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第2章 西の都①

 ユバルはノアに、森から西の都にはまっすぐ歩いて一週間かかると告げたが、実際には半月歩き続けることになった。道中いくつかの町に通りかかり、ユバルはそのたびに必ず足を止め、歌や物語を披露したからだ。

 ユバルはその間、ノアをそのへんの樹につないだひとつ星のそばで待たせていた。外の人間の様子を見ていろ、と言い置いて。

 ノアにとっては多少退屈な時間になったが、ユバルの歌は聴けば聴くほど好きになったし、森の外で暮らす人間の一面を知るいい機会になったとも思う。旅慣れないノアの足に合わせてくれたのだということも、今ではわかっている。

 ユバルの歌が終わると、観衆はためらいなく、吟遊詩人の足元に置かれた小さな箱に銀貨や銅貨、ときには金貨をも投げ入れていった。ユバルに対して、心待ちにしていたよ、また来てくれたね、などと声をかける人も少なくなかった。

「ねえ、ユバルは人気者なんだね」

 西の都にほど近い町で、ノアはある観客にそう話しかけてみた。ユバルの歌が終わってすぐのこと、その気のよさそうな男は、惜しげもなく金貨を投げ入れていたのだ。

 男は、そうとも、と気さくに答えてくれた。

「おれも、何度もこの町に来てほしいって思ってるよ」

 それから、嬢ちゃんあいつが出てきた頃の評判知ってるか、と問いかけてきて、ノアが首を横に振ると、彼は芝居がかった口調でこう言った。

「朝には小鳥を集め、犬よりうまく牛を追い、暴れ馬をも和ませる」

 ノアは思わず、今はおとなしくしているひとつ星を見上げた。栗毛馬は知らん顔をして、そのそばで男はぺらぺら話し続ける。

「ユバルは吟遊詩人として知られるようになるまで、旅人の荷物持ちやら、農村の手伝いやら、なんでもやってたらしくてな。そこで機会があれば歌と竪琴を披露して、まずは鳥や獣に慕われる姿が噂になった。実力だって本物だ、名前さえ周知させたらあとは早いもんで、今じゃ都にまで評判が届いて、権力者にも目をかけられているそうだが」

 本人からは聞いたことがなかった話だ。ノアは目を丸くした。

「知らなかったよ」

「まあ、このことは最近の客は知らんだろう。ちょっと前までぽっと出の小僧っこだったのに、有名になっちまって、おっさん寂しいよ」

 そう言うと男は頭をかいて、はた、とノアを見おろした。

「嬢ちゃんは、何者だね? あいつもついに付き人を雇ったのかい?」


 観衆がいなくなり、町を発とうとひとつ星のもとに近づいたユバルに、ノアが付き人とは何かと聞いてきた。

「おれみたいな旅芸人が、身の回りの手伝いを頼むために雇う人間のことだよ。町で手分けして宣伝することもできるし、護衛のために武人を採る場合もあるな」

 そう答えるとノアは、それいいね、と言い出した。

「今度からわたしのこと、付き人ってことにすれば」

「断る。身一つでやってきたことが誇りなんだ」

 ぴしゃりとはね付けると、少女はがっかりした顔をした。ユバルは少しばかり意地悪い笑みを浮かべると、ノアにひとつ星の綱を押しつけた。

「付き人を名乗りたいなら、こいつの扱いくらいこなせないとな」

 そうして歩き出そうとしたが、ひとつ星のほうが少女を引っぱりだしたので、結局またユバルが綱を取り上げた。

 こら、とユバルが強めに引くと、栗毛馬はやっと歩きだした。ノアが唇をとがらせる。

「言うこときかないね」

「しょうがないだろ、力が強くてでかい生き物なのに、いっとう性格のきついやつなんだから。知らない人間が触ったり乗ろうとしたら暴れるのに、おまえには噛みつかないだけでも不思議だよ」

 初めて会った日もそうだったが、ひとつ星は、ノアには触られても平気な様子を見せていた。それで少しずつ世話や引き綱を任せてみているが、そのうち、互いにうまくやれそうな気配はある。

 そのときユバルは、ふとあることを思い出した。

「……そういえばこいつ、牧場にいたころ小さい生き物には優しかったらしい。馬房に入りこんだ猫とか、仔馬とかな。それと一緒なんじゃないか、ひとつ星からしたら」

 なにそれ! と怒るノアを無視して、ユバルはすたすた歩いていく。歩きながら、あわてて小走りに追ってくる少女の姿を横目に確認した。

 思い起こせば、かの歌い人たちはまるで野の鹿の群れ、生きざまも雰囲気も町の人間たちとは異質で、森と土の匂いをまとっていた。

 ノアもそうだ。群れを飛び出しても仔鹿は仔鹿、どんな町や村でも、どこか人のいる景色に溶けこまない。それでいてあの隠れ里にも居場所がなかったというノアのことを、ユバルは少しだけ哀れに思う。

 町を出て少し歩くと、くだんの都を囲む市壁はすぐに見えてきた。都に近づけば近づくほど街道は広くなり、ときおり他の旅人や馬車とすれ違うことさえあった。

 そして巨大な門がせまり、人の往来も増えてきたころ、それまで黙っていたユバルは再び、いいか、と口を開いた。

「ノア、くれぐれも言っておくが、都は人が多いから、気をつけろよ」

「何回も聞いたよ!」

「何回でも言うぞ。なるべく人にぶつかるな、声をかけられても立ち止まるな。わかってるな」

 むっとした表情のノアにかまわず、ユバルはずんずん進んだ。文句を言う暇もなく、ついていくほかなかった。

「ねえ、そういえば誰かに会うって言ってたよね。誰に会いに行くの?」

 ノアが尋ねると、ユバルはぽつんと、少しばかり偉い人だ、と答えた。

 門をくぐってみれば、人は確かに多いが、ノアが想像していたほどにぎゅう詰めでもなかった。それ以上に街道が広いのだ。

 賑やかな通りの両側には、美しい家々が立ち並んでいる。赤い屋根に白い壁、花を飾った窓。ノアは何度かついつい足を止めかけてしまい、何度かユバルの小言が飛んできた。

 やがて、広場に出た。剣を振りかざした騎士の銅像が太陽の光を浴びてぎらついている。その周りで休む人々、それに花や菓子を売る露店が目についた。

 ここが都の中央だ、とユバルは言った。

 華やかな建築物の数々は広場をも取り囲んでいたが、そのなかにひときわ大きく、荘厳な建物がある。ノアはぽかんと口を開けてそれを見上げた。

 石造りで色合いは灰色、華美ではないが、精緻な彫刻を施された外壁が目を引く。頂点に鐘を擁する尖塔が付いていて、それは一本角のように、絶妙な均整をもって天に伸びていた。

 ユバルも立ち止まっていた。

「これは大神殿だよ。パラバトールで一番重要な聖地だ。用があるのはここにいる大神官だ」

「大神官って、どういうひと?」

「雑に言うと、国で二番目に偉いひとだ」

 まじめな表情で話を聞くノアに、ユバルは努めて簡潔に説明した。

「この国で一番偉いのが東の国王で、二番目に偉いのが西の大神官。この二人が協力してパラバトールを治めているんだが、代々続く王家と違って、こっちは民衆によって選ばれる地位なんだよ」

 ノアは目を泳がせた。

「こんなにたくさんいる人たちのなかで、二番目って……それって、会うのにすごく緊張しない?」

「そりゃあ、少しだけ、な」

 それだけ答えると、ユバルはまた歩き出した。大神殿に入る前に、まずは馬と荷物を預けなくてはならない。

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