ゴズ山脈の迷宮
ゴズ山脈には昔、ドワーフ達が暮らしていた地下都市が存在する。ゴズの迷宮と呼ばれているのは、ドワーフ達が火山の噴火によって避難を強いられたからで、現在、彼らは帰還できていない。
その地下都市は、山脈の東と西に出入り口があり、過去、勇者一行がローデシアに入る際、ここを通過しているが、大魔導士アラギウスの力で、最短ルートを選択して踏破したので、全貌はアラギウスも知らない。
ミューレゲイトも、迷宮の中がどうなっているかなど興味がなく、放置していた。
ホビット達は、迷宮の中を通過する力も能力のないため、山脈越えのルートを選択していたから、時間がそうとうにかかっている。
だが、この迷宮がミューレゲイト達の問題になったのは、オーガのベラウによる報告が入ったからだ。
その日は、人間が使う暦では新年となり幾日か経過した日の朝だった。
アラギウスは毛布にくるまり寝ていた身体を伸ばして、大きな欠伸をする。そして、歯磨きをしながら大樹の家から外に出て、朝日を浴びながら空を見上げた。
コボルトが、パンを抱えてやって来た。
「おはようございますぅ!」
「おはよう! いつもありがとう!」
「今日も美味しく焼けましたぁ!」
アラギウスはパンをふたつ受け取り、水桶に溜めておいた水で口をゆすぎ室内に戻る。すると、寝台のうえで伸びをするミューレゲイトと目があった。
「おはよう、パンが届いたぞ」
「おお、わらわも朝の支度をしよう。ちょっと出ていろ」
「わかった」
ミューレゲイトは、さすがにボロをまとうのはまずいと周囲から説得され、ゴブリンやコボルト、ダークエルフが裁縫しこしらえた服をまとうようになった。それでも見事な肢体は魅力的で、アラギウスは彼女が魔王でなければ惚れていたかもしれないと苦笑する。
「入っていいぞ」
魔王は、魔法の炎を空中に浮かべ、フライパンで卵を焼き始める。養鶏場をホビット達が運営し始めて、そこから届いたのである。
「アラギウス、水の用意をしておいてくれ。パン、スライスしてくれ」
「わかった」
アラギウスが大気の魔法でパンをスライスする。パラパラとパンたちが皿の上に落ちて並んだ。そこに、ミューレゲイトが目玉焼きを載せ、一緒に焼いていたキノコや薬草類のソテーものせた。
「チーズがあればもっと美味しいのになぁ」
アラギウスがパンでソテーをすくうようにして口に運び、チーズとベーコンを恋しいと言う。
「牛を捕まえてきて、飼うかな? 豚はいるぞ、いっぱい」
「……オーク達、豚を食べて怒らないか?」
「……あいつら、豚も喰う……問題ないんじゃないか?」
朝食をとる二人は、外からの声に手と口を止めた。
「魔王様! アラギウス様! 朝からすみませんです!」
オーガのベラウの声だ。
アラギウスがパンにキノコと薬草のソテーをのせて、外に出てそれを差し出しながら尋ねた。
「どうしました?」
「頂きます! ……」
ベラウは一口で食べた。
「……美味しい! あ、報告がありました。ゴズ迷宮にゴブリンの子供が入って行ってしまいました」
「ゴブリンが?」
「捜索にいったダークエルフもひとり」
「なにがあった?」
魔王が現れる。
「ゴブリンとダークエルフ、どうして迷宮に?」
「ゴブリンの子供達が森で迷子になり、親たちが捜索していたところへ、二人のダークエルフがやってきて手伝おうと……で、どうやら迷宮の中に入ったようだぞとなったようで……我々に知らせてくれればよかったのですが、親たちは子供が心配だったのでしょう。我先にと入ろうとしたところを、ダークエルフが止めて、一人が探索に、一人は我々に知らせに来た次第です」
ミューレゲイトはアラギウスを見る。
「お前は迷宮を抜けたことがあったな? 内部はわかるか?」
「一部は……だが、複雑な地下都市で、さらに地下はドワーフが鉄や銅をとっていた鉱山になっている……そこに迷いこんだらまずい」
「ともかく、わらわと一緒に……ベラウ」
「は!」
「動ける者のうち、手練れを集めて神殿前で待機だ」
「は!」
-Arahghys Ghauht-
ゴズの迷宮と呼ばれる地下都市は、アラギウスがここを通過した頃に比べて荒廃が進んでいた。石造りの家々は崩れていて、道はあちこちが陥没し、下の層へと抜けてしまっている。
「わらわはここで待つ」
ミューレゲイトは、迷宮の西側出入り口でそう言った。
「アラギウス、お前は危険なエリアを頼む」
「わかった」
「さすが大魔導士だ。ビビってもいねぇ」
ベラウの賞賛に、アラギウスは苦笑する。
(心臓バクバクだよ)
彼はここで、危険を前に恐怖している自分を認めた。戦いの前はいつもこうだったと思い出した。死ねたら楽なのにと思っていたが、まさに死が近くなると、怖いと感じてしまう自分が情けない。
それでも彼は、必要としてくれる者達のために、崩れて穴が空いている箇所から、下の層へと降りる。彼の頭上で、オーガやオーク達が三人一組となって担当箇所の捜索を行おうとする掛け声が聞こえた。
アラギウスは魔法で光の球を作り、自分の前方に浮かべる。
仮に、未踏破地域に悪魔たちが潜んでいれば、それはとても危ないと感じる。魔族よりも凶暴で魔力が強い異形の化け物達は、いかなる神々の支配も受けない独立した悪であり、死ぬこともない。
(ここは火山が近い。バルログがいてもおかしくないな)
炎をまとう岩でできた悪魔がバルログである。
ミノタウルス三体を一瞬でひき肉にしたという話があった。
アラギウスは光の球をいくつも作り出し、周囲へと飛ばす。いなくなったゴブリンやダークエルフに光が接近すれば、アラギウスへと信号を送ってくれる魔法だ。これは魔物探知を応用した彼独自の魔法だった。
一人、二人、いた。
彼は瓦礫の上を駆け足で進み、暗闇で脅えるゴブリンの子供を見つける。
「大丈夫か?」
「ああ!」
「魔導士様」
「怪我はないか?」
「僕たちは大丈夫」
「下に……下に落ちちゃった」
アラギウスは彼らの言いたいことを理解する。
「誰か来てくれー!」
彼の声に、ベラウが駆け付けてきた。だが巨体が地下を揺らしたせいで、崩れていた通路がさらに激しく傷つけられてガラガラと崩れた。
「ベラウ!」
アラギウスの叫びに、瓦礫の下からベラウが笑う。
「はっは! すんませんです!」
(頑丈なのが取り柄だな)
アラギウスは瓦礫から這い出たベラウを助け、頭上に声をかける。
「危ない。もろくなっている! 子供達を頼む!」
アラギウスは子供たちに訊く。
「下に落ちちゃったのは何人だ?」
「えっと、ムグとゴル、あとお姉ちゃんが」
「お姉ちゃん?」
「ダークエルフのお姉ちゃん」
(三人か)
アラギウスは穴へと視線を転じて、光の球を下層へと送り込んだが、地下三層よりも下に落ちたようだ。
(くそ)
アラギウスの光の球は、彼から離れすぎると制御がきかなくなる。彼は穴から下の地面までの高さはそうでもないことから、二層から三層へと降りた。ごそごそと暗闇を蠢く存在がいるが、彼が魔力を周囲に放つと、恐れて近寄ってはこなかった。
(食人虫の類か? 子供だと危ない……ダークエルフの女、戦えるのであれば生存の可能性はあるが)
彼は暗闇を照らしながら進む。縦横に掘られた地下都市の通路は、坑道のように変化を見せてきた。置き捨てられたトロッコが倒れている。
光の球が、反応を知らせてきた。
彼は走る。
(くそ! 体力勝負は苦手なんだけど!)
廃坑となったらしい坑道の奥から、その反応はあった。
光の球が、照らしている。
ゴブリンの子供がひとり、巨大な蟻に喰われていた。
アラギウスはわきあがる怒りのまま、魔法を放つ。
「火炎!」
巨大な蟻は焼かれ、奇怪な鳴き声をあげながら黒焦げとなる。
彼は子供の遺体をそこで焼き、智恵の神ガリアンヌへの祈りをささげた。