日本にダンジョンができたワケ
魔王様に呼ばれて魔王城に赴く。
「七十二将が一柱、ペイモン=ルシーダ、参りました」
「……入れ」
城の中、魔王様の私室に入室。黒を基調とした部屋の中は、余計な装飾の無い素朴な内装。私の敬愛する魔王様は机の向こう、椅子に座り片手で目を覆っておられます。
「うう、ふぐ……」
抑えた手の下、魔王様の頬に涙が流れています? 魔王様が泣いている! いったい何が? あぁ、涙を流すお姿も愛しいです魔王様。
何があったかと、魔王様の隣に立つ宰相、デカラビアを見れば、
「なんと、なんという……」
こちらも泣いている? ハンカチを握り締め溢れる涙を止められないと、男が二人、男泣きに泣いている。
魔国の頂、魔王様とその知恵袋、宰相デカラビアが絶望するような、そんな深刻な事態が起きている? いったい何が?
「グス……、よく来たペイモン」
魔王様はティッシュで鼻をかみ、涙を拭き、私を見ます。
「みっとも無いところを見せた」
「いえ」
涙目のまま気丈に笑みを浮かべる魔王様を見て、胸がキュンと鳴る。あの魔王様が泣くところを見るのはこれで二度目。
いつもは余裕のある偉大な魔王様。その魔王様が泣くところなんて、とっても貴重な場面。
イケメン魔王様の隠された一面、泣くところに、泣いたとこを見られたと照れるところ。
あぁ、魔国の一大事に、目の保養です、とか、ありがとうございます、とか、つい思ってしまった自身の性根に反省。ごめんなさい。
「魔王様、いったい何が起きました?」
「うむ、説明するためにも、先ずはこれに目を通して欲しい」
魔王様が机の上に示すのは、一冊の雑誌?
手にとってページを開く。
……読めない。私の知らない文字で書かれている。これは何処の雑誌だ?
宰相のデカラビアが説明する。
「これは異界面干渉術式により入手した、異界の書物です」
「どうりで読めない訳だ」
「こちらが翻訳したものになります」
最初から翻訳したものを出せばいいのに。
「写真はもとの雑誌を見て下さい。見て欲しいのはこのページからのインタビュー記事です」
宰相デカラビアの渡した翻訳文を見ながら、雑誌を見る。どうやら異界の一人の男のインタビューらしい。
異界の書物に魔王様を男泣きさせるような、いったい何が描かれているのか? 警戒しつつ読み進めていく。
どうやら異界の日本と呼ばれる国の雑誌のようだ。
宰相デカラビアが魔王様の治世のお役立てに、と異界のことをいろいろと調べているのは知っている。なんの役に立つのか、よく分からないことも多いが。
ふむ、異なる世界、日本という国の雑誌。
どうやら企業した一人の男のインタビュー記事のようだ。
『そのときの僕、めちゃめちゃ意識高くて、将来は世界で一番可哀想な人のために働こうって思ったんです』
意識高い系、という奴か。
魔王様もかつては奴隷とされた魔族を開放する為に戦い、見事勝利し、この魔国を興されました。魔王様がこの男に共感するところがあったのだろうか?
『フィリピンのスラムとか、ガンジス川のほとりとか、イタリアのマフィア街とかで生活している人のために起業しようと思っていました。だけど、実際に出会ってみたら全然可哀想ではないんですよ。むしろ日本人のサラリーマンのほうが、よっぽど可哀想でした』
なんと、スラムよりもマフィアよりも可哀想な人が住む国なのか? 日本とは?
『スラムでも、難民キャンプでも、みんなすごい楽しそうに生きてるんですよね。それで、どうしようかと悩んでいたとき、クリスマスの日にたまたま渋谷の道玄坂で泣いてる男に出会ったんです。興味本位で、どうしたの? って聞いてみました』
クリスマス、とはなんだ?
「宰相デカラビア、クリスマスとはなんなんだ?」
「日本では恋人同士が愛を確かめる日だとか。他にも子供がプレゼントを貰えるお祭りだとも」
ふむ、何かのお祭りの日。そこで賑やかな町の中で、ひとりうつむき泣く男、か。
『彼は人生で一度も彼女ができたことがない二十二歳の童貞で、クリスマスイブに、失恋した女性とあわよくば、と、思って、渋谷のラブホ街に来たらしいんです。だけど、誰もいなくて、しばらくして自分の行動に絶望して泣いているところだったんです』
う、うむ……、なんとも言えない悲惨さが伝わってくる。私は女だが、魔王様の近衛、七十二将のお局様とか言われて、長く彼氏などいなかった。
いや、仕事が忙しいのもあったが余裕が無くピリピリとしていたときもあったか。
しかし、失恋した女性を探してラブホテル街をさ迷うとは、どれ程追い詰められていたんだコイツは?
『それで、なんで彼女いないの?って聞いたら、勉強もできなくて得意なこともなにも無い。社畜生活で現実世界が無理、って言うんです』
「宰相デカラビア、社畜とはなんなんだ?」
「社会の家畜、の略のようです。社会を成り立たせる為の奴隷未満の身分階級のようですね」
奴隷未満、そのような存在がいるのか。日本とはなんとも哀れな人たちが住む国のようだ。
『その渋谷の道玄坂の童貞二十二歳は、世界で一番不幸な男でした。
彼が活躍する世界があったら、彼はきっとこんな悲しい思いはしていなかったなぁって。
だから僕は、こいつを救える世界を作るために起業したんです』
なんという漢気に溢れた者だろうか。魔族を奴隷から開放する戦乱を勝ち抜いた魔王様のようではないか。
異世界にもなかなか素晴らしい男がいるではないか。哀れな童貞を救う為に世界を作ろうとは。
一通り読み終えて顔を上げる。
「魔王様、この異界の記事がいったい何を?」
「うむ……、かような気高き志を持つ勇者の住む国、異界の日本が、今、滅びに瀕している」
「そうなのですか?」
「そこで我は、日本を救おうと考えている」
「魔王様がお優しい事は存じておりますが、わざわざ異界の国ひとつを救おうというのは」
「宰相デカラビア、説明を頼む」
「は、このデカラビア、異界の日本という国を調べてみました。この地球の日本という国、いくつかの点で我らが魔国と類似するところがあります」
「この童貞がラブホテル街で泣く日本と、我らが魔国が?」
「この日本という国、世界大戦後のズタボロの中から経済復興し、そのために世界各国から注目されております。これは奴隷開放戦後、急速に経済成長を遂げた我らが魔国と同じ。魔国もまた、この世界各国の注目の的であります」
「それが宰相デカラビアが、異界の日本を研究した理由か?」
「そうです。この異界の日本の抱える社会問題は、将来的に魔国が抱える社会問題とも類似する可能性が高いと思われますので」
むう、我らが魔国でも、将来、童貞の青年がラブホテル街をさ迷い、涙を流すのだろうか?
「地球では世界規模でのデフレが問題となっているようです。そのため世界経済は低迷。日本は輸出で利益を出し経済復興したものの、それは1ドル300円時代のこと。貨幣価値が上がり1ドル108円となってからは、輸出の利益が冷え込んでおります」
う、ううむ、難しい話になった。国家間の貨幣相場事情か。つまり、昔は100ドルの製品を作れば30000円で売れた時代があったと。これで利益を出した結果、国は潤った。豊かになったことで、その国の貨幣価値が上がる。
そして、同じ100ドルの製品を作っても10800円にしかならない時代が訪れる、と。
再び輸出で利益を得ようとするなら、貨幣価値が落ちるインフレでも起きなければならないことになる。
「インターネットが発達し、グローバル化から技術の流出も起きます。こうなると、大量生産品の輸出で利益を出せるのは、貨幣価値の低い国だけ、となります」
「つまり、人件費と物価の安い国だけが、生産品輸出で利益を出せるようになる、と」
「そしてこれまで輸出で利益を上げた国は貨幣価値が高まります。その国の輸出品は高くなってしまうのです。どれだけコストを削っても貨幣価値の低い国の製品に、値段の安さでは勝てません」
「他の国が作れない物を作る、というのは?」
「技術の問題だけならグローバル化により、簡単にコピーされます。インターネットの発達により各国の技術格差を手軽に縮められます。貨幣価値が上がった国で輸出できるものは、その国独自の天然資源の方が製品よりもマシでしょうな。そして大量生産品の輸出に頼る日本では、世界レベルのデフレの影響が強いのです」
「なるほど。どんなに頑張って作っても貨幣価値の違いから安さでは勝てない、買い手に選ばれないとなるのか」
「その結果に、日本という国では社会を支える為に、社会の家畜、社畜を大量に必要としています。朝は五時に出勤、夜は残業で日付が変わっても帰れない。その上、休日出勤に手当ても付かず、サービス残業という無報酬労働。それでいて収入も低く、子供の七人に一人が経済的な理由で満足に食事もできない有り様に」
「なんだそれは? 奴隷でも食事に休息は必要なのだぞ?」
「ですから、奴隷未満の社会の家畜、社畜と呼ばれているのです」
信じられん、なんと哀れなのだ、日本の民とは。魔王様も宰相デカラビアも、漢泣きしていたのは、それが理由か。
世界一、可哀想な者の住む国、日本。どれ程働いても子供の飢えを癒せないとは。
「この日本を救う手立てがあれば、将来的に我が魔国に起こるであろう社会問題も解決できる、となります。魔王様が日本を救おうとなさるのは、義心もありますが、これは異界を使っての壮大なシミュレーションでもあるのです」
流石は我らが魔王様。そこまで未来を読んでおられるのですか。
偉大なる魔王様の叡知とその優しさに感服します。魔王様を見れば、苦しそうに眉を顰めています。
「だが日本に、もはや猶予は無い。消費税は30%にまで上がり、日本と韓国は戦争開戦寸前。世代間格差が拡がり、世代間憎悪は高まっている。嫌老ブームから老人ホームの焼き討ちなどが増え、未来に希望を抱けない子供の自殺が増加している……」
魔王様が苦々しく口にされます。なんと痛ましいことだ。もはや末期的ではないか。続けて宰相デカラビアが言う。
「日本は武器輸出で利益を得ようと、世界各地で紛争を大きくしようと画策もしています」
「なんだそれは? 自国の利益の為に世界を混沌に落とすなど、鬼畜の所業ではないか?」
「自国の輸出製品の市場を守ろうとすれば、他国の生産設備にダメージを与えるか、他国の輸出に制限をかけるようにするしか、手は無くなるのです。経済至上主義の果ては世界大戦の引き金ともなりそうです」
異界の話だが、聞いてて目の前が暗くなりそうだ。絶望と惨めさのあまりに、世界を混沌に巻き込み心中しようとでもいうのだろうか?
魔王様が椅子から立ち上がられます。赤い瞳が私を見ます。魔王様の赤い瞳に燃える炎が力強く輝き、まるで星のように。
「ペイモンよ、この魔王が命じる」
「ははっ!」
膝をつき魔王様の勅命を受けます。
「異界の日本を救え」
「は! 如何なる手段にて?」
「日本には四十七の都道府県がある。四十七名の優秀なダンジョンマスターを選抜せよ。そして各地に派遣させよ」
「はは! 如何なる方策にて?」
「目的は二つ。四十七の都道府県、全ての資産価値を上げよ。そして日本に住む者に、心に余裕を持つ暮らしを取り戻させるのだ。この二つの目的が達成できるなら、やり方は各ダンジョンマスターに任せる。この魔王の配下に相応しき力を見せてみよ」
「ははっ! 魔族が精鋭、我らが魔王様の信に必ずや応えてみせましょう!」
「異界の日本が救済できる手段があれば、日本に注目するアジア各国もその手法を真似しよう。やがて地球全土に広がり世界を救うことに繋がる。行け! ペイモン! 日本を救い、異界をひとつ救済してくるのだ!」
「お任せ下さい魔王様!!」
立ち上がり魔王様の私室を離れます。魔王城の中を小走りで進み、控える部下に伝える。
「七十二将を緊急招集せよ!」
魔族の奴隷開放戦から随分と時が経ち、今は少々手応えの無い、やや退屈な日々。
「魔王様の勅命により異界を救う、か、ふふふ……」
どうやら随分と歯応えのありそうな任務となりそうだ。知らず口許に笑みが浮かぶ。
異界の中でもっとも可哀想な民、日本人、か。
あぁ、救ってやるぞ日本の民よ。
徹底して、これ以上は無いという程に。
慈愛溢れる我らが魔王様に、感謝の涙を流すがいい。
集う魔族七十二将に宣言する。
「これより異界日本国救済計画を始める!!」