招かざる来訪者たち
アラギウスはいつものように目覚め、ベッドのミューレゲイトがまだ夢の中だと見て、先に家の外へと歯磨きをしながら出る。そして身体をほぐしながら泉に水を汲みに行くと、パン屋のコボルトがいつものようにパンを持ってきてくれた。
「アラギウス様! ここに置いておきますです!」
籠に入ったパンがふたつ。
「いつもありがとう」
「いえいえぇ!」
コボルトは尻尾をぶんぶんと振って去って行ったが、入れ替わるようにやって来たのはホビットだった。
「大変です! たいへーん!」
「どうした!?」
アラギウスが駆け寄ると、ホビットはハァハァと肩で息をしながら、海岸に船の残骸が流れ着いて、水死体も流れてきているという報告をする。
「すぐに行く! お前は休んでろ!」
大魔導士は急いで家へと戻り、目覚めたばかりの魔王に言う。
「農園の南、海岸に船の残骸が漂着した。死体も。行ってくる」
「ああ、わかった。わらわも後で行く」
アラギウスは急ぎ評議会館へと入り、馬を厩舎から出す。そして、一目散に南を目指した。
途中、宿場町が完成間近であるのを横目に見る。
朝一番にファウスを出て、途中、馬を休ませてさらに駆けた彼が農園に到着したのは、夕刻だった。しかし、何か様子がおかしい。
農園の方向から、コボルトが逃げてきている。
「何があった!?」
逃げるコボルトは、農園からファウスへと荷を運ぶ仕事をする者だった。
「聖女が……聖女が生きていました」
「聖女!?」
アラギウスは記憶をたどり、もしかして漂着した船というのは、エリーネを乗せていた船かと思考を繋げた。そしてさらに加速し、逃げるコボルト達をかばうホビットという図を認め、彼らを睨むエリーネを見つけた。
「どきなさい! ホビット達! お前達は魔物に騙されている!」
「だから話をきけぇ! こいつらは仲間なんじゃ!」
グンナルがエリーネに叫んだ声を聞き、アラギウスは怒鳴っていた。
「エリーネ! 待て! 俺だ!」
彼女は、すぐに彼を見つけた。
「アラギウス!?」
「そうだ! 待て!」
「貴様の仕業か!? ローデシアにこのような農園をつくったのは貴様の入れ知恵だな!?」
「待て! お前、その傷はすぐに治さねば死ぬぞ。治療の途中ではなかったか!?」
アラギウスは、腹部から血を流すエリーネを見て叫んでいたのだ。
エリーネは汗で濡れた顔を歪め、腹部を押さえて数歩、進んだ。しかし、そこで力つきて倒れる。
「アラギウス様! 打ち上げられた時に材木が腹に刺さったようなんで、棘や破片を抜いていたら目を覚まして……」
「出血がひどい」
アラギウスはすぐに袖をまくり、聖女の服をやぶり腹部を改めて見る。
「血管がやられているな。材木を抜いたので出血が始まったか……水! あと鋏はあるか!? 糸と針! あとゴムの管! 水まきに使っているやつでいい」
「すぐに用意します」
慌ただしく動くホビット達とコボルト達が、水桶に水をいれて運び大小さまざまな鋏を用意するまで、彼はエリーネの腹部を押さえて出血を止めようとしていた。同時に、指示も出す。
「手の空いた者は、海岸にいって生存者がいるか見てくれ!」
ホビット達が海岸へと向かう。
アラギウスは、鋏をエリーネの傷口に滑り込ませると、ざっくりと皮膚を切った。
「ひ!」
見ていたグンナルが脅えて尋ねる。
「殺すんですか?」
「治すんだ」
アラギウスはグンナルに、傷口を持って広げろと言ったが、ホビットの長は首をイヤイヤと振った。
「頼む。助けたい」
アラギウスの表情を見て、グンナルはゴクリと喉をならし、傷口をもつと広げた。
エリーネは意識を失ったままだ。だが、胸の鼓動は続いている。
アラギウスは、出血している血管を手探りで見つけると、魔法でそこを焼いた。肉がやける嫌な匂いで、周囲のホビット達は顔をしかめる。
そこに、ミューレゲイトが到着した。
彼女は聞くよりも早く、状況を見て把握すると、アラギウスの隣に膝をつく。そして、グンナルに代われと目配せし、エリーネの傷口をもつと、アラギウスが血管を焼いて塞いでいると理解し、自らも出血箇所が他にないかと目をこらした。
「アラギウス、その腸の横、切れている。腹膜炎になるぞ」
「ありがとう」
大魔導士がそこを焼いた時、激痛の連続でエリーネが目覚めた。
「ぐぁわああああ! きゃああああ!」
魔王がエリーネにとびつき、口に拳を突っ込むと肩を押さえて叫んだ。
「助ける! 耐えろ!」
「ふぅうううう! ふううううう!」
エリーネは激痛に涙を流し、ミューレゲイトの拳に歯を立てた。鋭い痛みで皮膚が裂けたことを魔王は知ったが、こんなものは怪我にもならないとばかりに表情を変えない。しかし、黒い血がエリーネの唇から頬を伝い、後頭部へと流れていく。
グンナルが勇気を出して、エリーネの傷口を開く役をかって出た。
アラギウスは、エリーネの腹部から手を抜きだす。彼はゴムの管を挟みで切り、腕の長さほどにした。そして糸を通した針を受け取ると傷口を縫合する。しかし全てを縫合しないで、小指くらいの隙間に切ったゴムの管を突っ込み、糸と針で固定した。
「終わった」
ミューレゲイトがエリーネの口から拳を抜く。
咳込み、涙を流す大聖女は、自分を助けた者達を睨みながらも感謝を口にする。
「礼を……言うわ」
「黙れ。今は黙っていろ」
ミューレゲイトの声に、エリーネは舌打ちをしてアラギウスを見た。
「アラギウス……」
「そう睨むな……だいたい、俺のほうこそ睨みたい」
「……騙されたのよ」
「何?」
「わたしだって騙されたのよ……あの国に連中に! 騙されたのよ! あいつらが、あんたを排除する証拠を捏造して報告しろって言うから! そうしたら、わたしを重用してくれるって言うから!」
「……もういい。もう終わったことだ。すまんが、こんなところで応急処置をしただけだ。あとでオーギュスタ様に診てもらうまで安静にしていろ」
アラギウスはそこで、ふと気になっていたことをエリーネに尋ねる。
「アリス姫が行方不明にあった件、お前は関係しているか?」
大聖女は空を見上げて答えた。
「……直接は関係していない。でも、姫が逃げ出した原因は、アロセル教国の法皇の嫡男と結婚したくないからでしょう……そうだとしたら、法王の嫡男に姫を紹介して躍らせたのはわたしだから、関係はしていることになる」
「わかった。ありがとう」
アラギウスは立つと、ミューレゲイトに手を差し出す。
「なんだ?」
「来い、お前の手を手当てしよう」
「わらわの? ああ、これは問題ない。すぐに治る」
「駄目だ。ペンをもつ手だ……診させてくれ」
「……わかった」
ミューレゲイトは微笑む。
エリーネはその時の二人の表情を見て、アラギウスをローデシアに送った過去を、聖女として後悔していた。
-Arahghys Ghauht-
追放処分を言い渡されて船で移送されていた彼女は、その船中で、殺されかけたとアラギウスに話した。
森の中に建つオーギュスタの屋敷は、医院も兼ねている。その医院の宿泊用の部屋を幾日も占領している大聖女は、農園で採れたスイカをもって現れた大魔導士の人のよさに敵意も削がれて話していたのだ。
いや、後ろめたさに負けたという心情が正解なのだが、彼女はそう認めない。
「どうして、わたしが追放だけでなく命を狙われたか、わかるでしょ?」
「俺の件で秘密を知っていたから……だな?」
「そう。話した通り、わたしは指示通りにあなたの罪を捏造した。それをわたしにさせた人達は、一年間、貴方がいなくなってよくよくわかってのよ……自分達が楽をするには、あなたが必要だってことに」
「それで、冤罪の罪をお前になすりつけて俺を呼び戻そうと?」
「そう。戻ってあげたら? 前よりは大事にしてくれるんじゃないかしら?」
「……それは無理だな」
アラギウスは言い、エリーネに腹を見せろと言う。
「あんたの縫合が下手だから、嫁入り前なのに傷ものになったわ」
エリーネの文句にアラギウスは笑う。
「生きているんだ、感謝しろ」
「感謝はしてるわ……その……それよりも」
「なんだ?」
アラギウスはエリーネの傷の回復をみて、オーギュスタの治癒はすごいなと感心していると、触診する手に滴が落ちてきたとみて、顔をあげた。
エリーネは泣いていた。
(なぜお前が泣く……文句を言いたいし罵りたいし、ざまをみろと言いたいのだよ俺は……)
アラギウスは困ったようにエリーネを眺めた。
彼女は、彼の視線の意味に気づく。
「お前が泣くなといいたげね?」
「ああ……とにかく、癒えたら去れ。言いたいことは山ほどある。とても許そうとは思わない」
「そのつもり……」
アラギウスは彼女の前を辞した。
-Arahghys Ghauht-
「アラギウス様、こりゃあ大変ですよ」
ベラウの方向に、アラギウスは頷きを返す。
アルビルから異変の報せが人形を介して入ったのは今朝早くで、それは武装した人間達を追い返したというものだった。
アラギウスはそれをうけて、リーフ王国の軍がアリス姫はローデシアにいるものと勘違いしての接近だろうと思い、ベラウに依頼して斥候した後、エリーネを見舞っていた。
しかし、リーフ王国だけでなく、アロセル教国の軍勢まで迫っているという報告を受けて、急ぎゴズ山脈へと駆けたのである。
そして夜になり迷宮東側の入り口から外を眺めると、大軍が山脈の東側に迫っていることを大量の松明の灯りで知らされたのだ。
「これは……リーフとアロセルだけではないな」
アラギウスの読みは、翌日の朝には事実であるとわかる。
リーフ王国の要請を受けて、アロセル教国と北方騎士団、ハイランド王国にローランド公国の軍旗まで掲げられた大軍は、一万を超えるのではないかと疑うほどに圧倒的な軍容である。
すでに駆け付けていたミューレゲイトは、その大軍がどうしてローデシアに迫るのかと思い、そのアリスという姫がローデシアに入っていないことを説明すれば、軍を退くだろうかとアラギウスに問うも、自らそれはないだろうなとわかっていながら尋ねている。ゆえに大魔導士は、彼女の考えを肯定した。
「退かないだろう」
「そうか……だが、話し合いを求める口実には使えるかもしれないな」
「その姫の件、我々はあくまでも知っていてはならない。相手の口から問われて、知らないと答えるべきだ。でなければ、どこで知ったと訊かれ、グーリットでやっていることがばれるとハイランドにも迷惑がかかる」
「ハイランドは軍を派遣しているぞ。我々は見捨てられたのか?」
「いや、あくまでもハイランドは我々との関係を表に出せない。裏で繋がっています。よって、レイ王はしかたなく参陣しているのでしょう。断るのがおかしいから……だから、相手の戦力にハイランドの軍は計算しなくても良い……」
アラギウスはそこで言葉をきると水を飲み、喉を潤してから続ける。
「だが、それでも大軍だ。仮に、俺とお前が全力で戦ったとして、勝てんと思う」
「……まぁ、わらわもさすがにあれを相手に脳筋のような発言はできん」
ミューレゲイトの言いようにアラギウスは笑う。
二人は、迷宮東側入り口から外に出て、木々を背に並んでいる。その脇にベラウが控えていて、おそろしいほどの軍勢を前に脅えていない二人を見て畏怖を覚えていた。いや、彼はアラギウスにこそ、恐れを抱いた。
(魔王様ならばわかるが……さすが大魔導士……)
アラギウスがそのベラウを見た。
「軍使を出す。ダークエルフがいいだろう。こちらは魔王と側近一名が参加するゆえ、各国の代表に参加を要請するように。日時は明日の日没。場所はここだ」
「了解」
ベラウが後方へと目配せをして、部下達が慌ただしく動く。
オーガとオーク、ゴブリン、コボルト、ダークエルフのローデシア軍は五〇〇を少し超える程度の規模である。あくまでもローデシア内の治安維持、事件捜査などが主任務であるので、戦闘訓練というより、組織での訓練をしていない。
戦争では勝てないことを、ベラウが誰よりもわかっていた。だから彼は、二人が戦いを求めないかとひやひやしていたが、杞憂であったと安堵する。
(俺が知るお二人が、そのような馬鹿であるはずがないか)
彼は、胸中で二人に詫びたのである。