プロローグ
起こしいただき、ありがとうございます。
かつて、大きな戦争があった。
人間と、魔族の戦争である。
最強と謳われた魔王は圧倒的であり、人間に打つ手はないと思われた。
しかし、選ばれし勇者の出現で、形成は逆転する。
勇者は魔王の幹部たちを打倒し、とうとう魔王と対峙するに到った。
「よもや、ここまで私が追い込まれる事があろうとはな」
生涯に一度も傷つけられた事のなかった魔王は、初めての痛みと、流れる血液に、興奮すると同時に、怖れをも抱いていた。死の足音が近づいてくるのを、まざまざと感じる。そのスリルに伴う生の実感に、魔王は血が滾るのを感じていた。
勇者も満身創痍であった。仲間たちは既に意識を失って倒れている。幸い、命は保っているようであるが、彼が倒れれば、待つのは死である。まさに風前のともし火であった。
「僕たちは、人の想いを背負って立っている。ここで膝を折るわけにはいかない」
魔族を殲滅する加護を授かった剣を構え、魔王と対峙する勇者。
この剣こそが、勇者のみが扱え、そして無敵の魔王を屠る唯一の手段である。
気息奄々であるにも関わらず、勇者の踏み込みは神速、瞬きの間に間合いをつめ、目にも止まらぬ抜き打ちにて、魔王のそっ首をはね飛ばさんとする。
体さばきのみで剣戟をいなし、魔力を帯びたするどい爪を、勇者の心臓を抉らんと突き出す。その速度は神速をも超える。
意識にすらのぼらぬ刹那。
勇者はその命を散らすしかないように思われた。
―――だから、意図してではなく、無意識であった。
己の身体と迫りくる死の爪の間に剣を滑りこませ、勇者は一縷の生をつなぎとめる。
砕ける魔王の爪。
「ぐっ」魔王の苦悶の声が漏れる。「怖ろしい奴よ」
勇者の剣が、魔王の腕を切り落とす。
大地に膝をつく魔王。
「もはや、これまでか」
魔王が壮絶な笑みを浮かべる。
死を悟って浮かんだ、諦めの笑みではない。
戦慄を感じ、勇者はたじろいだ。
魔王は、己の持てる力を全てそそぎ込み、魔力を暴走させた。
空では稲光がとどろき、大地は裂け、地球の悲鳴が聞こえるかのようである。
「まさか、自爆する気か」
自身の勝ちがないと踏んだ魔王が、勇者と世界を巻き添えにしようとしているのでは、と彼は考えたのだが、そうではない。
「そんな無粋な事はせん。私は、貴様を尊敬すらしている。束の間の平和を勝ち取らせてやっても良いと思えるくらいにはな」
「では、何が狙いなんだ」
「生涯使うまいと思っていた、私の魔法だ。寿命もなく、老いさらばえる事もない私には不要だと思っていた―――転生の魔法」
「転生だと!」勇者は柄を握り直し、魔王に切りかかる。「させるわけにはいかない!」
―――しかし、間に合わない。
魔王の身体が光に包まれ、姿が掻き消える。
勇者の剛剣が空を切る。
姿がないなか、魔王の哄笑が響く。
「褒美はやろう。貴様が望んだ平和だ。この私が存在しない、な。だが、永遠ではない。貴様からすれば長かろうが、私にしてみれば、僅かな時間だ。100年の後、私は目覚め、再び世界を席巻するであろう。束の間の平和を、楽しむが良い」
こうして、世界に平和が訪れた。
魔王がいない、100年限りの平和である。
魔王を屠れる勇者と言えど、100年先には生きてはいない。
新たな光の存在を、待つしかなかった。
その事実は、世間には伏せられた。
混乱と退廃を防ぐためである。
表向きには、世界は平和となったと伝えられ、民衆は歓喜した。
真実を知る賢人たちは、脅威に対抗するために、勇者に続く存在を育てんとして、新たな教育機関を設立した。
心技体を鍛え上げる教育機関『クロッカス』。
設立当初は倍率の高さが天井知らずであり、少数精鋭であったが、就学を望む者が後を絶たなかったのと、莫大な金が動くことから、徐々に受け入れ枠が拡大していき、現在は生徒数が1000人を越えるようになり、玉石混交の様相を呈している。
―――魔王の死から100年後の春。
俺こと、セイジ・ルドベキアは『クロッカス』へと入学する。
これは、他でもない、俺の物語である。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
また是非、お越し下さい。