Story013 ベラドンナ亭地下にて
『新入団員一同、ご起立をお願いする』
広い空間の中に、男性の声が響き渡る。
大理石で造られた壁、暖色系の色合いの絨毯が敷かれた床、そして魔導式蛍光灯が吊り下げられた天井という、豪華な雰囲気を漂わせるその空間――シルクレッド王国でも超高級の部類に入る宿屋『ベラドンナ』の地下大広間全体へと声を届けるため、司会進行役の男性が拡声魔法を使ったのだ。
すると、その場に集う多くの老若男女が、その否応なく聞こえてきた厳かな声色に対する戸惑いを見せた。
というかそれ以前に、なぜ自分達がこのような場所にいるのか……その辺りから理解できていない様子だった。
それを見た司会進行役の男性は、再び彼らに指示を出す。
『新入団員一同……ご起立を、お願いする』
先ほどよりも、感情が込められた声だ。
するとその直後、椅子に座っていた多くの冒険者が起立した。
ここで指示に従えなければ、それこそ男性の逆鱗に触れ、最悪冒険者を辞めさせられるというマヌケな事態になる可能性が、頭に浮かんだのだ。
そしてそんな起立した冒険者達の中に、イオはいた。
故郷を飛び出してから数日後。
なんやかんやあって、清掃ギルドの入団試験を受け、その結果を知った彼女は、自分の周囲を取り囲む冒険者達と同じように、己の常識を超えた奇妙な状況の中になぜか自分がいるために困惑していた。
『これより神暦1387年度……第十三回、国営ギルド合同入団式を挙行する!! 一同、礼!!』
しかし理解していようがいまいが式は進行する。
複数のギルドが共同で催す、おそらくシルクレッド王国の国家行事に次ぐ規模ではないかと思われる儀式が。
司会進行役の男性の指示を聞いた彼女達は反射的に礼をする。ほどなくして『着席』の指示が出される。新入団員達は困惑しながらも着席した。
着席の瞬間。イオは一度溜め息を吐いた。
式の司会進行役の男性の声のせい、というのも無論あるだろう。そして大広間内の、現在新入団員のイオ達が座っている椅子が密集する区画を取り囲むように設置されている椅子に座った、多くのアルテラ教関係者、及びギルド関係者の視線を、式の最中ずっと感じているせいもあるだろう。
とにかくそのせいで、イオは先ほどから……いや、イオ以外の新入団員達も緊張しっぱなしだった。心臓は早く鼓動し、冷や汗が全身から流れ出る。
おかげで、先日届いた清掃ギルド『清浄戦団』の『合格通知』が入っていた封筒に同封されていた、もう一枚の用紙『国営ギルド合同入団式開催のお知らせ』の下部に書かれていた通りに、開催者に指定された店で入手した礼服が台無しである。
白と黒を基調とした、上半身に着る上着と、膝丈の洋装女袴にそれぞれ分かれた服装……魔王を倒した勇者達がかつて生きていた世界の言葉で言うところの『ツーピース』と呼ばれる型の……見ようによっては、勇者達がいた世界の、学校の制服にも見えなくもない礼服だ。
無論、田舎から来たイオには縁がない高価な服だ。
そしてそれを冷や汗で汚してしまった事で、彼女は入手した店に対し申し訳なく思った。
せめて冷や汗は止めようと意識はするのだが、目の前で繰り広げられる展開にはどうしても混乱し、緊張し、冷や汗が止まらない。
(き、聞いていた情報と……違うッ!?)
しかしそれも仕方のない事だった。
なぜならば彼女が人伝で聞いた、ギルド関連の情報の中に……入団式なんて単語は一切出てこなかったのだから。歓迎会という、なんとなく意味が近い単語はあるものの、それはギルドによっては執り行われること自体ほとんどないモノだ。
いや、それ以前の問題として。
ギルドに入団したら即、発注された依頼の中から仕事を選び、取り掛かるものではないか。
少なくとも、イオが故郷の家族や、知り合いから得た情報によれば……それこそが本来のギルド。
在るべき姿ではないのか。
にも拘わらず、目の前で執り行われているコレは……いったい何なのだろうか。
だが彼女達は困惑こそすれど不快な気持ちにはならなかった。それこそ当然だ。
なにせ先輩達から……自分達の入団を祝福されているのだから。
『まず初めに、このアーシスベルグ大陸においてギルド――すなわち勇者語で言うところの「カイシャ」なる組織を作った一人にして!! 元勇者の一人にして!! 現アルテラ教の総主教でもあらせられる、アニス=ナターシャ様よりご挨拶をいただく!! 新入団員一同、起立ッ!!』
「…………えっ?」
地下大広間の西側に設置された演壇の、イオ達から見て右側の隅。
そこに登壇している、新入団員と同じように礼服を着た、式の司会進行役の男性の新たな台詞に、イオはさらに困惑した。
そしてそれは、他の新入団員も同様だった。
なぜこの大陸を、世界を救った英雄が、社会に出てきたばかりのヒヨッコな自分達の目の前に現れるというのか。
というかそれ以前に、そのアニス=ナターシャがギルドなる組織を作った一人だという事を、彼女達は初めて知った。
『もう一度言おう……一同、起立ッ!!』
「ッ!?」
困惑のあまり、すぐには指示通りに動けなかった。
そしてそれはイオの周りの新入団員も同じで、司会進行役の男性の大声の指示を再び聞いた事で、彼女達はようやく、慌てながらも起立した。
するとそれを確認したかのような、ちょうどいい瞬間。
今まで司会を務めていた男性が、登壇する時に通る道を譲り、そして一人の女性がイオ達の目の前で登壇した。
腰まで伸びた色素の薄い髪。そして豪華な白い礼服が特徴的な女性。
身に着けている服装こそ違えど、その姿を知る者にとっては、彼女はどう見ても光の勇者アニス=ナターシャその人であった。
まさかの勇者の登場で、会場内に騒めきが起きそうになる。
だがその前に司会の男性が「一同、礼ッ!!」と指示を出す。
途端に会場が静寂に包まれ、新入団員達は慌てて深く礼をした。
そして全員が顔を上げるのを確認したアニスは、改めて、今年度の新入団員達の顔を確認しつつ、声を発した。
『ご来場の新入団員のみなさま、初めまして』
それはまるで、鈴が鳴っているかのような、澄んだ声だった。
ただ聞くだけでも、その場にいる全ての人の心が癒やされる……心地良い声だ。
『私がアルテラ教総主教であり、元勇者でもある………………………………アニス=ナターシャなのであ~~~~るッッッッ!!!!!!!!!!』
しかし、次の瞬間。
彼女の発した、まさかの大声によって……イオ達の意識は飛んだ。
※
「……オちゃ……? イオ……ん?」
聞き覚えのある声が、イオの耳に届く。
光の勇者の大声によって混濁した意識の中、彼女は無意識の内に、その声の方へ顔を向けた。どこへ向かうべきか分からず、とにかく、道標を求めるかのように。
そして、混濁した意識がようやくハッキリとし始め、目を開けた瞬間……イオは赤面した。
なんとその視界に映ったのは、そして彼女の名を何度も呼んでいたのは、王都に来るまで一緒だったアノンではないか……というか、彼女の名を知っている者は、王都にはそう多くいないだろう。
「えっ!? あ、アノンくんッ!?」
「ああ良かった。目を覚ましたみたいだね」
イオの視界のほとんどを占める彼は、安堵の表情をした。
ちなみに視界の関係上イオは気付かないが、その両手は彼女の頬に触れている。
早く目を覚ますよう、今まで声をかけると同時に、頬をペチペチ軽く叩いていたからなのだが、なんにせよ己の頬に触れつつ、真正面から顔を覗き込んでいる構図……女性ならば赤面する状況である。