17.最弱四天王(自称)とロンディネの歴史書
チェルが魔王に自室に来るようにと言われたのは三時間前だった。
魔王はチェルが仕事をしている最中に何の前触れもなく現れ、チェルに「仕事が終わったら、私の部屋に来てくれ」と伝えるとすぐに去った。まわりの部下達はチェルが干渉されるのを嫌っていることを知っているため、その光景を見ても何も言わなかった。
それもあり魔王が来たのが幻覚だったようにすぐにいつも通りの光景が戻る。違うのはチェルの眉間に皺が寄っていたくらいだった。
仕事が終わると、チェルは苦い顔をし、ため息をついてから魔王の部屋へと向かった。
部屋の前に着く呼び出された事が腹立たしかったこともあり、扉は叩かずに乱雑に扉を開ける。そしてそのまま中に居るだろう魔王へ声をかけた。
「なんだ。突然呼び出して? 姫の飯の時間がある。手短にしろ」
魔王はそんなチェルの行動など気にせず、机の上に積まれている本を見ながら微笑んだ。姫の反応を考えているのか、その表情は心なしか誇らしげだった。
「姫に頼まれていた本の手配が出来たよ」
「本? ああ。その話か。ん? お前。何冊あるんだ」
チェルはそんな魔王とは正反対に視界に本の山を入れると顔をしかめた。物を欲しがらない姫がそんな量を突然渡されたら困るとは考えないのか。そう言いたげだった。
「十五冊だよ」
「相変わらずお前は加減を知らないな」
「彼女が好きな本がわからなくてね。これだけあれば一冊くらい喜んでくれるだろう」
「あいつは好みに合わずとも読む。無駄に数を増やすな」
姫は我が儘を言わない。何も欲しがらない。手間はかからないと最初は思っていたが、最近はチェルにとって好ましくないことに変わっていた。そのせいかチェルが苦い顔をした。
「詳しいんだね。これだけあれば暇を潰せるだろう。これから姫の部屋に運ぼうと思っているのだが、チェル。手伝ってくれないか?」
「これを? 全部か? そんな一気に渡されても困るだろう。数冊ずつ渡せ」
「ゆっくり読んで貰えば」
「あいつは全て読もうとするだろ。それくらいわからないのか?」
魔王の言葉にチェルの頭にはソファーの上で寝ていた姫の姿が頭に浮かぶ。姫は本の読み過ぎで体調を崩したばかりだ。本を渡すのはほどほどにした方が良い。それなのに魔王は何を考えている? そう考えながら魔王を睨んだ。
魔王にとってチェルのその言葉は予想外のもので、驚いたせいか目が僅かに大きくなった。自分以外に興味がない魔物が他者を理解しようとしている。それは魔王にとって良い誤算だった。
姫と良い関係を築いている。思わず魔王の口元が緩んだ。
「そうなのか。チェルは姫のことが詳しいんだね」
「当たり前だ。俺が姫の面倒を見ているからな」
その言葉で魔王の頭に以前チェルと対立した時の姫のことが頭によぎる。
姫はチェルの背に隠れた。自分が連れて来た姫がチェルの背中を簡単に選んでいたのは寂しかった。それは表情に表れ、魔王の笑みが寂しげなものに変わった。
「そうか。一度に渡すのはやめた方が良いのか。それだったらこの本達はチェルの部屋でいったん預かってくれないか?」
「なんでだ?」
「詳しいんだろ。姫が喜ぶタイミングでチェルが渡して欲しい」
「わかった。にしても姫の好みがわからないのに買いすぎだろう。どんな本を買ってきたんだ?」
チェルが本の山に向かうと表紙を見ていく。見ていると途中で手が止まり、魔王を見た。
そして魔王に表紙に白蛇が描かれている本の表紙を見せながら再び口を開いた。
「なんだこの本は。姫に渡す必要はないな。置いていくぞ」
「これは姫に渡そうと私が選んだものだ。チェルが弾いてしまうのなら、姫の部屋に私が持っていこう。一冊くらいなら良いだろう?」
チェルが弾くように隣に置くと魔王が明るく言った。
チェルは魔王の言葉を聞くと睨み付ける。その視線には姫の部屋に来るなそんな気持ちが含まれていた。
「どう言うことだ?」
「そのままの通りだよ。これは私が特に彼女に送りたい本だからね」
「わかった。俺から渡す。なら良いだろう。姫の部屋に勝手に来ようとするな。それにしても蛇の話など。何を考えているんだ?」
「蛇の話は偶然だよ。これはロンディネに伝わるおとぎ話だ」
「おとぎ話? 歴史書ではないのか?」
おとぎ話。チェルはその言葉は聞いた事がなかった。歴史書と言ったはずだが、どんな本だ? チェルが怪訝な表情で表紙を見る。
表紙の白蛇の目と視線があうと苦い顔をし、視線をそらす。
「そうだな。姫の言葉を借りると子供向けの本かな。これはロンディネの歴史を子供向けに書かれたものだよ」
魔王が説明するように言うが、チェルの表情はいまだに怪訝なままだった。
「蛇がなぜロンディネに関わっている? 蛇は人の助けなどしないだろう」
「何かの偶然が重なったんだろうね。偶然かも知れないが、ロンディネの者達は蛇に感謝をしている。その気持ちを忘れないようにロンディネでは親から子に読んで教えるみたいでね」
「親が? 子に? 産んで終わりではないのか?」
親と聞きチェルが怪訝な表情をした。
チェルの種族は子育てという概念がなかった。チェルが産まれた時には親はおらず、今日までチェルは自分の力で生きていた。
「人間はチェルみたいに強くないからね。一匹では生きられない。だから親が子を育てるんだ」
魔王の言葉にチェルが「ああ。そうだな」と納得するように呟いた。チェルの頭に姫が浮かぶ。彼女は簡単に熱を出した。それに本を長時間読むだけで疲れていた。食事も残さず食べているが、食べるスピードは日によってまちまちで、チェルに比べて体調は安定していない。最近は一人でいると姫に気にかける時間が増えていた。
「確かにすぐに熱を出すな。なら姫も親から聞いているのではないか? 聞き飽きては」
「どうだろうね。親に育てられた子は親から離されたときに戻りたいと願うものだよ」
魔王の声が僅かに低くなった。だがそれは一瞬でチェルが話しかけるといつものように飄々とした表情をしながら見た。
「お前は姫の事をどこまで知っているんだ?」
「黒は魔物の色だからね。あの子がロンディネで魔物の子などと言われていたことくらいは容易く想像がつくよ」
魔王がその視線をひょいとかわすように言う。チェルがその態度に顔をしかめる。
これ以上言っても無駄だ。そう感じたのかため息をつくと口を開いた。
「……そうだな。あいつの前では言うなよ。あいつはあの目がどう見られているか知らない」
食事に毒を盛られていた事があった。姫の言葉を思い出しながらチェルが言った。
「そうなのか?」
「ああ。あいつは知らなくてよい事だ」
「そうだね。だがここでは彼女の目が一番綺麗だ。それは」
「それも知る必要がない!」
魔王の言葉を遮るようにチェルが言った。
「なんでだい? 年頃の娘は容姿を褒められると喜ぶよ」
「お前が褒めているなんてあいつは知る必要がない」
「裏はないよ。姫には何もしないさ。安心してくれ姫に危害は加えない。だからそこまで私に警戒しないでくれ。それよりも本を預かることには問題ないんだろう? なら本をチェルの部屋に持っていこうか。話は運びながらでも」
「他はない。本は俺が運ぶ。お前の手助けは不要だ。俺の部屋には来る必要はない」
チェルはそのまま持ちやすいように本をまとめると持った。本は高く積まれているが、ふらつくことはなく。そのまま扉へと向かう。
「ああ。待ってくれ扉くらいは開ける」
魔王がチェルの前に立つと扉を開ける。
「何か見返りが欲しいのか?」
「そうだな。姫を頼んだよ」
「相変わらず要点を言わない言わないな。報告はする。姫に構うな」
「わかったよ。報告を待っているよ。チェル」
チェルが言い捨てるように魔王へ言うと、そのまま自室へと戻っていく。
魔王はチェルの背が小さくなるのを見届けると、魔王はため息をつきながら笑うとそのまま部屋の扉を閉めた。




