Story008 過去のない少女
(さすがにイオさんも、バレた後のリスクと、今ここで話すリスクの些細な違いについては理解していたのかもしれない)
そう思うと、レオンは安堵の表情を見せた。
仮に自分の部下とならなくても、個人的にイオのこれからが心配だったのだ。
「なるほど。そういう事ならば確かに冒険者になった方が都合が良いですね」
イオが動機を話し終えると、レオンは冷静な口調でそう返した。
「この国には《教会》が定めた『冒険者特例』というモノがありますし」
「冒険者、特例?」
「おや、これも知らないのですね」
レオンは目を丸くして驚いた。
「イオさんの知識は、なんだか偏りがありますね……というかそもそもイオさんがギルドの存在を知ったのは……えっと、誰かに教わったからですか?」
些細な疑問が湧いたため、それを急遽面接の質問の一つに加えるレオン。イオはすぐに「はい、そうです」と答えた。
出版ギルドが出版する、ギルド関連の情報雑誌は中途半端な事を絶対書いてないので、もしかしたらと思ってした質問だったのだが、案の定そうだった。
「……なんというか、必要最低限の事しかその人は教えてくれなかったんですね。まぁとにかく、次の質問をしますね」
それからレオンはイオに、清掃ギルド『清浄戦団』に所属する事になった場合の質問をした。勤務時間の要望や、いつから働けるかなどの質問だ。イオはそれらの質問に対して、いつからでも、そして何時間働いても構わないと答えた。
「……それはまぁ、確かにイオさんの冒険者を志望する動機からしても納得の答えですけど、体の方は大丈夫でしょうか?」
「問題ありません」
イオは真っ直ぐにレオンを見つめながら、即答した。
今までの緊張はどこに行ったのか分からないほど、その瞳には強い決意が宿っている。それだけ、イオは冒険者という職業に人生を賭けているのかもしれない。
「……イオさんの覚悟はよく解りました」
イオの答えを聞くや否や、レオンは両目を瞑り、柔和な笑みを見せて言った。
正直に言えば、レオンはイオのその決意の元となっている動機が動機なだけに、さらには面接の緊張を忘れさせるほどのギルドへの執着心の強さからして……清浄戦団どころか他のギルドでもやっていけるのか、とても心配していた。
彼女が達人級の清掃スキルを持っていたとしても、それを行使する体や集中力を持続させようとする心が最後まで耐えられるとは限らないからだ。
「では次の質問は……いや、これで最後にしましょう」
だがそれでもレオンは、一人の人間としての彼女の価値を見極め、そして彼女に相応しい道を指し示さなければいけない立場の人間だ。
仮に心の中で不採用にしたとしても、最後まで面接をしないワケにはいかない。もしかすると、まだ彼女には隠された価値があるかもしれないからだ。
最後の質問と聞き、イオは緊張のあまり、反射的にゴクリと、音を鳴らして唾を飲み込んだ。
「履歴書に学歴が書いてないけど、どうしてかな?」
しかしその緊張は、その質問をされると一瞬にして無くなった。
イオが緊張を乗り越えたからではない。
彼女の中の悲しみや虚無感が、一瞬にして膨れ上がったからだ。
「?? どうしたの?」
目の前のイオの両目から、光が消えた。
それを目撃したレオンは、即座に彼女に話しかける。
しかし彼女は悲しみのあまり、黙ってその場で俯いてしまった。
「ご、ごめんね。もしかして訊かれたくなかったかな?」
責任を感じ、レオンはすぐに謝った。
するとその直後、イオは俯きながらも「違います」と否定した。
いったいどういう事なのか。気になったレオンは、一瞬イオに訊こうかと思ったが、彼女の意思を尊重し……自ら話してくれるのを待った。
それから、重い沈黙は続いた。
そしてそれは、ほんの数分で終わった。
「わ、私……」
イオは、震える声で語り出す。
「三歳の頃から今までの事を、よく覚えていないんです」
「覚えて、いない?」
謎の告白を聞いたレオンは、頭の上に疑問符を浮かべた。
しかしイオは構わず、話を続けた。
「最初のハッキリした記憶は……この国の冒険者ギルドに所属しているある方に、助けられた時の事です。どうして記憶が無いのか……それは、今でも……分かりません。私を、助けてくれたその方も、それに母も……私の事を思って、記憶が無い時の事を何も話してはくれませんでした。けど……私にはなんとなく解りました。頭では覚えてなくても……この体が、なんとなく……覚えてるんです。私は、私の知らない誰かに……酷い事を――」
「はい、そこまでだよ!」
レオンはひときわ大きな声を放って、イオの話を遮った。
突然の事にイオは「ふぇ?」と驚いた声を出しながら顔を上げ、レオンの顔を、呆然と見つめた。
「話したくないなら、無理に話さなくていいよ」
「!? で、でも……正直にいろいろ話せなくちゃ……ギルドじゃやっていけないって……私を助けてくれた、人は言って!!」
「……なるほど。相変わらずだな、あの人」
「……ふぇ?」
「 と に か く ! 」
レオンは誤魔化すように大きめの声を出すと、話を続けた。
「正直なのは良い事だけど、それでも……イオさん自身が泣いてまで話す事はないと、僕は思うよ」
「!?」
言われて、イオは初めて自覚した。
自分の両目から一筋ずつ、雫がこぼれていた事を。
「さて、これで清掃ギルド『清浄戦団』の試験は終了です」
イオが両目を拭うのを確認してから、レオンは言った。
イオの謎の空白期についての質問をキッカケに重くなった空気を変えるために、生き生きとした声を上げながら。
「試験の結果は後日、手紙にてお知らせいたします。手紙を送る場所は、履歴書に書かれた住所でよろしいですか?」
「あ、いいえ……ギルド安定所の近くの宿に泊まっているので、えっと……そちらに送ってもらえないで、しょうか?」
「あの安定所の近くの宿っていうと……『エンレイ亭』?」
「は、はいそうです!」
「分かりました。では『エンレイ亭』に送りますね」
――こうして、短いようで長かった、イオ=ライナースの初めての面接試験は、終わったのだった。