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第2章 西の都②

 いつものように竪琴と剣は身につけたまま、大神殿の中に入るユバルの足取りには迷いがなかった。入口にいた二人の神殿兵に近づき、小声で二、三の言葉をかける。

 神殿兵は慣れた様子で、ああ、と頷くと、剣を預けるよう求めてきた。ここで武装を解かされるのは初めてではないが、歌い人の里でのことを思い出したユバルは、武器を差し出しながら少し苦笑いした。

 それから神殿兵は、ユバルとノアを礼拝所ではなく、大神殿の裏側にあたる施設への案内に立った。

 そこは、大神殿に勤める聖職者たちや神殿兵が寝泊まりする場だ。広場の喧騒も礼拝所側のささやかな賑わいも、ここでは水を通したように遠い。

 そして通された廊下の一番奥に、凝った彫刻の施されたドアが現れた。ユバルたちを案内してきた神殿兵がそのドアをノックして、「吟遊詩人です」と声をかける。

 ほどなくして、男の声が返ってきた。

「ユバルだね。入りなさい、鍵は開いている」

 その言葉を聞いてから、神殿兵は、ユバルとノアに道を譲った。

 失礼します、とだけ呟いて、ユバルはドアを開いた。

 広い部屋だ。どれもこれも年季が入っていそうな、上品な家具や調度で統一されている。部屋の中でも窓際に二人、神殿兵が控えていた。

 それらの奥に、大神官マナセは立っていた。身分を示す首飾りを身につけ、白いシャツの上に赤いローブを羽織っている。初老の男だった。

「久しぶりだね。成果はあったのか」

 柔らかな声音でそう言い、微笑む。ユバルは小さく頭を下げた。

「成果というべきかどうかは、まだ……」

「何か見つけたことは間違いないようだね。ゆっくり聞かせておくれ」

 そう言って、部屋の真ん中にある長椅子を示す。二人が掛けたところで、マナセはユバルに尋ねてきた。

「きみの歌の報酬に贈らせてもらった、あの馬とはうまくやっているのかね。どこかできみを蹴り殺してでもいないか心配していたが」

「最初にいろいろ聞いていたとおり、相当荒っぽいやつですが、なんとか手なずけていますよ」

 さすがだね、と言ったマナセは、自分の椅子に腰を落ち着けた。そうしてノアの方に笑みを向ける。

「ユバルの馬は、わたしの所有している土地で生まれたのだよ。ひどい暴れ馬だったが、見捨てるにはなまじ駿馬でね。ユバルに引き合わせたのは、鳥獣をも魅了すると噂の吟遊詩人の力を試すためでもあったのだよ」

 ユバルが複雑な表情をしている横で、ノアはへえ、と声を上げた。

「どうしてひとつ星はユバルには従順なのかって、不思議だったわ」

「古来、優れた楽人の歌は木石の心をも動かすというんだよ」

 そう話すと、マナセはさて、とユバルに視線を戻した。

「今さらだがユバル、そのお嬢さんのことを紹介してくれないか。いきなり連れてくるとは、ただ者ではないだろう」

 ユバルは頷いた。

「こいつはノア、歌い人です。森の隠れ里を出て、おれについてきました」

 マナセは少し目をみはった。

「歌い人の隠れ里とは……ただのおとぎ話ではなかったのだね」

「はい。歌い人の里、そこに、『失われた物語』の冒頭歌が伝わっていました。それをこいつが知っている」

「きみは把握していないのかね」

 それはユバルに向けられた問いだったが、ノアの方が申し訳なさそうに目を伏せた。ユバルは苦笑し、事情を説明した。

「こいつは隠れ里では変わり者でした。歌い人なのに、正しい音で歌えない」

 そして、とユバルは言葉を続けた。

「その冒頭歌ですが、複雑で難しい作品のようです。急激な音の上がり下がり、それに速さもある。多少歌える人間でも、玄人でなければ一から十まで正確に歌うことは難しいでしょう」

「ほう」

「歌い人の長は、おれの前では歌を聴かせてくれなかった。歌を伝えられたのはノアだけですが、こいつの実力では、こういう難しい歌は再現できません。歌わせてみても、元の曲がよくわからない。だから、今回あなたに出せるのは歌詞だけです」

 そう言ってユバルは、一枚の紙を懐から取り出し、差し出した。ノアから聞き取った歌詞を書き写したものだ。

「これでいかがです。大神殿に伝わっているという『失われた物語』の一部を、話どおり見せてもらえますか」

 ノアはユバルを見上げた。吟遊詩人と大神官とのあいだで、そういった約束が取りかわされていたらしいことを理解した。

 羊皮紙を受け取ったマナセが満足げに微笑む。

「十分だよ。曲に関してはまた、おいおい研究すればよい」

「おれも努力はしてみます。物語の全体がわかってくれば、冒頭歌も解釈のしようが広がるでしょう」

 そうだねと呟いて、マナセは紙を丸めた。

「ついて来なさい。そろそろ礼拝所のほうが空くからね。『失われた物語』については、そこで話をしたい」

「ありがとうございます」

 ユバルは笑みを浮かべた。散逸した古の物語をひとつ蘇らせるという目標、それに大きく近づいた気がしていた。


 礼拝所に足を踏み入れたノアは、うわあと声を上げた。

 歴史あるパラバトール西の大神殿、その礼拝所の装飾こそ、多くの人を惹きつけてやまない。そこここに、古代の神話や物語を再現した彫像や絵画が飾られていた。

 なかでも有名なのが、天井画だった。

 幻獣、妖精、動物、そして人間たちが鮮やかに彩色され、入り乱れている。その中心には緑の服を着た男、白馬にまたがってあたりを見回すさまは、己を取り巻く世界の全てに目をやるかのようだ。礼拝所内の燈台にいくつも灯された明かりや窓ガラス越しの光を浴びて、絵画の生き物たちは、ゆらゆらと今にも動き出しそうに見えた。

「『失われた物語』……緑の騎士の英雄譚、あの彼がその主人公だよ」

 マナセが天井画の中央を示し、ノアに説明した。

「あれが……?」

「そう。物語自体は失われているが、こんなふうに芸術品や調度のようなかたちで、各地に物語が存在した証だけ残されている」

 それを聞いたノアが、ユバルを見て首をかしげる。ユバルはため息をついて、大神官の説明を引き継いだ。

「古には多少知られていた物語だってことは間違いないんだ。緑の騎士が生まれ、数々の試練を乗り越え、王の姫君と結ばれて、最後は自らが王座を継ぐ。そんな筋だってことはわかってる」

 そうそう、とマナセが頷く。

「……そしてこの冒頭歌は、彼の誕生を語る内容のようだね」

 さっき渡された紙を広げて読みなおしながら、マナセはうなった。

「歌詞を読むかぎりはまるっきり子守唄だな。この歌詞に、ユバルのいうような激しい速い曲がつくというのか」

「それが難しいところです。歌詞と曲に差がありすぎる」

 顔をしかめたユバルに、マナセは笑い声を上げた。

「それではお待ちかねだ。……あれを」

 大神官が近くに控えていた神殿兵に声をかけると、彼は一歩進み出て、腕に抱えていた布の包みを差し出した。マナセはそれを受け取り、神殿兵に向かって礼を言うと、それから、と言葉を続けた。

「悪いのだが、ここは彼らとわたしだけにしてくれないか」

 神殿兵は目を泳がせた。

「しかし、護衛も無しに……」

「よい、この者たちは信頼できる。人払いをしたいのだ」

 柔らかいが有無を言わさぬ口調だった。

 一礼した神殿兵が出て行ってしまうと、礼拝所はいったん静まり返った。ひとつ息をついたマナセが、ついてきなさい、とユバルたちに声をかけ、奥へ進みはじめた。静寂の中を、カツンカツンと三人分の足音が響く。

 礼拝所の一番奥には祭壇があり、その手前には、儀式用の講壇が置かれている。大神官はそこまで行くと、講壇の上で布包みを開いた。

 書物とは呼べるほどの量はない、古い紙の束が、ユバルの目に入った。

「それが……!」

 興奮ぎみに身を乗り出したユバルに、さよう、とマナセは頷いた。

「この大神殿に密かに安置されていた、これが、緑の騎士の英雄譚……成長した緑の騎士が、神託を受ける章だ」

「見てもいいですか」

「もちろんだよ」

 熱心な様子でさっそく物語の断片にかじりついたユバルを見て、マナセは、ふと何かを思いついた表情をした。

「……どうせならばユバル、この場でその物語を奏してみないか」

 ユバルは紙束から顔を上げた。ノアも目を輝かせた。

「わたしも、ユバルの竪琴で聞きたいな」

 ユバルが物語を演唱するのを、ノアはすでに何度か目にしていた。

 吟遊詩人のうたう物語は、多くは古代語で書かれている古いものだ。文章自体は朗読するものだが、それに合わせる楽器での演奏、そこで詩人の個性と技術が試される。

 それぞれの詩人があらかじめ自分用のものを作曲しておくか、もしくは、ほとんど即興のようなかたちで演奏するものなのだ。

 だからこそ物語は、詩人の評価と人気を大きく左右する。

 竪琴を取り出し、調弦をはじめたユバルの姿を、ノアはわくわくする思いで見つめていた。ユバルはこの物語をどんなふうに奏で、どんなふうに語るのだろう。

 竪琴の準備が整うと、ユバルは、物語の最初の部分だけ、二、三度じっくりと黙読した。

 今回は即興だ。最初の音さえ浮かべば、迷いは消える。

そうして、耳の中に流れ出した音どおり竪琴の弦をはじきつつ、ユバルは物語の朗読を開始した。

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