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底辺作家の貧困問題  作者: るしぇ
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―第1話・長い自己紹介―

私が貧困弱者だったのは知ってる限り生まれついた時からだ。

父親は経済的DV野郎で、日々の稼ぎは全てパチンコにつぎ込むパチンカス。

母は日々の稼ぎと言ってもわずかな金額を隠し、子供だった私含め兄弟を養っていくので精一杯な状態で若々しい年齢(たしか30代)だったが胆石症にまでなった。

まともな世界ではないとは気付いてた。それを解消するには私は幼すぎた。

その時から私には性格的に内向的で、自閉症スペクトラム障害を母から疑われたが性格と言ってしまえばそれでおしまいなボーダーラインの状態だったが杞憂ではなかった。

14歳の時、高次脳機能障害の疑いとPTSDを併発する大事故に遭い、私は病院と警察のご厄介になる事になった。犯人は当時13歳の若造。法律的には裁けない年齢であることをいいことに近隣で悪さを繰り返していたようだが実際はどれも興味がなかった。

今私よりも不幸であればそれでいい。売れ残りであれ。行き遅れであれ。世間から私よりも嘲笑される存在であれば何も言わない。

この事件の時に後遺症がないか検査を繰り返した。その時に私が古い言い方をすれば高機能自閉症だった。

検査結果を聞いたところ、高次脳機能障害は問題ないが高機能自閉症を生まれつき持ってるね、が担当医師の言葉だった。その頃には離婚した母と兄弟たちと頭を抱えることになった。加害者の親は賠償責任を背負う事なくのうのうとしてるがいずれ厳罰が下されることを望んでる。

多分この頃には気付いてたんだろうね、金銭的援助者が誰も居ないって事に。

親戚は居たし、その頃近くに従兄弟もいた。ただ誰にも金銭的に頼る当てがなかった。

私の治療費が莫大で家計を圧迫してる事も知ってた。治療に時間もかかる。

母の拘束時間も増えた。目に見えて疲弊してく母や兄弟を見る以外何もできない自分が

もどかしかった。

この事件の際頸椎を損傷した後遺症で左手の握力は皆無(機械で計測不可能まで落ちた)、

聴覚も失い無音状態の中で視覚から入ってくる情報だけでは何もできない。今でも左手は不自由してるためブラインドタッチが出来てない。フィンガータッチが限界である。

つたない言葉で呪詛を吐く以外何もできなかった。

聴覚が回復したのち聞いてみたら「調子っぱずれな言葉で呪詛を吐くから余計に怖い」と兄弟に言われた。その頃から兄との関係は歪んでいった。

投薬治療の始まった私を薬中と罵り、殴り蹴り倒しては財布の入ってる治療費用に分けてもらってあったわずかに入っているお金をかすめ取っていく日々だった。

その分私の治療は遅れ、現在でも慢性的なマヒに悩まされてる。

まるで世間では「富裕層の老人からかすめ取るのは悪じゃない」と言ってる方がいるようだが、その縮図を見てるかのように今では思う。兄は暴力で、かの方は詐欺として。

世間では理不尽で満ちてる。

全ての負のスパイラルの原因は「貧困」だった。貧困さえなきゃ、私は適切な治療を受けれた。治療さえ遅れなきゃ麻痺も残って無かっただろう。健常者として生きる事は出来なくってもまともに働くこともできただろう。離婚しても母は再就職がすぐに可能だっただろう。弟にまともな学問を納めさせてやる事も出来た。夢を持つ若者を応援してやる事も出来た。

結局、役所の門をたたく事になった。「生活保護」である。

本当なら頼りたくなかったと母は語るがそれ以外に私の治療費を捻出する手立てはなかった。苦渋の決断を母に選ばせてしまったと今でも後ろ暗い思いを持ってる。

それからはただ治療してればいいだけの日々だったが、近づいてくる成人するに日までに療育手帳を取得しようという話になった。

面接官と話していても私は余りにもどの障害と言っていいのか分からないと言われたが、発達障害(自閉症スペクトラム障害は発達障害の一種です。)は一般的には療育手帳と言うのが当時の世間的風潮だった。今現在でもあまり変わらないようだが、私の場合は知的能力も標準並み(障害者としてはだが)、麻痺はあるものの身体レベルは手帳取得レベルではない。精神発達遅滞もなくそれ相応の精神レベルだったようだ。それで紋切り型に従って療育と言う事になった。

不服はなかったが、そこでは知能レベルが低い場所もあるから一応療育でと言う事になった。評価については解りやすく表現すれば「知的好奇心の強い小学校高学年レベル」という判断だった。これで年金の問題は片付くわねという母の言葉にどんな所でもお金の話ばかりで辟易したが母曰くPTSDが治ったら仕事を見つければいいと言われ、今現在完治には程遠い状況下でも生きていかねば行かないという事もあり、現在所属法人の意向により、生活保護受給者として甘んじてるが、意識だけでも保護からは脱却したいと常々思って生活してる。

―第1話長い自己紹介・完―


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