監督をしていた。
選手として24年、歴代最多の三度の三冠王を獲得した。
監督として25年、リーグ優勝10回、日本一には8回なった。
いったいどれほどの時間を、野球に捧げてきたのだろう。
そんな人が“思い残すことはない”と言うのだから、外野がとやかく言うことはない。
大黒監督の野球人生の最期の舞台が、自分が戦う日本シリーズの舞台であることに気持ちが高揚した。
同時に、絶対勝たなければならないという責任感もより一層強くなった。
「今日は、それを俺に伝えに……?」
「辞める話はついでです。どうせ、数日後に、それより五十嵐くん。君とゆっくり話したかった。これまで、一回もそういう機会がなかったですから」
確かに今までは、練習や試合の合間に話すぐらいで、こういう二人だけでゆっくり話す機会はなかった。
まあ、ゆっくり話すにはこのお店は少々騒がしいし、そもそもなんでお好み焼き? とかまだまだ疑問点はあったが、根掘り葉掘り聞くわけはいかない。
大黒監督のペースで会話は進んだ。
「実際、日本人でメジャーのファーストをレギュラー張った人は一人もいない。三浦くんといえど、簡単にいかないかもしれないが、彼ならやってくれるでしょう」
「森本くんは、日本人最初のサイヤング賞を狙えるかもしれない。彼と、シーホークスの林崎くんとどちらかが日本人として最初の栄誉を掴むでしょう」」
大黒監督は三浦や森本のメジャー挑戦について話してくれたが、その目線はどうみてもただのファンで、頑張って欲しいというところに帰結していた。
「五十嵐くん、来年からもショートを守りませんか? 島岡くんがサード。三浦くんが抜けたファーストに前川さんで、どうです?」
シーズン最終戦にてチームの正襲撃手の島岡が負傷し、クライマックスシリーズにてカウボーイズのショートを守ったのは陽翔だった。
陽翔自身、子供の頃からショートを守ってきて、一番好きなポジションだが、島岡の気持ちもあるため、そこは保留としておいた。
あとは大黒監督の現役時代、監督時代の話も聞いた。
監督時代の話は自然に、元教え子の森田監督への話へと移っていった。
「森田くんは現役のころから頑固でした。私の言ったことでも、間違っていると思ったら、反論してくる。そう、三浦くんのように。私は彼が選手として、教え子として好きでした。
ただその頑固さは、指導者としてはいつか間違った選択を生む、そう思ってました」
「頑固……なんかわかりますけど、昔からそうなんですね」
頑固と言えば、娘である楓も結構、頑固者だ。
「私の監督として最期の相手が、彼で良かったと思います。彼には、これからの指導者として日本球界を引っ張って欲しい」
陽翔がふんふん頷きながら、話を聞いていると、体格の良い男の店員がやってきた。
「監督、お久しぶりです。お待たせしました」
お好み焼き三枚、陽翔の二枚と監督の一枚が目の前の鉄板に置かれ、ジューという音が上がった。
50歳ぐらいであろう男は、監督に頭を下げた。
監督は、
「久しぶり。こちら五十嵐くん」
「あ、どうも初めまして」
どうやら監督とこの店員は顔見知りらしく、陽翔は軽く頭を下げた。
「五十嵐くん! ぜひ会いたいと思っていた! 活躍は楽しみにいつも拝見してるよ」
「はあ、ありがとうございます」
「あとで、サインくれよ。一番目立つ場所に飾るからさ」
「え、ええ。もちろん」
「潤二のことは大変だったね。あいつ、頑固だからなあ」
潤二が誰のことを指すかすぐにわからなかったが、森田監督こと森田潤二であることに気づいた。
「カウボーイズに行けて――大黒監督の元へ移籍出来てよかった?」
「……まあ、そうですね。そう思ってます」
「潤二のことはどう思ってる?」
「え、答えにくいですね」
陽翔はそう言うと、「そうだよな!」と男は豪快に笑った。
「あの、えっと……」
陽翔が監督の方を向き、“この人は誰?”という視線を向けると、
「彼は、篠原大輔、元東京ウォーリアーズの選手で、私の教え子でもあります。このお店は、彼の店です。とても絶品ですよ」
監督に褒められ、篠原という男は、
「ありがとうございます!定食も後ほどお持ちします」
篠原はそれだけ言って、厨房に戻っていった。
ちょっとして定食を持ってきたのは、先ほどの男ではなく、バイトの女の子だった。
「さあ、そろそろ頂きましょう」
「あ、はい」
元プロ野球選手なら、この店にある大量の野球選手のサインも頷ける。
しかし篠原という選手、陽翔は聞いたことがなかった。
色々聞きたいことはあったが、篠原に関する話はそこで終わった。
お好み焼きは美味しかった。
大阪に住むようになり、そこそこお好み焼き屋に行くようになり、味にはうるさくなったが、この店の味は絶品だった。
これが最後の機会な気がして、たくさん話を聞いた。
技術論、精神論、心技体……野球に関わることは思いつく限り質問したし、監督はすべて丁寧に答えてくれた。
最後は篠原と監督、陽翔で写真を撮り、その場はお開きとなった。
◇◇◇◇
「篠原大輔? 確か、パパの同期入団の人でしょ」
楓の元へ、日本シリーズを控えた陽翔から電話がかかってきた。
なんでも、大黒監督に連れられ、篠原という元プロ野球選手がやっているお好み焼き屋に行ったという。
その篠原がなにやら森田潤二のことを知ってそうだったので、楓が何か知らないかと聞いてきた。
「うーん、なんでわざわざ、その人の元に連れていったんだろうとちょっと引っかかって」
「わかんないなあ。ちょっと、その篠原って人、調べてみるね。陽翔は、試合に集中しなさい」
「うん。でさあ、明日東京に入るんだけど、明後日って暇? どっか行こうよ」
「試合に集中しろって言ったでしょ」
「……まあ、そうだけど。試合の前に会いたいし、うん」
「……わかった。でも、行く場所は私が決めていい?」
「え? うーん……いいよ」
お互いに「おやすみ」と言って、通話は切れた。
楓の心臓はしきりに鳴っていた。
あっちから会いたいだなんて、初めてのことだ、しかも日本シリーズの前に。
ホントは、日本シリーズが終わった後に、自分から誘うつもりだったのに。
楓はスマホでスポーツサイトを開き、“野球”の欄を選ぶ。
今のプロ野球に関する話題は日本シリーズ一色だ。
例年なら昨日終わったドラフトに関する記事も多いのだけど、今年は圧倒的に日本シリーズについてのものが数を占める。
『あるぞ横峯、日本シリーズ先発! 森田監督ほのめかす』
東京ウォーリアーズの20歳の大型左腕、横峯についての記事だった。
横峯は今シーズン終わりに先発ローテーション入りし、4試合で2完封と抜群の成績を残した。
勢いそのままにクライマックスシリーズの第三戦に先発し、静岡ウッドペッカーズを三安打完封と快投し、ウォーリアーズの日本シリーズ出場に貢献した。
横峯の投球を見たプロ野球ファンなら誰もが思う。
林崎真二世だと。
実際、横峯は林崎に憧れ大阪樟蔭に進学を決め、完全にフォーム、球種を模倣している。
高校時代は完成度があまり高くなく、ドラフト3位での指名にとどまった。
しかし身長195センチという高身長に、150キロ近い速球に、将来的な大成を予想する声は多かった。
それが、早くも二年目にして頭角を現す。
速球はマックス158キロを記録し、高校の時弱点だったコントロールも改善した。
変化球もプロの一軍にて空振りを取れるレベルに成長し、林崎二世として本格化したといえる。
ウォーリアーズの先発投手といえば、上菅雅己とヴィンセント・ケントの二枚看板が今シーズン、圧倒的な成績を残した。
上菅はセリーグの21勝で最多勝、防御率1.63で最優秀防御率、211個の奪三振で、最多奪三振を獲得、勝率はリーグ二位で、惜しくも投手四冠を逃したが、自身三度目の沢村賞獲得を確実としている。
ヴィンセント・ケントは開幕こそ調整不足のため二軍スタートだったが、四月途中に一軍昇格後に無双を続けた。
交流戦ではカウボーイズ相手にノーヒットノーランを達成するなど、ここ数年間メジャーにおいて、全盛期の輝きを失っていたアメリカ人右腕は、充実の一年間を過ごした。
最終成績は17勝、防御率1.79、208の奪三振を奪い、3つのタイトルで上菅に次ぐ二位につけた。
そして、シーズンにおける敗戦はわずかに2。
見事に最高勝率のタイトルを獲得し、上菅の投手四冠を阻止した。
野手陣も、セリーグの他チームを寄せ付けなかった。
チームのシーズン得点は752。
2位の静岡ウッドペッカーズの648を100以上離した。
チームのコアとなる、キャッチャー阿田、セカンド吉村、サード岡村、そしてショートの坂根勇気、彼ら四人の活躍が、今シーズンのウォーリアーズの最強打線を形成したといえる。
阿田と岡村は3割30本を記録。
吉村は自身初となる3割と、40個の盗塁を記録し、初の盗塁王というタイトルを獲得した。
なかでも今シーズンのウォーリアーズで最も輝いた選手は坂根勇気だろう。
自身初となる、そして歴代のショートとして二人しかいなかった40本以上を記録。
45本を放ち、本塁打王を獲得。
さらには打率.338で首位打者も獲得。
打点王についてはチームメイトの阿田に3の差で2位だったが、あと少しで三冠王という二冠王を獲得した。
守備の要のショートとしてこの打撃成績である。
今シーズンのセリーグMVPは、坂根勇気の名が刻まれることは確実視されているし、歴代のショートとして史上最高のシーズンだったという声も多い。
クライマックスシリーズはこの四人が打ちまくり、さらには横峯、上菅、ケントがそれぞれウッドペッカーズ打線を寄せ付けなかった。
三試合で一回もリードを許すことなく、三試合合計で35得点、失点はわずか3。
圧倒的な戦力を持ってセリーグ二位を蹂躙し、日本シリーズ進出を決めた。
そのウォーリアーズとカウボーイズの戦いは、まさに頂上決戦。
陽翔のことや父という近しい人がいなくても、注目せざるを得ない戦いだと楓は思う。
ひとしきり日本シリーズのニュースを見た後、楓はあるサイトを開いた。
楓はカウボーイズに関する情報の収集やファンの反応を見るために、カウボーイズファンの集う掲示板のスレをまとめたサイトを見るのが日課になっていた。
本日、そのサイトの更新はなかった。
というか、最近更新が少ない。
カウボーイズがリーグ優勝を決めた以降、なんだかサイトの更新頻度は減っていた。
「ん」
その時、メッセージアプリの着信音がなった。
画面を見ると、兄からだった。




