Story011 はじまりの朝
――冒険者はなぜ冒険するのか。
シルクレッド王国が存在するアーシスベルグ大陸で増え始めた冒険者達に向け、かつてそんな疑問を放った者がいた。
するとアーシスベルグ大陸出身の、一人の冒険者はこう答えた。
――そこに未知の世界が在るからさ。
探求心は誰もが胸に秘めているモノだ。
そしてその探求心こそが、人間が今まで、物理的に、精神的に、前へと進むために糧としてきた原動力なのである。
だが一方でその探究心は、時に周囲の空気などの影響でどこまでも暴走する一面も持ち合わせている。
そして実際、その暴走により、かつて異次元より現れた魔王軍との戦場であったアーシスベルグ大陸に、大陸中の王国の想定を超え、海外から多くの冒険者志望の者が押し寄せてきた。
――数年前まで戦争をしていた大陸が、面白い事をしようとしている。
という、一応正しい情報なのだがどことなく好奇心を駆り立てるような情報が、アーシスベルグ大陸中の王国の、海外の同盟国以外の国にも広がったせいである。
既に大陸内には多くの冒険者志望の者がいるというのに、これでは下手をすれば大陸中の『ダンジョン』や『ステージ』が、海外からのお客様の増加によってはち切れる可能性がある。
いやそれ以前に、数年前までアーシスベルグ大陸の全ての王国は、魔王軍と戦争をしていたのである。
復興はある程度済んでいるものの、建築した宿泊施設の総数は、冒険者志望の者及び観光客の多さに比べて未だに少ない。
観光事業の担当者の予想が大いに外れたせいである。
しかし観光客や冒険者志望の者が非常に多いのならば、それ相応に応えなければならない。
大陸内にある王国は、観光客及び冒険者志望の者の数をできる限り制限する一方で、宿泊施設を増設するため、惜しみなく多額の資金を投入した。
それからというもの、大陸内の、ダンジョンやステージに比較的近い地域には、数多くの宿泊施設が建てられ、冒険者志望の者達を大いに受け入れる事ができた。
だがそうなってくると、冒険者の中には気にする者こそいないだろうが……名前をどうしようかという流れに、経営者側がなってくるのもまた事実。
凄い名前であれば、一度は行ってみたいと思う者もいるだろう。
変な名前であれば、それはそれで興味をそそられる者もいるだろう。
一方でパッとしない名前では、行きたいと思う者はほとんどいないだろう。
だからこそ、第一印象にも繋がる『名前』は、この急増した宿泊施設にとっては重要なモノとなっていた。
だがこの名前が重要になってくるのと同時に、ある厄介な問題も浮上し始めた。
同じ名前の宿泊施設が偶然できてしまう、という問題だ。
これにより、友人などから『~っていう宿は良い宿だ』と言われて、その名前の宿に泊まろうとしたところ、なんと同じ名前のまったく別の宿だった、なんて問題がアーシスベルグ大陸中で起こった。
すると、すぐさま大陸中の王国はこの問題を解決するため……いったい何がどうしてそうなったのか、大陸の全住民どころか、異世界人の魂を持つ勇者達にも宿泊施設の名前を募集するという手段を選択。
最終的に、手段はともかくとして、このアホらしくもあるが、ある意味では観光事業を営む者にとってはとても重要な問題は、大陸の未来を考えてくれる、勇者達を含めた心優しい民達によってなんとか解決したのだった……。
※
そしてイオが就職活動中だけ泊まる予定の宿屋『エンレイ亭』こそ、そんな募集で名前が決まった宿の一つであり、しかも名前を決めたのは勇者の一人だという。
そのせいもあり客の競争率は上がりに上がっていたらしいが、ほとんどの冒険者志望の者達が、その勇者のご利益故か高確率で冒険者になれたおかげで入れ替わりが激しく、イオのような田舎者でも奇跡的に宿をとる事に成功したのであった。
「あー、今日も良い朝ですねぇ」
早朝。そんなエンレイ亭の出入口の前で、一人の女性が大きく伸びをする。
薄緑と白を基調とした制服を着込んでおり、その手には庭ボウキと、木製のチリトリが握られている。エンレイ亭の女性職員だ。
「さて、今日も朝の掃除を頑張りますかッ」
彼女はそう言うなりサッサッと玄関前の道を掃き始める。早朝故に人は少なく、まだ空気が澄んでいる今の内に。
「おはようございます!」
掃いていると、一人の男性が声をかけてきた。女性職員よりも二、三歳ほど年上の成年だ。彼は手の先から肩の部分まで露出した肌着と、膝丈の細袴を着ている。勇者達が元いた異世界で言うところの『早朝ランニング』をしているのだろうか。
女性職員も彼に「おはようございます!」と笑顔で言った。
彼も、もしかするといずれ、エンレイ亭のお客様になるやもしれない人なのだ。挨拶をしておいて損はない。
「朝から大変ですね、掃除なんて」
「いえいえ。お客様の事を思えば、これくらい苦ではありませんよ」
女性職員が挨拶をすると、男性は足を動かしたままその場に留まり、さらに話しかけてきた。彼女はそれに、掃除しつつ笑顔で応える。
すると成年は、なぜかジーッと女性職員を見つめてきた。
まさか顔に何か付いているのか、と思い女性職員は反射的に自分の顔に手を伸ばそうとしたが、その前に成年が口を開く。
「俺、実は数日前から冒険者やっているんだけど」
彼は目を逸らして少し逡巡した後、話を進めた。
「ダンジョンやステージで、あなたみたいに掃除をしている人達を何度も見かけたけど……その人達も、同業者なの?」
「ああ、清掃ギルドの事ですか?」
女性職員が訊いた。
「せ、清掃ギルドぉ?」
初めて聞くワケが分からない単語であったため、冒険者である成年は思わず脚を止め首を傾げた。
「ステージやダンジョンの管理者に雇われた清掃員じゃないの?」
どうやら成年は、清掃ギルドに所属している者達を『臨時雇い』のようなモノだと思っていたらしい。