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4.姫の日常


 魔王城に来て一カ月。私の中の人質像が変わりかけていた。


 強制労働なんてこともない。朝昼晩は美味しいご飯をチェルさんが持ってきてくれる。

 お風呂に洋服は洗濯してくれる上にアイロンまでかけてくれて、何もしなくていいかと思うくらいだ。もちろん余計な事をするとチェルさんのお仕事を増やすことになるので、何もしないのが一番なのはわかっている。


 魔王様がこの部屋に来ることもないし、不思議なくらいに平穏だった。


 唯一の制限で部屋の外からは出られないが、窓から見える景色で充分だ。

 と言うか実家でも幽閉されているようなものだったし。チェルさんが来てくれるのでロンディネなんかと比べちゃいけない。


 ……帰りたくないな。


 当たり前か。ロンディネへの帰還はバッドエンドだしな。ここにずっと居たいな。


 だめだ。そんな事を考えていたら本当に勇者が来てしまうかもしれない。別の事だ。別の事。えーっと。チェルさんの事を考えよう。

 チェルさんはどれくらいで来てくれるかな? そう思いながら時計に視線を移し時間を見ると、時計の針は十一時五十分を差していた。後十分。もうちょっとだ。


 今日もチェルさんとお話しが出来ると良いな。そんな事を考えていると十分なんてあっという間だったようだ。気付いたら十二時を知らせる扉を叩く音が聞こえた。


 チェルさんだ。嬉しい気持ちを落ち着かせるように息を吐くと扉へ向かう。ゆっくりと扉を開けるとカートを持ったチェルさんが視界に入る。


「姫。飯の時間だ」

「はい。チェルさん。ありがとうございます。今、ドアを開けてますね」

「ああ」


 カートが通りやすいようにドアを開けるとチェルさんが部屋の中に入る。チェルさんが机に向かうのを見届けてから私はゆっくりと扉を閉める。

 チェルさんの元に向かうとチェルさんは机に料理を置き始めていた。

 料理を置き終えると「準備が出来たぞ」私に声をかけてくれる。私はその言葉で椅子に座りまずは料理を見る。毒のチェックだ。


「相変わらず才能の無駄遣いだな」


 ご飯のチェックをしている私を見ながらチェルさんが言った。

 確認が終わったらすぐにご飯を食べることを知っているのでチェルさんは待ってくれる。今日も毒が入っていなかった。


「癖になってしまって、ここに来てから作ってくれた方に申し訳ないと思うばかりです」


 毒を盛られるのが当たり前だったせいか、確認しないで食べるのはどうしても抵抗がある。

 だがここの料理は毒が入っていないし、美味しい。だからこそ最近は毒が入っているか確認する度に罪悪感が生まれてくる。

 チェルさんはこうやって油断をさせる手があるからな用心深いことは良いことだ。なんて言ってくれるが、その言葉すら罪悪感に繋がってしまっていた。


「そうなのか。食器を渡すときはどれが食いつきが良かったか聞いていた」

「だって美味しいんですよ。残すのはもったいないです! ……だからです。こんなに美味しい料理に毒が入っていると疑うのが申し訳なくて」

「お前は魔王に勝手に連れてこられたんだろう。仕方ないだろう。もし何か言われたら魔王のせいだとでも言っておけ」


 口調はきついが、チェルさんの言葉は優しい。囚われの姫が魔王様のせいにするのはどうかと思うけど、その言葉で少し気持ちが楽になるのは確か。思わず緩みそうになる唇をきゅっとしめて返事をする。


「はい」

「そう言えば、お前はさらわれているのに城から出るとは考えないんだな」

「もちろんです。この部屋から出ないので安心して下さい」

「そうか。俺としては手間がなく助かるが、一週間くらい経っているんだ。一度くらい逃げていてもおかしくないだろう」


 一週間? 一カ月経っているのに。

 チェルさんの時間間隔が違う気がする。魔物さんだし、もしかしたらそれほど長生きなのかもしれない。けどわざわざいう事じゃないし、流しておこう。


「チェルさんの仕事を増やしたくないだけですよ。それにここは好待遇ですし」

「それは助かる。ならさっさと食い始めてくれ」


 そうだ。早めに終わらせてチェルさんを解放しないと。毒の確認が終わったので急いでフォークを持つ。


「はい。いただきます」


 そう言うと目の前のハンバーグを小さく切った。



 ***



「大人しくしている割に食べ物に警戒しているのが奇妙だな」


 食べている途中にぽつりとチェルさんが呟くように言った。

 毒殺されかけていたなんて、有り得ないことだろうし、チェルさんにロンディネでのことは知られない方が良い。

 私は一応魔王様に攫われて警戒されていることになっているし、それでいくか。


「魔王様のせいです」

「それは知っているが、お前も妙だ。ここに来た時も準備万端のようだし、まるで捕まるのがわかっていたみたいだな」


 チェルさんは気にしないようで私の事をよく見ている。四天王だし、突然現れた人間を警戒しているのかもしれない。

 なんか考えると気分が落ち込みそうだ。いやけど私の行動が問題だ。こんな準備万端な囚われの姫は普通いない。スパイなんて思われてしまう事だってあるかもしれない。


 それはまずい。どう答えようか考えているとチェルさんが怪訝な表情で私を見る。


「お前は何か隠しているな」


 鋭い。どうしよう。前世の話をする? チェルさんに嘘をつきたくないし。それにこの空気で隠すことは出来ない。

 だけど話したら絶対、面倒事だからこいつの監視はごめんだと言われてしまいそうだ。それは辛い。


「まあ良いか。面倒事はごめんだしな」


 どうしようか考えているとチェルさんが言った。やっぱり前世の話は絶対に言ってはいけない。そう心の中で言い聞かせてからチェルさんの方向を見る。


「チェルさんには迷惑をかけないようにします」

「助かる。魔王が関わっているってだけで嫌な予感しかしないからな」


 チェルさんがとても苦い表情をした。その表情から以前に何かあったことは読み取れた。


「何か、あったんですか? あっ、いえ。なんでも」

「隠していない。寧ろ知っていた方が良いな。少し前に魔王が二、三週間くらいか不在にしている事があった。その時に魔王の代理と面倒なことをさせられて、とても面倒だった」

「魔王様の代理ですか?」


 チェルさんは不思議な人だ。弱いなんて言っているわりに魔王代理。二、三週間くらいと言っているが先ほどの言葉から考えて、もっとしていただろう。

 魔王様の側近として信頼されている。普通なら喜ぶと思う。だけど目の前のチェルさんは思い出したくないと言わんばかりに凄く嫌な顔をしている。


「ああ。二度とごめんだ。だから姫。魔王と出かける前は言ってくれ」

「魔王様と?」

「長期間いなくなることも考えられるからな。俺もすぐ逃げる」

「わかりました」


 知っていて欲しい理由はそれか。それほど嫌だったんだな。そう思いながらチェルさんを見るとチェルさんが何か気付いたような表情に変わる。


「さっさと食えと言ったが、俺が話していたら食えないか。すまなかったな」

「いえ。食べながら聞けます」


 そうだ。食べてチェルさんを解放しないと。急いでご飯を食べるのを再開する。

 私がのんびりしていたらチェルさんのご飯も遅くなってしまう。早く食べよう。いつもよりもペースを速めるとチェルさんが待てと言った。


「急いで食えって言っているわけじゃない。消化に悪いしいつも通りでいい」

「そしたら、チェルさんのご飯が遅く」

「昼飯は先に食ってきた。問題ない。ん? お前の世話をしていたら、仕事の時間が減る。ゆっくりの方が良いな」

「それは良くないです。それでお仕事が残ってしまったら」


 仕事の時間が減ってしまう。それでまずいのではないか。仕事が溜まってしまうし。恐る恐る聞くとチェルさんの表情は変わらず話した。


「残った仕事は明日に繰り越せば良い」

「は、はい」


 魔王城はとてもホワイトのようだ。だからと言ってその言葉に甘えてしまったら魔王様に姫の監視をしすぎていると言われるかもしれない。他の魔物さんに変わってしまうのは嫌だし、あまり引き留めないようにしよう。

 そう決めると返事をし、いつものペースでご飯を食べ始める。

 ご飯はいつも通り美味しいので、気付いたらすぐに食べ終わってしまった。食べ終えるとごちそうさまでした。と言いながら手を合わせ、チェルさんの方向を見る。


「美味しかったです」

「そうか。よかったな」


 チェルさんが言った。その言葉は何となくだが最初よりも柔らかくなった気がする。気のせいかもしれないが本当だったら嬉しい。

 口がにやけそうになるのを隠しながら食器をいつものようにワゴンに乗せ、チェルさんに渡す。そしてチェルさんと一緒に扉へ向かう。


「また夕飯に来る」

「はい」


 チェルさんの背が小さくなると部屋に入り、ドアを閉める。ソファー座るとなんとなく空が見たくなって空へ視界を移動する。


 未だに青い空が綺麗だった。


 魔王城に来て一カ月。何かが起きるわけでもない。だけど私にとってこの時間はとても大切だった。


「このまま時間が止まれば良いのに」


 そう思っているが、空気を読めない雲がゆっくりと進んでいた。


チェルの時間感覚は特に規則性はないです。

感情が揺さぶられるような出来事が続くとチェルの一週間が長くなります。


チェルにとって時間は大したものではないので、意識しておらず、自然と適当になっています。まわりも知っているからチェルに対しては約束しないし、むしろ約束する前に拒否されます。

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