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話を売る女

「……にしても、オネーサンの彼氏さんって、どれも代わり映えしないねえ」

「人に話を聞かせてもらっといて、その言い草は何だね、君は」


あれから数ヶ月。


私と彼は週に一度……時には週の半分ほども、こうして食事やお酒の時間をともにしながら、話の『買い取り』をするようになっていた。

私は、ひたすら話し続ける。彼は、私の話に相槌を打ちながら、それをノートに書き留めていく。……会うたび、ただそれだけを繰り返す。

ほんのたまに、彼の方から反応が返ってくることもあった。大抵は「そういうもんなのか」という、何だか気の抜けたような呟きで……時々思い出したかのように、やたら厳しいツッコミが入るぐらいのものだったが。


もっとも、最初からこんな奇妙な関係が成立していたわけじゃなかった……彼が送り付けてきた最初の約束、それを私は無視することにしたのだから。

……だって、怪しすぎる。まともな人間なら、こんな誘いに乗るなんて絶対にありえないだろう。

しかし、私は結局、げんなりした顔で行きつけのバーに顔を出すことになった。彼が指定した約束の時間になってから、ずっと鳴り止まないメッセージアプリの通知音に、私の方が音を上げたのだ。


「オネーサン、こっちこっち!」

「……あのねぇ」


いたく御満悦な様子の彼を見て、私は何故メッセージアプリに残された彼のアカウントをすぐさまブロックしなかったのかと、激しく後悔した。



「どうして、私の話を?」

「んー……取材、かな。オネーサンの別れ話、面白かったから」

「……今すぐ帰ってもいいかな?」


だが、決して私をからかっているわけじゃないのは、話を聞く彼の真剣な表情からすぐに見て取れた。

といっても、私の話なんて別に大したものじゃない。会社の愚痴や、今ハマっている趣味の話、昔の彼氏の痛い思い出など……どこにでもいる平凡な女性のありふれた話ばかりだ。それを、彼は何故かいたく面白がって聞いていた。


本格的なトリックと大胆な発想で、誰もがその稀有な才能を賞賛する小説家が、何故そんなに私の話を聞きたがるのか。正直、私にはさっぱり分からなかった。


「俺、女の人ってよく分からなくてね。オネーサンの話聞いてたら、何かヒントが見つかるかも、って」

「つまり、君は女の子とお付き合いしたことがない、と」

「……オネーサン。婉曲表現とか比喩って言葉、知ってる?」



━━中村の作品は、トリックと構成は一級品。だが、登場人物は何だか嘘くさい。


数ヶ月前に発表した彼の作品を、そう評されたのだという。

頭の中でどれだけ人物を動かしてみても、その心理描写が思うようにできない。殊に恋愛感情となると、途端に筆が進まなくなる。

デビュー以来、破竹の勢いで高い評価を得てきた彼が、初めてぶち当たった壁だった。


「女の子と付き合ってみたら、多少は理解できるんじゃないの?」

「だって、面倒くさい」

「……本気で現状打破するつもりないでしょ、君」


ケラケラと心底楽しそうに笑いながら、彼は話の続きを催促した。

私はいつも釈然としないまま、それでも何となくそんな彼を憎めずに……促されるまま、ただひたすら話し続けるのだ。



私の話が尽きると、この不思議な時間は終わりを迎える。

今日の話の代金だと、いつものように彼が封筒を差し出してきた。いくら約束だとはいえ、特に珍しくもない話の対価としては、あまりに額が多すぎる。

彼は、愛用のライダースジャケットのポケットからスマホを取り出すと、さっさとタクシーを手配し始めた。


「今日は、まだ終電がある時間なんだけど……」

「あー、でももうタクシー呼んじゃったし」


スマホと入れ替えに今度は財布を取り出すと、札を数枚抜き取って私の手に押し付けた。……どう見ても、これでは支払う金額よりも手元に残る分の方が多い。


「余っちゃうよ、これ」

「よかったじゃない。取っとけば?」


二人分の分の会計を済ませた彼は、有無を言わさず私をタクシーに押し込めた。運転手に行き先を告げると、自分は一緒に乗り込むこともなく……走り出したタクシーにひらひらと手を振ると、彼はそのまま人混みの中へ消えてしまった。

タクシーのバックミラー越しに彼の背中を見送ると、私は小さくため息をついた。

握りしめたままの封筒をしまおうと、私はバッグの中に手を入れる。……カサッと小さく乾いた音が聞こえた。返そうと思ってバッグに忍ばせていたはずの封筒は、日に日にその数だけを増していた。


……傍から見たら、それはちょっと異様な関係だった。

彼が小説家として悩んでいるというのは、決して嘘ではないだろう。だが、この不思議な関係が彼に何かの答えをもたらすものだとは、私には到底思えない。


それでも、何故か私は彼に「もう会わない」とは言い出せなかった。




「オネーサン、たまには明るい世界で話聞かせてくれる気はない?」

「……まるで私が暗闇の住人みたいな言い方しないでくれる?」


それは、突然の申し出だった。

これまで話の『買い取り』の約束は、決まって夜に取り付けられていた。私の仕事が終わる頃を見計らったかのように、彼からお誘いのメッセージが届く。


「オネーサンはお酒入った方が、いい話しっぷりになるからねぇ」

「……やめて、あれは黒歴史だから」


くすくすと笑う彼の隣で、私は初めて彼に話を『売った』時のことを思い出して、頭を抱えた。……正直、あの夜のことはあまりよく覚えていない。ただ、よっぽど私が豪快に喋り倒したんだろうというのは、後日聞かされた彼の話から何となく察した。

おかげで、今でもこうして事あるごとに、彼に弄られる格好の材料となっているのだ。


ふと、気がついた。

以前は、最初から最後までひたすら私が話すだけだった。それなのに、最近は何故か彼の方からも、ごく普通に話を振ってくる。私が話している時でも、彼が途中で口を挟むことが多くなっていた。


「……言われてみれば、そうなのかも」

「君、全く自覚ないの?」

「ない。俺、自分にも他人にもあんまり興味ないから」


そう言って小さく微笑むと、彼はカクテルグラスに口をつけた……これも、以前は全く見られなかったことだ。

メモが書けなくなるからと言って、彼は話の『買い取り』の最中には全く酒を飲まなかった。だから私は、ひょっとして彼はお酒があまり強くないんじゃないかと踏んでいたのだが。


「……ザルだね、君」

「編集さんには空枠だって言われてるよ、俺」

「猫被ってただけかい……」


もう軽く私の三倍ぐらい飲んでいるはずなのに、彼は何事もないようにあっけらかんと笑っていた。……見た目には全く酔っている気配はないし、さっきからノートの上を忙しなく動いている手も、以前と何ひとつ変わったところはない。

「酔うとメモが書けなくなるから」と言っていたのは一体何だったんだと、私はますます彼のことが分からなくなった。


「……で、返事は?」

「はい?」

「さっきの話。たまには、明るいところで話聞かせてもらえない?」


別に断る理由もない……とりあえず今週の土曜日に、私は彼と初めて昼間に会う約束をした。

妙に上機嫌な様子で再びグラスを空ける彼を見ながら、私はますます混乱していた。


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