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第1章 歌う民①

 開けよ森、森の道よ……


 木漏れ日がいく筋か差しこむばかりの薄暗い森の中を、栗毛馬をつれた若い吟遊詩人が竪琴を奏で、歌いながら歩いていた。馬は手綱を引かれずとも、吟遊詩人に歩みを合わせている。

 あたりを見回す詩人の目つきは鋭い。こげ茶の髪はこざっぱりと整えられただけ、肌は健康そうに日焼けしている。樹皮がついたままの木材から彫りだしたような、荒けずりで素朴な顔立ちをしていた。

 旅荷の多くは馬に運ばせて軽装し、竪琴をおさめた木製の入れ物と、護身用の剣だけ身につけている。詩人にしては無骨な風情だ。

 この吟遊詩人は、名をユバルという。幼いころから楽の道と古詩の収集を志し、十四の歳に竪琴ひとつ抱えて故郷の農村を飛び出した。

 それから五年、ユバルは徐々に詩人としての名を揚げていた。

 彼がいま歌っているのは、古い言葉と文体で紡がれた短いまじない歌だ。

 王国を東西に分かつこの広大な森のどこかに、歌で会話する民の隠れ里があるらしい。その里は不思議な力に守られ、離れ小島のように時の流れから取り残されて、古い知識の多くを今でも伝えているという。

 その噂を聞いてからというもの、ユバルは隠れ里について二、三年かけて調べぬいた。そしてやっと、里へ至るための鍵であるというこのまじない歌を古い書物に見つけて、森へやってきたのだ。

 実際に、旅人や行商人も東西を行き来するため敷かれた道をそれ、森の深みに入りこんでしばらくすると、ぐるぐると何度も巡りくる同じ景色に遭遇した。さながらそれはおとぎ話の妖精がしかけたいたずら、ユバルはこの状況を、長い年月森の奥を隠してきた不思議のあらわれだと確信した。

 歌いはじめたのはそこからだ。この短い歌を、もう何度も繰り返した。

 前に進みながら注意ぶかく周囲を観察していると、景色が変化しはじめているのがわかって、ユバルはほっとした。

 見つけだした伝説のとおり、歌は森の秘密をひらく鍵で間違いなかったようだ。相も変わらず深緑の迷宮の中だが、樹木の種類やその並びは、見覚えのないものになってきている。

 歌うのをやめてみても、周囲や目の前の景色がもとに戻ることはなかった。森の深みを守る神秘の内側に、うまく入りこめたらしい。ある場所で足を止めたユバルは竪琴をしまい、馬の手綱をとった。

 ところが馬は動きたがらない。手綱を強めに引いたが抵抗して、前脚で地面をかいた。歌を続けてくれ、と主張しているように見えた。

「かんべんしてくれよ、ひとつ星。歓迎されるかもわからない場所に、のんきに竪琴抱えて歌うたいながら行くのは不用心だ」

 名を呼び、苦笑まじりに話しかけたが、とうぜん理解してはいまい。もう一度手綱を引くも、栗毛馬は嫌そうに顔をそむける。

 気難しい馬なのだ。たてがみは金、額にはぽつんと雫のような流星。毛並みの優美さに対し、四肢や骨つきはがっしりとして強靭だ。

 ユバルはため息をつき、ひとつ星の鼻面をたたいた。鼻歌でさっきの音をたどり、手綱を引いてみると、今度はしぶしぶといった様子で歩き出してくれた。

 それからは足を進めるごと、木々がその密度を減らしていく。

 そしてひときわ立派な二本の大樹と、そのそれぞれの根元に槍を手にして立つ見張りらしい人間の姿が目に入ったとき、そこまではまだかなり距離があったが、ユバルはいったん立ち止まった。

 槍を持った二人組が、ユバルとひとつ星に気づいて駆け寄ってきた。穏やかな様子ではない。すでに槍の穂先をこちらに向けている。

 二人の男は、槍の長さのぶんまで近づいてきて足を止めた。彼らは、古代の絵画で見るような衣服をまとっていた。膝までの長さのチュニックに、背中側で結んだ刺繍入りの布の帯。

ひとつ星が歯をむき出して首を上げ下げするのをなだめながら、ユバルは相手を静かに見つめ、出方を待った。

 ついに一人が口を開いた。おまえは何者だ? と。

 噂どおり、その言葉は歌であり、「歌詞」は古い文法だった。

 ユバルには、その言語の音の法則は知らない。ただし詩人として、古代文法に関して最低限の知識はある。彼の歌う言葉の、おおまかな意味を聞き取れはした。

 自分は詩人のユバルである、と簡単な古代文法だけで返してみた。音が普通の言語における抑揚の役割を果たしているのであれば、ひどい棒読みに聞こえたにちがいないが、伝わったようだ。歌いかけてきた男の方が軽く眉をひそめ、わずかに武器を引いた。

 そして、もう一人の男と何事か話しはじめた。ユバルは、目の前で突然歌劇をはじめられたような気分で見ていたが、ややあって、最初の男が槍を伸ばしてきた。一瞬身がまえたが、それはユバルの腰の剣をさし示しただけ、それから男は槍を持っていないほうの掌を向け、よこせ、というしぐさをした。

 そのときにはもう一方の男の槍の穂先がユバルの喉もとにぴたりと当てられていて、抵抗する気がないのはもちろん、できるわけもないから、ユバルは素直に鞘ごとベルトから外した。男はさしだされた剣を受け取ると、ユバルに背を向けた。

 ついてこい、と短く口ずさんで、男が歩きだす。もう一人がユバルの左側に立ち、槍を構えたまま、小さく促してきた。

 興奮気味のひとつ星をなだめながら、ユバルは足を踏み出した。

 二本の大樹は、隠れ里の出入り口を示す門のような存在らしい。その間を通過するとそこには、古めかしい趣はあるものの、森の外の片田舎とよく似た風景が広がっていた。懐かしさに似た思いを抱いて、農村出身のユバルは目を細めた。木造の家々、畑が多く、時代遅れの農具を手にした里人や、遊ぶ子どもたちが目につく。

 だが、ユバルが里に踏みこむと、空気は一変した。外にいた里人たちは臆病な野の鹿の群れのように、それぞれに顔を上げ、不審な表情をし、子どもらを見守っていた親はさっとわが子を引き寄せた。

 ユバルが前を行く男について里の中を進むうち、同じような槍を手にした男がさらに二人、奥から走ってきた。

 先頭の男と小声で話をし、さらにユバルの脇をかためようというのか、一人がやや距離をとって立つ。もう一人が背後に回ろうとしたのを目にして、ユバルはあわてて声を上げた。

「この馬のうしろに近づくな――」

 遅かった。馬の尻の近くに寄りながら、彼がけげんな顔でユバルを見たとき、ひとつ星が小さく跳ねた。

 鋭く繰り出された後脚の蹄は、彼に直撃した。蹴られた男は後ろ向きにひっくり返り、苦悶の表情で片腕をおさえている。

 ひとつ星は苛立ちを爆発させていた。威嚇の咆哮をあげながら、目をむいて後脚立つ。

 里人から悲鳴が上がる。ユバルをここまで囲んできた男らは、怒った様子がにじむ速く激しい調子の歌い言葉を口にし、槍を構えた。

「馬に近づかないでくれ!」

 ユバルは怒鳴り、渾身の力で手綱をおさえた。強引に頭絡をつかむと、その耳元に顔を近づけ、ひとつ星のお気に入りの歌を早口に歌ってやった。

 ひとつ星の抵抗が次第に弱くなる。目は血走り、鼻息は荒いままだが、何度か歌を聴かせるうちに、ひとつ星はやっと暴れるのをやめた。

 先頭にいた男が、この獣に何を命じた、とユバルに詰め寄ってきた。誤解をとかねばならないと考えるのと、男の急な動きに反応した馬が、再び体に力を込めたのを感じとったのは同時だった。

 万事休す、そんな言葉が頭をよぎったとき、槍の男らのあいだを割ってまた一人、壮年の男が現れた。

「ようこそ、お客人」

 ユバルをおだやかに見つめたその人物の口から飛び出したのは、驚いたことに、森の外と同じ言葉だった。

「わたしはルベン、この里の長です」

 そう自己紹介した男にたいし、ユバルはせわしなく頭を振るひとつ星の手綱をおさえながら、名乗り返した。

「おれの名はユバル。……外の言葉がわかるのか」

「この里にはわたしを含め、あなたがたの話を解する者も何人かはいる。……とにかく、我が家へ」

 ルベンは、それは預かろう、と槍の男からユバルの剣を引きとると、先に立って歩き出した。ユバルはひとつ星の首をたたき、里人たちの好奇と敵意が入りまじった視線を背に受けながら、あとに続いた。

 ルベンの家は、里の一番奥、やや小高い位置に建っていた。ユバルがひとつ星の手綱を外の手近な樹につなぐと、家の中に通された。

 向き合って卓につくと、ルベンはさっそく尋ねてきた。

「わざわざこんなところを探しあてたということは、何か目的があってのことだろう。話していただけるかな」

 話の早い相手だと思った。ユバルは、では、と口を開いた。

「外の世界で『失われた物語』と呼びならわされ、荒筋とごく一部を残して散逸した古い歌い物語がある。おれの旅の目的の一つは、その完全な姿を取り戻すことなんだ。ここなら何か残っていないかと思って」

「……『失われた物語』?」

「緑の騎士の英雄譚、そんな内容の物語をご存じないだろうか」

 ルベンの目元が緊張した。確実に何か知っている、ユバルはそう思った。

 ややあって、ルベンは再び口を開いた。

「なぜその物語を探しているのかを教えなさい」

「他の詩人が知らないものを歌えれば、それはおれの強みになるからだ」

 なぜ、とは聞かれたことがない。自分だけの武器を求めて『失われた物語』を探し求める詩人は、なにもユバルだけではない。

「……あなたは、その英雄譚について何も知らないのだね」

 そう言って、ルベンは重い表情を見せる。ユバルは身を乗り出した。

「どういうことか、教えて頂けないか」

「教えてもいい。外の人間でありながらここへたどり着いた、あなたはおそらく詩人として稀有の人なのだ」

 ルベンはそこで、簡単に教えるのもつまらない、と歌い言葉で呟いた。

「……あなたを試そうと思う。わたしの考えが正しければ、『失われた物語』は今こそ再び世に出るべきなのだ」

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