Ex3-1.求愛と魅了 下
チェルの認識している求愛が自分の知っている物と全く違う物だとラビアはすぐに把握した。
そして元凶が魔王と言う事も察する。チェルを見ている限りエリーゼもどうやら否定していないようだ。きっとそれはチェルにとって都合の良い言葉なのだろう。
(二匹ともチェルくんに甘いんだから)
ラビアは毒づくように息を吐いた。
「惑わしているのは誰だろうね。ねえ。チェルくん。姫ちゃんにキスしてみたら?」
「そんなわけのわからない事を」
「そしたらチェルくんはもっと姫ちゃんのことを愛する事が出来るよ」
「もっと?」
ラビアの言葉にチェルの眉間の皺が増えた。もっと。それはチェルがエリーゼを愛していないと言われているようだった。
「うん。もっとだよ。……って、言葉で言ってもわからないか。なら試してみたら。チェルくんの唇を姫ちゃんの唇に合わせるだけだよ」
「魅了ではないのか?」
そんな気軽に言うな。そんな気持ちが含まれているのかチェルは苦い表情をしながら言った。
「ふふっ。チェルくんが魅了されちゃうかもね」
「俺が?」
「ほら、姫ちゃんからもキスしてるでしょ」
ラビアの言葉でチェルは考える。キスと言う行為は唇と唇を合わせる。それなら確かに見方を変えるとエリーゼがチェルにキスをすることになる。
「そうだな。それなら問題はないが」
「問題はないんだ。なら試したら? そうそう。効果があったら今日の事は目を瞑ってね」
(そんなわけのわからない事をエルに出来るわけがないだろう)
効果があったら。ラビアの言葉にチェルはそう考えながら顔を顰めた。
だがこれ以上ラビアをここにいさせる方が問題だったため、チェルは無理やり話を終わらせる事にした。
「……わかった。もう来るな。さっさと帰ってくれ」
「うん。約束だよ。じゃあまたね」
ラビアは満足気な表情をすると手を振り、チェルに背を向け、どこかへと向かった。チェルは戻って来られたら困るため、ラビアが見えなくなるまで見送った。
ラビアが見えなくなった事を確認すると、チェルは扉を開き、部屋の中にカートを入れる。そして内側から鍵をかけた。
エリーゼが寝ているからか、その動作はいつもよりもゆっくりとしていた。
(ラビアが来るとはな。これからは鍵をかけた方が良さそうだ)
チェルが蛇になった時は魔王が訪れていた。今回も魔王が来る者だと油断して鍵をかけていなかった。
チェルは今までの出来事を考えながら苦い顔をしたが、すぐに気持ちを切り替えるように瞬きをすると、カートの取っ手に手をかけ、ゆっくりと机の横に移動する。
いつもの場所に置いた事を確認するとベッドへ向かい、エリーゼを見た。エリーゼはこの騒動に気付いていないのか、すやすやと心地良い寝息をしながら気持ち良さそうに眠っていた。
(飯は食うときに温めれば良いな)
エリーゼを起こすのは忍びない。起きるまで読書をしながら時間を潰そうと思ったが、頭に浮かぶのは先ほどラビアが口にしていたキスと言う言葉だった。
ラビアに対して興味がないとは言っていたが、チェルにとって気になる言葉はいくつかあった。”求愛は愛を求める””キスをすればエリーゼをもっと愛することができる”
(俺の唇をエルの唇に当てると俺はエルを更に愛することが出来る。更に。なら今の俺はエルを愛し切れていないのだろうか?)
チェルは頭に浮かぶ疑問を消化出来なく、キスを整理するように、ゆっくりとエリーゼの唇に触れた。するとチェルの体温の冷たさにエリーゼが目を覚ました。
すぐにエリーゼの視界に入るのはチェルの顔だった。そしてチェルがエリーゼの唇に触れていることに気付く。チェルが唇に触れている。エリーゼはその状況について行けず、固まるようにチェルを見つめていた。
なんとも言えない沈黙が流れた。何も言わないエリーゼに対して、チェルが恐る恐る口を開いた。
「邪魔だったな」
「邪魔じゃないです。その、ビックリして、心の準備が出来てなかっただけです」
「そうか」
チェルはエリーゼの言葉に安心するように息を吐き、自身の指をエリーゼの唇から離す。
エリーゼは人だからチェルとは違う。心の準備が必要だった。抱きしめたいからとチェルのように頻繁に抱きしめない。
それはエリーゼと自分が違う生き物だからだと理解していた。だがその時のチェルには喉が渇いたような満たされない気持ちが生まれていたのも、また事実だった。
「なにか、あったのですか?」
エリーゼが起き上がるとチェルにゆっくりと近づき、そのままチェルの様子を窺うように見上げた。
「キスを考えていた」
真剣に見つめるエリーゼに対してチェルは誤魔化すことが出来なかった。
チェルが伝えるとエリーゼは再び固まった。エリーゼはキスをチェルが知っているとは思わなく、チェルの言っているキスが人のキスと同じか考える。
チェルはそんなエリーゼを見ていると心が締めつけられるような気がした。
魅了。求愛。未だに良くわからないがエリーゼの反応を見る限り、この話を降るのは避けた方が良い。
「どうぞ!」
チェルがどう終わらせようか考えていると、エリーゼが勢いよくチェルへ伝える。そしてチェルに言葉を挟ませないように急いで目を瞑った。
そっと向けられた唇を見て、チェルが考える。求愛は止めた方が良いと心のどこかで聞こえた気がするが、それ以上に”エリーゼをもっと愛することが出来る。”ラビアの言葉が頭に浮かぶ。
「愛している」
エリーゼへの気持ちを確かめるようにチェルは言葉にし、エリーゼの顔を固定するように優しく頬に触れ、恐る恐る近づいた。
チェルの鼻先がエリーゼの鼻先を掠めるように触れると、チェルはぶつからないように急いで顔の角度を変えた。それから再びゆっくりとエリーゼの唇へ自身の唇を近づけた。
すぐにチェルの唇がエリーゼの唇に優しく触れた。
エリーゼとのキスは長くも感じるし短くも感じる時間だった。そっと唇を離すとエリーゼは未だに目を瞑り唇を差し出していた。
チェルの胸の中に何かが生まれた。それは狩りをするときのような高揚感でもあり、愛していると言うときに広がる満足感のようでもあった。これが魅了なのか。心を操るとは少し違うように思えた。心が落ち着き、再びエリーゼを見るとキスをもう一度したいと感じた。
「……エル」
エリーゼの心は準備が必要だ。キスをしたいと伝えなければならない。その事は頭の中でわかっていたがそれよりも先に体が勝手に動いた。
それはエリーゼが目を開けようとした瞬間で、エリーゼの視界がオレンジで染め上げられた時に再び唇に柔らかい感触が触れた。
チェルがキスをすると心の中がエリーゼで埋まる。更にエリーゼを愛することが出来る。なんとなくだがその意味がわかった気がした。




