Story018 疑似勇者聖紋
「それじゃあ、いよいよ現場に行くその前に……冒険者が現場から安全に帰還するために必須な『疑似勇者聖紋』を、イオさんに授けようと思います」
地下運動場での一件の後。
再び更衣室で、レオンより渡された『清掃着』に今度は着替えたイオは、同じく『清掃着』を着ているレオンと共に清掃ギルド『清浄戦団』の廊下を歩いていた。
渡された清掃着――左胸の辺りに青い線で、イオは見た事がない紋様が描かれている、白い長袖の襯衣と、青い、くるぶしまで届くほど長い丈の細袴、そして革靴は……ハッキリ言って地味な造形であった。
イオが知る冒険者の装備に比べると、派手さがほとんどない。
彼女としては、進んで派手な装備を着たいとは思っていないのだが……それでも他の冒険者に、バカにされたりするのではないかとちょっと心配な造形だ。
ちなみに、より帰還の確率を上げるために、胸当てなどの防具も配布されたのだが……そちらも地味な造形である。
「ところで、イオさんは『疑似勇者聖紋』についてはご存知ですか?」
しかしそんなイオの気持ちに気付かず、レオンは彼女に唐突に質問した。イオの知識に偏りがあるため、一応である。
「は、はい……知ってます」
レオンの質問に一瞬戸惑ったものの、イオはなんとか記憶を手繰り答える。故郷から王都への道の途中で、王都側から来た者達の会話を聞いて知った情報を。
「確か《教会》が作った……勇者様達の、力の源、でしたよね?」
「微妙に惜しい」
苦笑しながら、レオンは言った。
「確かに、アルテラ教会によって作り出されたモノであり、勇者様達と力の根源を同じとするモノではあるんですが……まったく同じじゃないです」
「……ふぇ? ど、どういう事ですか?」
よく分からない答えに、イオは困惑した。
「最初に在ったのは、この世界に転生した勇者様達の御身に……魔族の侵略に対抗するべく、この世界の神様達によって刻まれた『勇者聖紋』です」
イオにも分かりやすいよう、レオンは順を追って説明した。
「この『勇者聖紋』は、勇者様達のいた世界で言うところの『異世界転移系』……もしくは『異世界転生系』の英雄譚の、主人公たる英雄が持つ『チートスキル』に相当するモノです」
だがその説明の中には、その転生者である勇者達が元々いた世界の、独自の言葉『勇者語』が含まれていたため……イオは大量の疑問符を頭上に浮かべた。
「ちなみに『異世界転移系』や『異世界転生系』な英雄譚については、後で、レナちゃんも紹介しただろう『勇者語大全』を読んで勉強してくださいね」
すると、そんなイオの困惑が伝わったのか。
レオンはなぜか、彼の従姉である修道女レナが、就活中だったイオにかつて紹介した『勇者語大全』の話を出してきた。
「ッ!? ふぇ!? な、なんであの本の話が!?」
まさかあの修道女は、自分に合ったギルドを探す冒険者志望の者には、必ずあの本を売り付けていて、そしてギルド関係者にとって、その事は周知の事実なのか。
いや、そもそもあの本を執筆したのは、アルテラ教の総主教であり、元勇者でもあるアニス=ナターシャだと……レナは言っていなかったか?
だとすると、あの本の販売は……アルテラ教の聖職者の総意なのか?
「あの本は基本、ギルド関連の組織……教会の片隅などでひっそりと売られている物なんですが、僕と同じくレナちゃんもあの本にハマりまして」
すると、なぜかレオンは頬をかすかに赤くし、照れ臭そうに質問に答えた。
「いや、僕の場合は他者に読む事を強制してないんですが……レナちゃんはもう、ドハマりしてまして……かつてのイオさんのような冒険者志望な方々に、毎度紹介をしているんですよ。ギルド安定所で」
そして明かされたのは、かすかに予想から外れた事実だった。
まさかアルテラ教の聖職者は、あの本を販売しているものの、買うのを強制しているワケでなく……レナだけが独断で強制していたとは。
「ちなみにあの本は、僕も持ってます。ですから見たい時は、遠慮なく僕がいる時に言ってくださいね。貸しますので」
「は……はぃ……」
だがどんな事実であろうとも、その『勇者語大全』が売られている以上、勇者がいた世界独自の言葉『勇者語』をまた聞くかもしれない。
そしてそんな場所に来てしまった以上、近い内にその『勇者語大全』のお世話になる予感しかせず……思わず苦笑しながらイオは返事をした。
「と、それはともかく」
すると、話が脱線していた事に気付いたのか、レオンは歩きながら、そして両手を一度叩いてから話を戻した。
「先ほども説明した『勇者聖紋』は、戦った分だけ、それが刻まれた対象を強化、勇者語では『レヴェルアップ』と呼ばれる現象を起こす特性付きの……対象がどれだけ強いのかを示す数値表『ステータス』のようなモノで、勇者として選ばれた者以外には絶対に手にできない入れ墨のようなモノでもあります。
そして『疑似勇者聖紋』とは、勇者ではない方々でも、勇者に匹敵する力を手にできるように……勇者でなくとも敵を倒せるようにと、アルテラ教が『勇者聖紋』を基にして生み出したモノ……本物の『勇者聖紋』の下位互換の、入れ墨のようなモノです……っと、着きました」
説明の途中で、レオンは立ち止まる。
イオも同時に止まり、目の前にある扉……二人の目的地である部屋へと続くそれを見た。
目立った特徴のない扉。
今までにも見た、普通の……取っ手に手を掛けて開ける扉だ。そして、その扉の取っ手に手を掛け……レオンは扉を開けた。
「……ッ?」
そして室内を見た瞬間、イオはまたしても困惑する。
室内に広がっているのが、少々異様な光景だったからだ。
部屋の中でまず目を引くのは、部屋の中心にある、細長い円錐台の形状の台と、その上に置かれている水晶玉。
台は成人男性の腰ほどの高さで、床と同じ材質をしている。そしてその上の水晶玉は、手の平ほどの大きさだ。
次に目を引くのは、部屋の壁に設えられた、たくさんの棚。
そしてその上で薄紅色に淡く輝いている、手の平ほどの大きさのモノ――シルクレッド王国独自の数字を中心部に添えて、その周りに円と八角形を組み合わせた、まるで魔法円のような複雑な意匠の紋章。
いや、正確に言えばその紋章を、二次元的に実体化したモノだった。
「ここに置かれているモノこそ『疑似勇者聖紋』です」
水晶玉が置かれている台へと近付きながら、レオンは説明する。
「と言っても、普段、棚の数だけあるワケじゃありませんよ。ここは『疑似勇者聖紋』を作り、対象へと刻む場所こと、儀式場であると同時に、刻んだ『疑似勇者聖紋』を、休日などで必要がない時に保管しておく部屋ですから」
「ッ!? ぎ、疑似勇者聖紋って、取り外せるんですか?」
まさかの事実に、イオは驚き目を見開いた。
先ほど、レオンは『勇者聖紋』と『疑似勇者聖紋』を入れ墨のようなモノであると説明していたが、まさか取り外しができるような、入れ墨とは似て非なるモノであったとは思わなかった。
「疑似勇者聖紋は、危険ですからね」
柔らかい笑みから一転……なぜか、唐突に表情を消しながらレオンは答えた。
「戦うごとに強くなるんですよ。途中から、手加減が難しくなるくらい。そして、もしも誰かの前で、そんな力を振るってしまえば……大事故が起こる。だから冒険者がいる国では、そんな事故が起きないよう、ダンジョンやステージに行く時以外は『疑似勇者聖紋』を付けてはいけない、という法が定められました。ちなみに、取り外しが可能になったのは《教会》のみなさんの努力の賜物です」
だがその無表情を、レオンは長く続けなかった。
『ちなみに』の辺りから、彼は再び柔和な笑みを浮かべている。
しかし、ほんの数瞬であろうとも。
レオンの無表情は、イオの心に強い印象を残した。
まさか、その『疑似勇者聖紋』絡みの、なんらかの因縁でもあるのではないかと考えてしまうほどに。
「それはともかく、イオさん……右手を拝借」
「え、あ、はいっ」
しかし、イオが抱いたそんな考えの事などつゆ知らず。
レオンは水晶玉が置かれた台の奥へと回り、イオと、水晶玉を挟んで向かい合う形になると、懐からなぜか、指輪を取り出した。そしてそれを、己の右手の中指に嵌めると……その右手を、イオへと差し出した。
まさか握手を、しかも謎の指輪を嵌めた状態で求められるとは思わなかったため困惑したが、指示された以上、イオは素直に握手に応じようとして、
「痛いのは一瞬だから」
「ふぇ?」
なぜかレオンが、そんな不穏な台詞を言ったのを聞いた。
しかし伸ばした手の勢いを止められず、そのまま握手をした……次の瞬間、
「ッ!?」
握手をした右手に、レオンの言う通り痛みが走った。
まるで、細い針で刺されたかのような痛みだ。よく見れば、レオンが嵌めた指輪が当たっている辺りから痛みを感じる。まさか指輪に、針が仕込まれていたのか。
いや、それ以前に……新入団員の手に針を刺すなど、いったいレオンは何を考えているのか。ワケが分からず、イオは困惑するしかなかった。そして痛みから逃れたい一心で、彼女は慌ててレオンから手を離した。
すると、次の瞬間。
より正確に言うならば、イオの右手から落ちた一滴の血液が、二人の手の真下にあった水晶玉へと落ちた……まさにその瞬間だった。
その血液は水晶玉の中へと吸い込まれると……なんとその中心部で、淡く、薄紅色に輝き始めた。
突然の異常事態に、イオは驚き目を見開いた。
と同時に、その輝き始めた彼女の血液は、今度は質量保存の法則など関係なしに量が増え始めるという怪異を起こして……さらには、先ほどから視界に入っている『疑似勇者聖紋』と同じ形に変形し始め……そして…………――。
「ッッッッ!?!?!?」
――変形完了と同時に、それは水晶玉から飛び出し、イオの右肩へと一瞬で移動すると……服の中に吸い込まれるように消えていった。
「ごめんね、イオさん」
まさかの展開に驚愕するイオに笑みを向けながら、レオンは言う。
「アルテラ教の聖職者が『疑似勇者聖紋』を生み出したって、さっきは言ったけど……正確に言えば、対象の血を媒体にして『疑似勇者聖紋』を生み出す、この水晶を生み出したんだ。普通に『血が必要だ』って言えばよかったかもしれないけど、血を採る事に抵抗を覚える人も、少なからずいるから、敢えてこんな方法をとったけど……騙すような形になって、ごめんね?」
次の瞬間。
イオは右手を刺された痛みと、予想外の展開が連続して起きた驚きのあまり涙目になった目で……レオンを睨み付けた。