第六話 『真相』
さて、約束の時間。
かの女の姿が見えました。
少々不機嫌そうな顔で丘の向こうからやって来たのは――
「え」
私は息を呑みました。長い髪、少し切れ長の目、そして青白を基調としたドレス。
もうどこからどう見ても私でした。
私が塔の外にいるのです。第三者から見れば、私という存在が二人いるということになります。
「こんにちは、春。こうしてお会いするのは、いつぶりかしら」
目の前に現れた私は、私の声でそう語ります。
私は言葉を失ってポカン、としてました。
ふと、視界の端に大和ちゃんが映ります。
「……」
とても申し訳なさそうな顔で俯いておりました。
私がもう一人存在しているということにも驚きましたが、それ以上に不可解だったのは、
「春、随分とおかしな妄想で多方面に迷惑をかけているようね」
私の名前が『冬』ではなく、『春』と呼ばれていること。
外にいる彼女は、隣で縮こまっている大和ちゃんをひと睨みして、はぁ、とため息をつきました。
「アナタもね、こんな女のデンパに付き合う必要もなかったのですよ? まったく、甘やかしな娘ですこと」
彼女の小言に大和ちゃんは一層小さくなるだけ。ただ、「ごめんなさい……」と謝り続けます。
「あ、貴女は一体何者なんですか?! どうして、私の名前が春なんですか?!」
動揺のあまり柵越しに彼女の胸元を引っ張ってしまいます。破けそう、なんて悠長なことが考えられないほど混乱していました。
「簡単なことよ。私こそが『冬』で、今塔に引き籠っている貴女が『春』。ただそれだけのこと」
「そんな……滅茶苦茶な……」
足元がふらつきます。
私の握力が緩んだのを見て彼女は乱暴に、私の手を振りほどきました。そして、またひたと睨みます。
「滅茶苦茶なのは貴女よ。貴女の勝手な思い込みで人に国に世界に迷惑をかけて……」
彼女は小さく舌打ちをすると、足元の雪をすくい上げました。そして、ぺいっと私にぶつけてきます。
「まったくたまげたわね……。本来貴女が塔に入って顕現する季節は、『春』のはずなのに……。自分が『冬』だと思い込むだけで、外の季節さえも変わるなんて」
おまけに服や化粧まで私に似せて、彼女はそう言うと忌々しげに目を細めました。
「ワケが……こんなのワケが分かりませんよ……」
ぐらつく足は遂に崩れ、私はその場にへたり込んでしまいました。
それを腕組みしたまま見た彼女は、隣にいる大和ちゃんに何か耳打ちをします。
大和ちゃんは小さく頷くと、そろそろと柵まで近付いてきました。
そして、しゃがみ込み、ことの真相を語り始めます。
「春様……とお呼びしますね。どこからお話しすればよいのでしょうか……」
大和ちゃんは、うなだれた私を労わるように優しく思案します。
「そうですね、ことの始まりは国長様と冬様のご結婚が正式に発表された日のことでありましょうか……」
何ですか、それは。国長とあの女は不倫していたのではなかったのですか。
「ちょうど春様が、塔にいらした冬様と交代する時期でございますね。当時は大変なショックをお受けになられたようで……」
どうして私がショックなど受ける必要があるのですか。
「春様は……その、国長様に恋慕の念を抱かれていたのでしたね……」
何を言っているんですか。私には既に旦那も子供もいて……
「要は現実が受け入れられなくて、自分が私である、と思い込むようになったと」
大和ちゃんとの会話に『冬様』が割って入ります。口調に苛立ちが垣間見えます。
「その他にも色々な設定があるんでしょうけど、そこまでは私の知ることじゃないわ。けど、貴女が大和ちゃんに話していた自分の家族なんてものは存在しないわよ?」
またもや信じられない話が飛び出しました。
驚き、大和ちゃんの表情を窺います。
その顔が否定を返してくれることはありませんでした。
「春様のご両親は存命ですが、お話しになっていた子供さんや夫さんは貴女にはいらっしゃいません」
大和ちゃんがそう言い切ると、冬様が「例のお触れの件はぁ?」と急き立てます。
はい、と小さく頷き、信じがたい説明をしてくれます。
「あれは国長様と冬様による春様へのご配慮です……」
私は嫌だったんだけどねぇ、冬様は髪を弄りながら嫌味を挟みます。大和ちゃんはそれでも話を続けます。
「よろしいですか。この長きに渡る厳冬を国民は、冬様が塔から出てこないからだ、と思い込んでおります。しかしながら、実際は貴女がこの塔から出てこないからです。もし、そんなことが民に知れ渡ればどうなるでしょうか」
良くて牢獄。悪くて処刑。
その甚大な被害を考慮すれば、そんな判決が下るでしょう。
大和ちゃんはその答えは口にせず、続けます。
「冬様は国長様の奥方様であります。現行の国法に照らせば、王家の人間が裁かれることはありません。つまり、冬様の名前を出しておけば、貴女に責任の訴追が行われぬ、と国長様はそう考えたわけです」
加えて、街の有志に私が塔から自発的に出ることを手伝わせることが出来ると。二重の利が得られるということですか。
「私は損しかないんですけどね。お陰で国民からの支持はダダ下がりだわ。まったく、あの人もちょっとは妻のことを気遣って欲しいものね」
冬様は不満げに感想を洩らします。
ねめつけるように降り注がれる視線がとても痛みます。
「はるさま」
大和ちゃんが諭します。
「もう、十分ではありませんか? 恋愛が成就しなかったことは気の毒に思います。しかし、そうやって塔に引き籠っても良いことはございません……」
大和はずっと貴女のお側に居ますよ。
彼女はそう言うと私の頭を撫で始めました。
気付くと雨が降っています。
折りたたんだ自分の太ももにぽたぽたと。
いいえ。
「雨かしら……」
冬様はそう言うと腕を組んで空を見上げました。凍てつく大地に暖かな水が降ってきます。
それは、数年冷やされた凍てつく大地をやおら溶かし始めます。
冬が終わりを告げ、春が。
私の本来の姿が帰りました。
固く閉ざされていた私の心という扉が開きます。
大和ちゃんは塔の中に入ると、優しく私を抱いてくれました。
彼女の小さな胸に顔をうずめ私は呻きます。
「ただいま……」
大和ちゃんは私の髪をすいてこう返しました。
「おかえりなさいませ、春様」