3話 シーズン最終戦①
「おー、お前が五十嵐陽翔ってやつか」
ロッカールームに足を迎えた陽翔を真っ先に迎えたのはカウボーイズの背番号1番、島岡壮太だった。
「よろしく頼むで!」
“よろしくお願いします”と頭を下げた陽翔に、島岡は左腕で肩を組んだ。
右利きである彼が肩を組むのに左腕を用いたのは、右腕、正確には右手が使えないからだった。
「右手は…… 骨折って聞きましたけど……」
「あーめっちゃ痛いわ。ただまあ、今日の試合に出られへんっていうのが一番きついんやけどな」
島岡は昨日の福岡シーホークス戦で死球を受け、右手の甲を骨折し、今日の公示で登録抹消となった。
その代役として一軍に昇格したのが陽翔である。
「ホンマは五十嵐! 俺の無念を代わりに晴らしてくれ! って言いたいんやけど。あんまそうプレッシャーばっかかけられへんな。爺もけったいなことしよる。いきなり三番でスタメンなんてな」
ケガをした島岡の代役として陽翔が昇格、ここまではわかる。
なぜ急にスタメン、それもクリーンナップの一角で四番三浦の前となる重要な打順の三番を打たなきゃいけないのか。
そもそも三番ショートという役割は、島岡のものであった。
代役だからって、自分をそのまま入れるのはさすがにおかしい。
打順の形を変えたくないからだろうが、この厚遇は、カウボーイズのチームメイト、ファンからヘイトを買ってしまうのではと心配してしまう。
「ま! 気楽にやることやな! 打てへんかっても爺が悪いわけやし」
爺とは大黒監督のことを指しているのだと、陽翔はすぐに気付いた。
「そうですね……ありがとうございます。頑張ります」
「ところで五十嵐に会ったら聞きたいことあったんやけど」
「何でしょう?」
島岡は陽翔に顔を近づけると、耳打ちするように言った。
「森田の娘に手出したってホンマかいな」
「……やってません! ネットのデマです!」
◇◇◇◇
今日の試合に勝利、かつ現在3位の千葉オウルズが敗ければカウボーイズが3位となり、クライマックスシリーズ進出が決まる。
もしクライマックスシリーズ出場を果たせば、長年暗黒にどっぷりと浸かっていたカウボーイズにとって実に10年ぶりとなる。
「三番、ショートストップ、いがらし―はるとー!」
スタジアムDJがスタメン発表時に陽翔の名を告げる。
ドーム中に響き渡ったDJの声は、歓声ではなく、戸惑いを観客にもたらした。
「えー? なんで」
「何考えてんだ大黒!」
そんな声が幾重にも重なって陽翔の耳にも聞こえる。
中には首脳陣を罵るような、汚い言葉たちもある。
まあ当然だ。
他ならぬ陽翔が一番困惑しているのだから。
幸いなことに陽翔自身への野次は聞こえなかったが、それは自分への期待値が低いが故だと気づく。
今日の相手は今期パリーグの最下位、仙台ネッツ。
21世紀になってから新設された、プロ野球12球団で最も若い球団である。
今期の最下位が決定しているネッツであるが、選手たちのモチベーションは高そうだ。
今日の試合にはネッツの若きエース、則広のタイトルがかかっているからだろう。
今日ネッツ先発の則広が勝利を上げれば、今シーズンの16勝目となり、現在リーグ最多勝、福岡シーホークスの千堂に並ぶ。
既に千堂が所属する福岡シーホークスは今シーズンの全日程を終えている。
他の球団の選手も、残り日程で千堂の16勝を上回る17勝目を上げることはできない。
すなわち、則広が16勝を上げれば最多勝のタイトルが確実になる。
電光掲示板には両チームのスターティングメンバーの名が列挙されている。
チームのエースにタイトルを――というわけで既に最下位が決定しているにも拘わらず、ネッツのスターティングメンバーはベストメンバーだった。
主砲の浅山、チーム一筋13年で長年レギュラーを張り続ける鳥内など、お馴染みの名前が並ぶ。
逆に、今日の試合が天国と地獄の分かれ道であるカウボーイズの方が、三番に居座る“五十嵐陽翔”という名前のせいで、今日が消化試合であるネッツよりスタメンに違和感がある。
そんなことを思って一人苦笑していると、突然、陽翔の背後から野太い声が聞こえた。
「緊張してるか? 五十嵐」
振り返らずとも、誰の声か分かった。
「三浦さん」
三浦豪成、カウボーイズの四番にして、日本代表の四番でもあるスラッガーだ。
その歴代でも屈指と言われるバッティングは、190センチを超える体躯を生かした豪快さと、繊細かつ卓越した技術力を兼ね備えている。
「まあ、それなりに……」
「今日は頼んだぞ。大事な大事な試合の、俺の前の大事な大事な打順をな」
緊張を和らげるどころか、プレッシャーをかけてくる発言だった。
それでかつ三浦を自分で持ち上げるような発言である。
「普通は、気負うなよ、とか緊張を和らげようとするんじゃないですか……?」
「お前を三番に選んだのは俺だ」
「えっ……何で」
「お前ならできると思っているから。以上だ」
三浦はそれだけ言って陽翔に背を向ける。
陽翔を支配していた緊張が、さらにきつく体を縛ったような感覚がする。
しかし不思議と、その言葉で陽翔はようやく腹を括れた。
日本の四番が、俺に期待している。
試合開始までもう1時間もない。
やるしかない。
◇◇◇◇
先発の結木が、一回のネッツの攻撃をテンポよく三人で打ち取る。
ホームであるカウボーイズは後攻め、今シーズン一番の盛り上がりが大阪ドームを包んだ。
『一番、セカンドベースマン、たなかーしおり¬ー!』
登場曲が球場内を流れ、一番の田中が右打席に立つ。
応援団が田中の専用応援歌を奏で始める。
カウボーイズファンは歌い、田中を鼓舞する。
「ストライク! バッターアウト!」
田中のバットが空を切り、審判が右手を上げる。
場内の期待が一瞬にしてしぼむ。
さすがは最多勝を争うパリーグ屈指のピッチャーというべきか、田中が打てそうな球は一球も無かった。
あっさりと三振を喫し、ワンアウトとなる。
二番打者の迫田は二球目のストレートを打ちに行くも、打球に力が無かった。
ピッチャー前に転がったゴロを則広は悠々と処理する。
絶好調だ。
映像でしか則広の球を見たことなかった陽翔だったが、彼の調子は良いと感じた。
ストレート、変化球ともにキレがある。
『三番、ショートストップ、いがらしーはると―!』
左打席に立つ。
心なしか、カウボーイズファンの歓声が先ほど打席に立った二人よりも小さい気がする。
マウンドの則広は、左足を少し後ろに下げ、両手を後頭部の後ろに持っていく。
右足を出し、両手を胸の前に戻しながら、体を陽翔に対し、半身とする。
左足を上げ、大きく前に踏み出す。
一気に体が加速する。
下半身から腰、上半身、右腕と力が伝わっていき、最後は指先からボールへと力が乗る。
則広の指先を離れたボールは、その真っすぐな軌道を変えることなく、あっという間に捕手のミットに突き刺さった。
「ストライク!」
審判が宣告した。
電光掲示板にはストレートの球速が示される。
156キロ、か。
近年、トレーニング法の進化などにより、ピッチャーの平均球速は上昇傾向にある。
20年ほど前には一部の投手しか到達できなかった150キロという大台ストレートも、多くのピッチャーが投げられるようになってきた。
それでも最高球速が155キロを超える投手となると、そう多くはない。
ましてや試合の途中から登場し、短いイニングを投げるのが仕事のリリーフ投手と、試合の最初から登場し長いイニングを投げないといけない先発投手では事情が違う。
リリーフ投手と違い、先発投手は常に全力でというわけではいけない。
長いイニングを投げられるよう、力配分をしなければならず、初回から156キロを投じるようなことはできない。
まず最高球速が155キロを超えているピッチャーが珍しい。
さらに力配分を行ったうえで初回からそんなストレートを投げられるのは、よっぽどの馬力とスタミナを兼ね備えた先発投手だ。
そんな投手など、カウボーイズのエース森本をはじめ、ウォーリアーズのエース上菅、シーホークスのエース千堂など、12球団でも数えられるほどだろう。
この則広も、森本、上菅、千堂に並び立つ、日本を代表する投手といっていい。
二球目、則広が投じた球は、陽翔から逃げるよう鋭く横に滑っていく。際どい球を見逃すと、球審はボールを宣告した。
ストレートだけでなく、このスライダーも一級品である。
他の投手のストレートと同レベルのスピードで、鋭く軌道を変えるこの球も、ストレートと同じぐらい注意しなければならない。
しかし則広の持ち球で一番やっかいなのは、決め球のスプリットだ。
140キロ中盤の速度を持ち、突然視界から消えるように落ちる。
ツーストライクに追い込まれてしまえば、その球が来る。
そうなれば、三振の可能性が高くなってしまう。
だから、次を打つ。
狙いは、ストレート。
三球目、則広の投じた球は、陽翔の狙い通りストレートだった。
うねりを上げ突き進む剛球を、迎え撃つ。
球の速度と軌道からここに来るだろうと瞬時に計算し、そこへバットの芯を差し出す。
コーン、と少し鈍い音を立てながらも、打球はセンター前に落ちた。
センター前ヒット、陽翔は一塁へ出塁する。
記念すべきカウボーイズでの初ヒットだった。
観客も予想外と感じたか、一瞬の戸惑いのような静寂がドーム内を漂った。
しかし一拍を置いた後、歓声がドームに溢れた。
『四番、ファーストベースマン、みうらーたけなりー!』
凄まじい歓声だった。
主砲の登場に、ドームが沸いた。
興奮の坩堝の中、三浦が右打席に立つ。
ベンチのサインを確認し、土をならし、則広を見据えながら、どっしりと構える。
初球だった。
相手バッテリーは、三浦の体近くを通るような内角へのストレートを選択した。
ストライクを取りにきたのではなく、明らかに三浦へ体に近いところ――内角への意識付けをさせようというような、ボール球だった。
なのに、三浦は構わず打ちにいった。
腕をたたみ、体を抉ってくるような速い球――155キロともなる速球を体の前で捉えた。
少々詰まったように陽翔には思えた。
しかし、打球は勢いを失うことなく、フェアとファウルの境目――黄色のポールの内側を通り、レフトスタンドに突き刺さった。
「えっぐ……」
三塁審が腕を上で回し、ホームランを宣告した。
陽翔は小走りで二塁、三塁と周り、ホームベースを踏む。
ホームランを放った三浦は表情を変えることない。
大歓声の中、淡々とダイヤモンドを一周し、陽翔に続きホームを踏む。
“打撃職人”、そんな言葉を陽翔は思い浮かべる。
一回の裏、主砲の人間離れしたホームランで、カウボーイズが2点を先制した。
◇◇◇◇
64.牛を飼う名無しさん
ナイスバッティング!
71.牛を飼う名無しさん
五十嵐いけるやん!
74.牛を飼う名無しさん
79.牛を飼う名無しさん
ええやん
85.牛を飼う名無しさん
すまんな
97.牛を飼う名無しさん
一本打っただけじゃ手のひら返しせんぞ
112.牛を飼う名無しさん
悪いのは使ってる首脳陣だし
五十嵐はできることやってくれ
絶対叩かんから
132.牛を飼う名無しさん
キターーーーーー
148.牛を飼う名無しさん
三浦の一発!
162.牛を飼う名無しさん
さすが!
178.牛を飼う名無しさん
さすがすぎる
194.牛を飼う名無しさん
うおおおおおおおおおおおおおおおおお
221.牛を飼う名無しさん
よし先生
あとはピッチャー陣頼む