55.不穏の始まり
キングタートルの襲撃から私の生活が大きく変わった。
チェルさんの仕事を手伝う事になり、自然とチェルさんとの時間も増えた。
朝ご飯の時間より少し早い時間にチェルさんがこの部屋に来て、それから寝る時間までほぼ一緒だ。
ご褒美ばっかりな気がするけど、ちゃんと仕事もしているからギリギリセーフだと思う。
仕事は報告書の見直し。前世の知識をフル活用して、危険度SをAやBにしている。
これでここの魔物さん達も怪我しにくくなるし、私もチェルさんと一緒にいられる。魔王様とウィンウィンになっていると良いな。
いや、私の方が貰ってばかりだな。チェルさんとずっと一緒だし。
ずっと一緒。嬉しいな。けどそれなのに未だにチェルさんには慣れない。寧ろ毎日好きが更新されていっている。
チェルさんからはこの恋は報われないと言われているようなものなのに。
チェルさんは罪深い魔物さんだ。
今も何回か見させて貰っている寝顔で、また好きが増えた。
眉間に皺がなくて穏やかな表情。私は隣にいるのが許されているんだろうなと思うと嬉しい。だけどどこか胸が痛くなる。
チェルさんは無理をしていないだろうか。自分の部屋で休みたくないんだろうか?
チェルさんは冬が苦手。だから少し前に調子が悪くなった。
時々様子を見ているがあれ以来、辛そうな表情を見せる事はなかった。落ち着いていると信じたいが、お昼寝の時間が増えている気がする。
休むのは良いことだ。このまま休んで欲しい。だけど――
「どうした?」
チェルさんがゆっくりと目を開き、私の方向を見ながら言う。その表情はいつも通りだった。
「何もないです。ごめんなさい。休んでいて下さい」
「充分休んでいる」
「この部屋に来ていただいているんですよ」
チェルさんに気にかけて貰っている。嬉しいけど、それよりも無理をしていないかの方ばかり気になる。
「姫は気にしすぎだ」
「チェルさんが気にしなさすぎなんです」
「気にする必要はない」
あまり詮索して欲しくなさそうだけど、チェルさん冬が苦手って言っていたしな。部屋で休むのが一番だ。
じっと見つめているとチェルさんが視線を逸らした。そして苦い顔をしてゆっくりと口を開いた。
「勇者を倒すのなら」
今は勇者の話をしていないのに。なんか勇者を倒すのが大事ってなってしまったのはちょっとだけむかつく。
「勇者は関係ないです」
「姫?」
「気にしているのはチェルさんが、えーっと、チェルさんと一緒にいたいからです」
勢いで好きと言いそうになったので、急いで言い換える。
チェルさんは戦力だけど、戦力じゃない。私の大事な人だ。
「一緒に?」
「はい。チェルさんだって。無理をしちゃダメって言っています。私も同じです。勇者を倒すのが大事なのは、チェルさんと一緒にいたいからですよ。だから無理してまですることじゃないです。もし春になってからの方が本格的に動けるなら、休んでてください。その分私が仕事をします」
「春まで」
「はい。私は特に苦手な気候はないんです。なので春になったら一緒に考えましょう。あっ。けど、無理をするのはだめです」
「そう、か。春か」
チェルさんの体調不良は冬の寒さが原因と聞いていた。なので冬が過ぎたら落ち着くと思っていたのだが、なんとも歯切れが悪い返答だ。
「春も苦手なのですか?」
「いや。そういうわけではないが、春は」
何かあるようだった。そっと見つめているとチェルさんが辛そうな表情をする。
「チェルさん?」
そのままチェルさんの額に触れるとこの前の時と同じくらいにとても冷たくなっていた。
「姫、触れるのは、良くない。嫌なわけでは、いや、その、こが」
チェルさんが更に辛そうな顔をした。この前よりも辛いのか、胸を押さえ、うずくまる。
様子を窺うように触れた肩は触れた手が痛くなるくらいに冷たい。おかしい。
急いでチェルさんの状態異常を見ると寒冷がかかっていた。
「チェルさん。月の欠片を!」
月の欠片なら治せるかもしれない。そのまま声をかけるとチェルさんはゆっくりと立ち上がり、私を見る。
「き、か……ない」
言葉を出すのも辛いみたいだった。付与されている状態異常はチェルさん固有のものなのかもしれない。
月の欠片が効かないのならば、チェルさんを温めよう。まずは毛布だ。何もないよりはましだ。
「待っていて下さいね。今急いで毛布を取ってきます」
急いでベッドに向かおうとすると、突然チェルさんが立ち上がる。
ベッドに入りたいのかもしれない。問題ない。案内しよう。そのままチェルさんの手に触れると、チェルさんは私の手をそっと払い、そのまま扉の方へと歩いて行く。
それは予想外のことで胸が痛くなったが、チェルさんをほっといてはだめだ。急いでチェルさんの元へと向かう。
「チェルさん」
チェルさんに声をかけるが。チェルさんは私の方向など見ずに、おぼつかない足取りで扉へと向かう。
「へやに、か……え、る」
消え入りそうな声だった。チェルさんの部屋で休んで頂くのが一番だが、この状態で部屋に戻るのは良くない。
「少し落ち着いてからの方が良いです。私のベッドに」
「べ……。――っ。む、り……だ」
チェルさんの顔が歪む。そして扉の方向を見る。
戻るつもりだ。嫌でもこの部屋で休んで貰う。手を広げ、部屋から出させないようにチェルさんの前に立つ。
チェルさんの力には敵わないのはわかる。だからと言って、諦めちゃいけない。
「通しません!」
「ど、いて、く」
「嫌です! 少し落ち着いて下さい。閉じ込めるつもりはないんです。動けるようになるまでここで休んで欲しいだけです」
チェルさんの目を見て話す。チェルさんは私のことをじっと見たまま何も言わない。
「む、りだ。み、られたら、エ、リ、ゼに、きら、わ、る」
チェルさんが苦い顔をして私から視線をそらす。私に嫌われる? 一瞬、聞き間違いかと思ったがチェルさんの表情は切なげに答えを待っているようだった。
たとえ聞き間違いだったとしても良い。私が恥ずかしいだけ。急いで答える。
「私は何があってもチェルさんのことを嫌いになんてなりませんよ」
「そんな、ことを、言っ」
チェルさんがしゃがみ込んでうずくまる。
急いで近づくとそのまま勢いで抱きしめる。チェルさんの体は氷を抱きしめているかと錯覚するくらいに冷たい。冷たさで体中が痛いが離しちゃだめだ。
「嫌いになりません。絶対です」
「きたいは、したく」
チェルさんの声が先程よりも柔らかく聞こえた。私の体温で少しでも温まって貰ったら。チェルさんが苦しくならないくらいの力加減で抱きしめていると段々とチェルさんから冷たさがなくなり、小さくなっていく。
小さく? なんでだ?
「チェルさん!」
急いでチェルさんを見るとチェルさんは服だけになっていた。そのまま服を見つめているとポトリと落ちる音が部屋の中に響いた。
チェルさんが消えた? 見られたら嫌われる。チェルさんの言葉が頭に浮かぶ。
私に見られたくないから消えてしまった。
「チェルさん。私と一緒にいてくれないんですか」
服に声をかけても返事はない。
しばらくするとどこからかこぼれ落ちたのか、水の雫がチェルさんの服にぽつりと落ちた。
続きは次章となります。
三章の前に閑話がはいります。引き続き第三章もよろしくお願いします。




