プロローグ - 2
私を迎えに来たと言う、とても柔らかい声が聞こえた。
魔王はこんなに優しいわけがないし、私の魂が目的の死神かもしれない。なんとなくそう思いながら、ゆっくりと声の方向へ視線を移す。
するとそこにはいつの間に現れたのか男の人がいた。
肩に付かないくらいの黒いサラサラヘアーに黒が混ざったような赤い瞳。
見覚えがある。『アヴェンチュラーミトロジー』の魔王だ。
ただ私を見つめる視線はラスボス戦で見た冷徹な視線ではなく、慈愛がこもった柔らかい。口元もわずかに綻んでいるようだ。
なんか乙女ゲームの王道キャラみたいだぞ。金髪碧眼の王子様の横にいるような何か隠し持ったイケメン。
ここはRPGの世界であっているよね? 急に恋愛とか用意されられても困る。そもそも魔王はイケメンだが、私の好みと聞かれるとなんかちょっと違う。
「姫?」
「は、はい! どなたですか?」
失礼なことを考えてしまった。バレないように心に隠し、急いで答えると魔王が小さく笑った。
「ふふふ、私は……魔王と名乗っても構わないかな? 配下の魔物たちにはそう呼ばれているんだ。初めまして姫君。君を私の城に迎えに来たよ」
魔王は私の前に立つとまるで執事のように私に向けて頭を下げた。予想と違う光景に戸惑いそうになる。
「は、ひゃい!」
「ふふっ。せっかくの月光浴を邪魔してしまってごめんね。ところで珍しい格好をしているね」
魔王が私の服を見ながら言った。この魔王。目ざとすぎる。ここはスルーして欲しかった。
「夜は寒いですし」
「それでもこんなに厚着だと暑くないのかい?」
無理やり理由をつけるが魔王はそれを躱すように尋ねた。
確かに今は六月だ。もう夏だというのに冬に着そうな上着はおかしい。けれど私の冬の牢屋生活がかかっているので、こちらも負けていられない。
「大丈夫ですよ」
「そうなのかい? この気候で寒いのなら、君の部屋の温度は少し高めにしたほうが良いかな?」
「い、いや」
「女性は体が冷えやすいと聞くからね。無理をする必要はないよ」
魔王は思ったよりも手強いな。私が頭の中から捻り出した言葉を軽く打ち返してくる。
「あ、ありがとうございます。暑いですが、ここから冷える? かなと思いまして」
もう言葉が出てこない。色々な意味で冷え冷えだ。魔王城に持ち込めますように。頭の中で祈りながら言うが、勝ち目がないと思う。
「今日はこのままだ。暑いのなら脱いでしまった方が良いよ。今の君はいつ倒れてしまうか心配なくらいにふらふらだからね。もしそれを魔王城に持ち込みたいのなら手にかけていれば良いよ」
「い、良いんですか? 魔王様。ありがとうございます」
「礼を言われることはしていないよ。君を攫うんだからね。姫。他にも持っていきたいものがあるなら、持ってきてくれないか」
「へっ、他にも? 良いんですか!?」
予想外の言葉だ。幻聴ではないよね。確認するように魔王を見る。先ほどから変わらず優しい表情をしていた。
「うん。君は今から私の城に引っ越しをするからね。だいたいの物は城でも準備できるが、使い慣れたものがあった方が良いだろう。部屋にあるものを好きなだけ持って来てくれて構わないよ」
「部屋に、あるものを? 好きなだけ!?」
「あぁ。もちろん。ただ、時間がないからね。十分で準備出来るかい?」
「充分です。魔王様。ありがとうございます!」
随分と慈悲深い魔王様だ。魔王様だ。うん。ちゃんと魔王様と呼ぼう。
そう思いながら部屋へと戻る。十年近く考えていたこともあり、必要なものはすぐに準備出来た。
まずはバッグだ。クローゼットの奥から数個取り出す。
これは小さい頃に私をバッグに詰めようとした人たちから回収したバッグだ。貰っておいて良かった。
誘拐未遂犯に感謝しながら、急いでバッグに上着を脱ぎ入れる。それから急いで引き出しに入っている下着と服を入れていく。
下着を見られるのはなんか恥ずかしいな。そう思いながらそっと魔王様の方を見るとさりげなく見ないようにしてくれていた。
紳士だ。良い魔王様に当たったようだ。こんなに良くしてもらっているんだ。なるべく魔王様のお手を煩わせないようにしよう。スピードアップして、服を入れていく。
他は……薬草と毒消し草か。
どうしよう薬草はお腹が空いて力が出ない時の回復に使って、毒消し草は毒入りご飯を食べたとき用。持っていきたいな。急いでベッドに向かう。
そして取り出してから気付く。これは無理だろう。
部屋の中にあるものは何でも良いと言っていたが、きっと着替えだけだ。そっと元の場所に戻し、バルコニーに行こうと振り向くと魔王と目があった。
「それは良いのかい?」
「ひぃっ」
驚き過ぎて変な声が出た。魔王様はそんな私をみて小さく笑った。
「ごめんね。そんなに驚かせる気はなかったんだ。もし迷っているなら持っていったらどうだい?」
「これは、薬草と毒消し草でして」
安心して下さい。戦闘アイテムは持っていこうなどとは考えていないです。そう魔王様に伝えながら薬草達を更に奥へと隠した。
「必要なら持っていても問題ないよ」
「あ、ありがとうございます」
優しい。魔王様のお言葉に甘えることにしよう。急いでベッドの下に隠していた薬草と毒消し草を取り出すと鞄につめる。
他はもうないはずだ。いや、ここまで持っていけるだけで充分だ。
「魔王様。準備が終わりました」
「終わった? 武器や防具はないのかい?」
魔王の前にバッグを四つ置き伝える。
既にかなりの量なのに魔王は気にしていないようだった。それよりも武器。姫の部屋に武器があったら凄いと思う。
回復役の類いもおかしいが、武器はそれ以上にない。それよりも魔王は私が武器の類いを魔王城へ持ち込むことに抵抗はないのだろうか。
「武器? 脱獄をするとは考えないんですか?」
「それだったらもう逃げているからね。ここまできちんと準備をしてくれるんだったら、心配していないよ」
「はい。ありがとうございます。魔王城ではちゃんと幽閉されてます。幽閉のプロなので!」
その言葉に魔王様の表情がわずかに暗くなった。人質が大人しいのは良いことなのに。どうしたのだろう?
そう思いながらじっと見ると先ほどまでの笑顔に戻る。暗い表情は気のせいだったのではないか。そう思う程だった。
「そうか。いや、すまなかったね」
「え?」
なんで魔王様が謝るんだろう。そのまま言葉を待っていると魔王様が気まずそうに視線を外す。
「詮索しなくて良い事を聞いてしまいそうになっただけだ。気にせずに準備をしてくれ」
「いえ。なんか変な事を言ってしまって、それよりも魔王様。終わりました」
確かに幽閉されていましたとか、初対面の人に言われたら気まずいな。この話はもうしない方が良い。それよりもさっさと魔王城に向かった方が良い。
話をすすめるように魔王様に伝えた。
「そうかい。こんなに早くまとめてくれると助かるよ。まだ時間は少しあるが、さっさとこの城から出て行こうか」
「はい!」
「では姫を案内するとしようか」
魔王様が笑った。それが合図だったのか私の荷物が羽でも生えているのではないかと思うほど優雅に宙を舞った。
それから再び満月を隠すように黒い羽が舞う。羽に視界が覆われ真っ暗になった瞬間、私の体が浮いた気がした。
思わず目を瞑る。直ぐに浮遊感はなくなり、再び足には地面の感覚が戻る。恐る恐る目を開け、足元を見ると足元が光っていた。いや私の視界が一気に明るくなったようだ。突然の明るさに目が眩む。目を守るように手を目の前に当てた。
しばらくすると目が慣れてきた。そっと手を外し、周りの景色を見る。
そこはまるでラグジュアリーホテルのロビーのようだった。視界に入るのは落ち着いた色のソファーに豪華なシャンデリア。床は鏡のように磨かれており、私の顔が見えそうだった。
奥に受付のようなものもあるようだが、時間が遅いためか誰も居なかった。
状況が飲み込めないが、まずは魔王様を見る。魔王様は私と目が合うとウィンクをしながら明るく言った。
「ようこそ。君の新しい家に。歓迎するよ」