132 月の色はもう赤くありません
シャーロットの心の傷はミサキに任せ、ローラ、大賢者、ニーナは王都の空に飛び立った。
もちろん銀の杭も忘れない。
とりあえず、最大戦力である大賢者に持ってもらうことにする。
「ニーナさん、背中から黒い翼が生えてます! 格好いい!」
「格好いいかしら……? それに夜しか吸血鬼の能力は使えないし、普通の飛行魔法のほうが便利よ」
「でも、格好よさも大切ですよ!」
「あら、ローラちゃん。だったらそのまま吸血鬼になってみる?」
「そ、それはやめておきます……!」
ケチャップの代わりに人間の血をオムレツにかけ、「わぁ美味しそう」なんて言っている自分を想像し、ローラは身の毛がよだつ思いだった。
それに吸血鬼は、吸血衝動の他にもデメリットがある。
外見だ。
ニーナの母親のように自我を失った吸血鬼は、どうやら怪物の姿になってしまうらしい。
そして自我を保っていたとしても不老不死。
つまり成長できない。
現にニーナは小さいままだ。
ローラは大きくなりたいので、吸血鬼化はお断りである。
「それで学長先生。空を飛ぶのはいいですが、ここから眺めたって、吸血鬼は見つからないと思いますよ?」
「別に肉眼で探すわけじゃないわよ。一度戦った相手だから、集中すればかなり遠くにいても、魔力の波長を探知できるはずよ」
「おお、学長先生、器用ですね! 王都全部をカバーできるんですか?」
「できるわよ。ローラちゃんはまだ無理?」
「うーん……学園の敷地だけでも難しいと思います」
「あらあら。もっと練習しないとね」
というローラと大賢者の会話を聞いていたニーナは、呆れた顔になる。
「……いや、どっちも凄すぎるんですけど。大賢者はともかく、ローラも実は見た目と実年齢が違ってたりするの?」
「え、私は普通に九歳ですよ?」
「それって吸血鬼よりも化物なんじゃ……」
「ひ、酷いですね!」
気分を害したローラは、ニーナの頬をムニムニと引っ張った。
ローラはいつもシャーロットや大賢者に頬をムニムニされているので、たまには『やる側』に回ってもバチは当たらないはずだ。
「の、伸ばしゃないで……」
と、ローラとニーナが遊んでいる横で、大賢者は目を閉じ、集中力を高めていた。
目の前にいるのに、その存在感が希薄になっていく。
まるで大賢者が王都全体に広がっていくかのようだ。
それは吸血鬼がやってみせた、肉体を霧に変えて拡散するのとはまた違う。
大賢者は確かにローラたちの隣にいるのだが、その意識だけが薄く広く偏在しているような、妙な感覚だ。
これが広域を一気に索敵する技。
それを目の当たりにしたローラは、あとで練習するため、大賢者をつぶさに観察する。
やがて目を開いた大賢者は、首を上に向け――。
「あそこよ」
見つめる先には三日月。
その淡い光のなかに、黒く小さな影があった。
「なんと! あんな場所から私たちを見下ろしていたんですね!」
「お母さん。今日こそ終わりにしよう……!」
ローラとニーナは、吸血鬼に向かって突撃しようとした。
しかし、そのとき。
吸血鬼から波動が放たれた。
自分以外のありとあらゆる存在へ向けられた、捕食の意思。
それは殺意でも敵意でも闘志でもなく、食欲だった。
墓地で出会ったときよりも、強くなっている。圧倒的に。
いや、異常なのは、それだけでなく。
むしろ、もう一つの事象のほうが、より意味不明であり。
「え、ちょっと待ってください……これはどういうことです……?」
吸血鬼を見上げるローラは、まるで鏡を見ているような錯覚に陥った。
別に、吸血鬼がローラそっくりに変身したわけではない。
相変わらず、ミイラのような異形のまま。
変わったのは、魔力の波長。
もともとあった禍々しい魔力の中に、なんと、ローラの魔力が混ざっている。
「まさか、ローラちゃんの血を吸ってパワーアップしたなんて馬鹿な話じゃないでしょうね?」
大賢者が呟く。
それを聞いて、ニーナは首を振って否定した。
「いや、考えられないわ。そりゃ血を吸ったあとは力が湧くけど……ローラはちょっとしか吸われなかったでしょ。だいたい、一人や二人、死ぬまで吸ったとしても、あんな見て分かるほどのパワーアップなんて……」
ニーナの言葉に、大賢者は眉をひそめる。
「つまり、多少なりとも、血を吸ってパワーアップって現象はあるのね?」
「あるけど……今言ったように、ちょっと吸ったくらいじゃ、自分でも分からない程度よ」
「それは普通の人間の血の話でしょ。ローラちゃんは普通の人間じゃないから」
「あ」
大賢者の言葉を聞き、ニーナは口を開けたまま硬直した。
「ええっ、私の血のせいであんなことになってるんですか!?」
「でしょうね。でも、これで分かったわ。あいつは次元倉庫から、自力で出てきたのね」
「めちゃくちゃ強敵じゃないですか!」
不死。ただこれだけでもやっかいな相手だったのだ。
それに加えて、ローラの魔力の一部と、更に次元倉庫まで。
本当にシャレにならない。
だからこそ、早く倒さねば。
奴は、この王都そのものに対して食欲を抱いている。
抑えるつもりがない。だだ漏れだ。
きっと今までは、人間たちに見つからないよう、押さえて吸血してきたのだろう。
いくら銀の杭を心臓に打ち込まれない限り死なないとはいえ、吸血鬼が実在しているとハッキリ分かれば、人間は本気でその対抗策を考える。
この世界には大賢者をはじめとして、優秀な魔法使いが沢山いる。
もしかしたら古代文明を調査して、銀の杭を見つけてしまうかもしれない。あるいは古代文明とは別の方法で吸血鬼を倒してしまうかもしれない。
理性が残っていなくても、そういった脅威を本能で感じていたのだろう。
だから、吸血鬼は都市伝説で済んでいた。
しかし、もう遠慮する必要がないと奴は判断した。
人間たちが全力で吸血鬼を排除しようとしても、それがどうしたと言えるほどの力を身につけた。少なくとも奴自身はそう思っている。
ならば、その思い違いを正さなければならない。
ローラと大賢者は吸血鬼へ一直線に飛んでいく。
ワンテンポ遅れてニーナが続く。
そのとき、月齢が変わった。
今の今まで吸血鬼の背後にある月は、三日月だった。
それが、ローラが一度瞬きした隙に、満月へと変わっていた。
意味が分からない。だが事実だった。
いや、たんに月齢が変わっただけでなく、月の大きさが十倍近くに膨れ上がり、更に色まで変わった。白金色に輝いていたのに、今は赤い。
まるでニーナの瞳の色のようだ。
「月に魔力が吸われていく……?」
吸血鬼に突撃しながら、大賢者が呟く。
「確かに、もの凄い脱力感です……」
原理は分からないが、あの月は危険だ。
なにせ、ローラと大賢者が、吸血鬼のところに、まだ辿り着けていないのだから。
本当なら、すでに一撃を食らわせているはずなのに。
近づけば近づくほど、吸われる速度が増していく。
「これって、王都にいる人たちの魔力も吸ってるんですか!?」
「そうでしょうね。月から遠い分、私たちよりも効果は薄いでしょうけど」
あの月はどこにあるのだろうか。
教科書に載っていたように、空の彼方、宇宙という場所なのか。
しかし、三日月だった月が赤い満月に変化してしまった時点で、既存の情報は全て当てにならない。
すぐそこにあるようにも見える。
あの吸血鬼は、赤い満月を作り出すことにより、美しかった夜を、自分が望む血の色の夜に書き換えてしまったのだ。
下手をすると、この夜は、明けない。
なにせ夜を書き換えたのだ。ならば朝や昼を書き換えられないとなぜ言える。
日の出を待っても、奴は弱体化しないかもしれない。
そもそも日の出が来ないかもしれない。
しかも王都にいる全ての人々の力を吸い上げて、時間とともに強くなっていく。
最悪の敵だ。
「だったら学長先生!」
「ええ、私が正面から行くから、ローラちゃんは後ろから!」
ゲートを開き、次元倉庫を経由し、瞬間移動。
まずローラが吸血鬼の背後に出現。
剣を抜き放ち、ありったけの魔力を込めて、刃を強化。
真横に一閃。
吸血鬼は強固な防御結界を張っていたが、ローラの剣はそれを見事破り、胴体を切断。と同時に、超音速の衝撃波で、吸血鬼の肉と骨をズタズタにする。
そうしてボロぞうきんのようになった吸血鬼の上半身に、大賢者の突き出した銀の杭が、真正面から迫る。
タイミングは完璧。
回避はまず不可能。
仮に避けられても、ローラが更なる攻撃を繰り出して動きを止めてみせる。
そう思っていたのだが、しかし、相手もまた次元倉庫を使えるのだ。
失念していたわけではない。
だが、次元倉庫を開くにはそれなりの集中力を有する。
たった今、次元倉庫の開き方を知ったばかり吸血鬼が、この土壇場で次元を超えた回避をしてみせるとは思っていなかった。
吸血鬼は、二つに分かれた上半身と下半身の両方を、この世界から消してしまう。
心臓めがけて突き出された杭は、空振った。それどころか、危うくローラに突き刺さるところだった。
そして再生した吸血鬼は、大賢者の真後ろに出現する。
「甘いわね、いかにも次元倉庫を覚えたてって感じの動きよ!」
大賢者は読んでいた。
振り返らないまま、吸血鬼めがけて眩い光の砲撃を放つ。
それで焼き尽くされた吸血鬼だが、灰を集めてまた元の姿へと再生する。
と、同時に、再び次元倉庫へと逃げ込もうとし――ミイラのような表情に、困惑を浮かべる。
「だから、甘いと言っているのよ。こちとら次元倉庫の考案者。年期が違うのよ。その気になれば、他人がゲートを開くのを妨害することだってできるんだから」
大賢者は不適に笑いながら言う。
吸血鬼はもう一度、次元倉庫へのゲートを開こうとするが、開かない。
大賢者の妨害は、王都の上空全域に及んでいる。
しかし、大賢者は妨害術式を展開する直前、一度だけ小さなゲートを開いていた。
だから、彼女の手元に、銀の杭はない。
銀の杭は、元の持ち主。
ニーナの手にあった。
吸血鬼の背後へ、杭を構えたニーナが迫る。
心臓へと強烈な突きが繰り出され――しかし間一髪のところで、吸血鬼は霧となって逃れていく。
霧は更なる上空、赤い月により近い場所でミイラの姿に戻る。
戻ったところを狙って、今度はローラが魔法を使った。
「凍ってください!」
超低温。絶対零度に近い温度の氷で、吸血鬼を包み込む。
皮膚の表面だけでなく、その奥にある筋肉まで冷凍したはずだ。
当然、翼も凍った。
よって吸血鬼は落ちてくる。
「ニーナさん、私の血を飲んでください!」
「え!? わ、分かったわ!」
早口で交わされる会話の間に、ローラは自分の指を噛んで血をにじませ、それをニーナに舐めさせた。
その瞬間、ニーナの魔力が爆発的に膨れ上がった。
「さあ、行きましょうニーナさん!」
「うん……ありがとうローラ!」
二人で杭を持ち、落ちてくる氷漬けの吸血鬼めがけて、全力突進。
絶対零度の氷を割り、皮膚を貫き、骨を砕いて、遂に心臓へと深々と突き刺した。
これで、今度こそ。
本当に吸血鬼にトドメを指したのだ。
氷の中で、吸血鬼は目を爛々と輝かせた。
眼球のない頭蓋骨の奥から、赤い光を強く放って――そして消える。
まるで断末魔の叫びのようだった。
あの禍々しい気配も、ローラのものと同じ魔力も、感じなくなった。
目の前にあるのは、氷に閉ざされた干からびたミイラだ。
「おやすみなさい……お母さん……」
杭を握りしめたまま、ニーナが声を漏らす。
そして一滴の涙がこぼれ、王都の空にとけていく。
月の色はもう赤くはなかった。
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