131 こんなときでもオムレツです
もう遅い時間なので、学食の営業は終わっていた。
しかし、こちらには学食のスタッフであるミサキがいるのだ。
勝手に調理場にお邪魔して、四人分のオムレツを作ってもらう。
「ミサキさん、前は皿洗いばかりやっていたのに、最近は料理もするんですね」
「一生懸命、仕事を覚えているであります。一流の学食のおばちゃんを目指すであります」
ミサキは胸を張る。
「……おばちゃんになるには三十年くらいかかりそうですね」
「そ、そんなことはないであります! 頑張れば、もっと早くなれるはずであります!」
学食のおばちゃんと呼ばれるには、もっと老ける必要があると思うのだが、ミサキは老けたいのだろうか?
学食のミサキちゃんと呼ばれるほうが、可愛らしいのに。
「じゃあ、立派なおばちゃんになるために、オムレツにはチーズをたっぷり入れてください。今日はチーズオムレツを食べたい気分です!」
「了解であります。これでまた一歩、学食のおばちゃんに近づいたであります!」
そして、できあがったオムレツを、それぞれがお盆に入れてテーブルまで運ぶ。
オムレツにナイフを突き刺した瞬間、溶けたチーズがトロリとあふれてくる。
口に入れるとチーズと卵のオーケストラ。
「美味しい……こんな美味しいオムレツを食べるの初めて……!」
ニーナはパクパクと凄い勢いで食べていく。
流石、昨日のお昼から何も食べていない人だ。
「褒められると照れくさいでありますよぉ」
自分の作ったオムレツが好評なことにミサキは顔を赤くし、耳をピコピコさせる。
「それにしてもニーナさん。吸血鬼は人の血を飲むのでしょう? その他にも、普通の食べ物が必要なのですか?」
シャーロットが尋ねる。
「人の血だけでも大丈夫だけど……血はあまり飲みたくないから、普通の食べ物で補ってるの。でも私、お金ないから……」
「それは大変ですわね……王都に来るまではどんな生活を?」
「い、言わなきゃ駄目……?」
ニーナは小さな声で呟き、目を泳がせる。
「吸血鬼の生活というものに興味が尽きませんわ!」
「私も気になる」
アンナまでが話をせがむ。
するとニーナは観念し、とつとつと語り出す。
「……お金が落ちてないか探し回ったり。どうしてもお金が見つからないときは、その辺の畑からダイコンを引っこ抜いて食べたり。血が飲みたくてどうしても我慢できなくなったときは、路上で寝ている人の指先を針でチクッと刺して、ちょっとだけもらったり……あ、直接噛みつかずに飲むと、相手を吸血鬼にしないで済むのよ」
なるほど。そういう裏技があるのか。
しかし、それにしても。
「ほ、ほとんど犯罪でありますな……」
「ニーナ、出頭しよう」
「悔い改めるのですわ……」
「し、仕方ないでしょ! お金ないんだもん! それに、やっぱり、たまには血を飲まないと動けなくなるし……」
ニーナはプルプル震えながら反論する。
「お金がないなら働きましょうよ。ニーナさん、私よりも小さくても、実際は十八歳なんでしょう? 駄目ですよ、それじゃニーナじゃなくてニートさんです」
「こんな姿の私を雇ってくれるところなんてないでしょ。それに両親を探して旅をしなきゃいけないし」
「そんなときこそ冒険者ギルドですよ! 自由業の王様! いつでもどこでも、自分のやりたいペースでクエストを受ければいいのです!」
「一応、ギルドに登録してるけど。でも私、夜しか戦えないから……夜にモンスターを狩って朝一番にギルドに持って行くってのを繰り返してたら、吸血鬼じゃないかって疑われたのよね……あんまり多用はできないわ」
「むむ……確かに制約が多いですね」
ローラたちは冒険者学園の制服を着ているから、モンスターを倒せても、それほど不思議には思われない。
しかしニーナのように、普通の子供が一人でモンスターを倒していたら、かなり珍しい。
それも夜限定で戦う少女。
怪しすぎる。
おまけに、本当に吸血鬼なので、調べられたらアウトだ。
「もしかして、吸血鬼の都市伝説の一部は、ニーナさん……?」
「そうかも」
「凄い! 握手してください!」
「い、いいけど……」
ローラはニーナの手を取り、ぶんぶんと上下に振る。
するとテーブルの上で座っていたハクが、ぶんぶん動く二人の拳の上に、ぴょんと飛び乗ってきた。そしてトランポリンのようにぶんぶんぴょんぴょん跳ね回る。
「ぴー」
ローラの腕が疲れてきた頃、ようやくハクは満足したらしく、またテーブルの上に戻った。
「握手するだけでこんなに疲れるとは思わなかったわ」
「あはは……それにしても学長先生、遅いですねぇ」
「学長室で待っているのではありませんか?」
「いえ、学長先生なら推理力を発揮し、暇を持て余した私が皆をオムレツに誘ったと察するはずです」
「確かに、それは私でも推理できる」
「お腹が減ったからオムレツではなく、暇だからオムレツというのも凄い話でありますな」
「オ、オムレツを食べることほど有意義な時間はないから、いいんですよ!」
ローラは苦し紛れに弁解する。
「駄目ですわローラさん。そんなに食べてばかりいたら……体が大きくなってしまいますわ!」
「それの何が駄目なんですか!?」
育ち盛りのローラは、いつだって栄養を欲している。
早く大きくなって、大人っぽいファッションとかしてみたいのだ。
なのにシャーロットは、ローラの抱き心地のことしか考えていない。
酷い人だ。ぷんすか。
「あなたたちって、いつもそんなコントみたいな会話してるの?」
ニーナが呆れたように言った。
しかし会話がコントのようになってしまうのは、シャーロットのせいであり、ローラの言動はまともなはずだ。
多分。
「さて。オムレツを食べ終わってしまいました……次は何をしましょう?」
「それは無論、皿を洗うでありますよ」
「なるほど。皿を洗ったら、何をしましょう?」
「学長室に戻って、学長先生が帰ってきていないか確かめるべき」
「ふむふむ。正論ですね、アンナさん。しかし学長先生がまだ帰ってきてなかったらどうしましょう?」
「こういうときは……皆でお風呂に入るのがよろしいですわ!」
「シャーロットさん、それです! 皆で洗いっこです! なんなら学長先生も誘いましょう」
今後の方針が固まった。
それぞれ、自分で使った皿を綺麗に洗い、勝手に学食を使用した痕跡を隠滅する。
そして学長室に向かうが、大賢者はまだ帰ってきてなかった。
「……随分と苦戦してるんですね」
「吸血鬼ってそんなに強いんですの?」
シャーロットが質問してくる。彼女とアンナは大賢者の魔法で飛ばされていたから、吸血鬼の墓地での暴れっぷりを見ていないのだ。
「まあ、再生力と回避が凄いので、強いと言えば強いんですけど……杭という攻撃手段を得た学長先生が苦戦するのは、ちょっと不自然ですね」
「ねえ。次元倉庫ってどんな場所なの?」
ニーナが尋ねてきた。
そう言えば、この中でニーナだけが、次元倉庫に入ったことがなかった。
「真っ暗で、もの凄く広い空間です。どのくらい広いのかは、私もよく分からないです」
「ふぅん……じゃあ、逃げに徹したら、大賢者が相手でも時間を稼げるかもね」
「そうでしょうか? やる気を出した学長先生の強さは、そういうレベルじゃないと思うんですけど……」
とはいえ、それはローラのイメージに過ぎない。
現にこうして大賢者はまだ次元倉庫にこもったままだ。
ニーナの言うように、追いかけっこを続けているのかもしれない。
なんて話をしていたら、大賢者が帰ってきた。
「おかえりなさい学長先生!」
「早くローラさんとエミリア先生に、吸血鬼の灰を飲ませるのですわ!」
苦戦しようが時間がかかろうが、目的を達成したなら問題ない。
これで王都の吸血鬼騒ぎは解決。
ローラとエミリアも助かり、ニーナの旅も終着。
そのはずなのに、どうしてか、大賢者の表情は曇っていた。
「どうしたんですか学長先生?」
ローラの質問に答える代わりに、大賢者はニーナを見つめ、申し訳なさそうな顔をする。
「ごめんなさい、ニーナちゃん。約束を果たすのは、もうちょっと待ってちょうだい」
「え、えっと……どういうこと?」
大賢者に謝られたニーナは、戸惑った声を上げる。
ローラたちも首をかしげてしまう。
まさか大賢者は吸血鬼に負けたのだろうか。いや、それにしては戦闘をした形跡すらない。
一体どうしたのかと全員が大賢者を見つめていると、彼女はぽつりと呟く。
「……いないのよ」
それは大賢者にしては珍しく、自信のない声色だった。
ただならぬ雰囲気を感じ、ローラたちは慌てふためく。
「い、いないってどういうことですか!?」
「だから、次元倉庫のどこを探しても、あの吸血鬼が見つからないの。ローラちゃん、ゲートを開いたりしてないわよね?」
「開いてませんよ! もしかして、私と学長先生以外にも、次元倉庫を使える人が……?」
「どうかしら……でも、他に考えられないし……」
「と、とにかく、私も次元倉庫を見てきます!」
ローラはハクをミサキに預け、次元倉庫に行き、暗闇の空間を飛び回った。
吸血鬼が放っていたあの禍々しい魔力を探しながら、「吸血鬼やーい」と呼びかける。
だが、吸血鬼は見つからない。
そもそも、次元倉庫に収納した物を取り出す際、こうしていちいち探し回ったりしない。
なんとなく、どこに何があるのか瞬時に把握し、元の世界に召喚するのだ。
だから、このように見つからないという時点で異常事態。
「大変です! 本当にいませんでした……どうしましょう!」
学長室に戻ったローラは、大賢者にすがりつく。
さっきまでは、すっかり解決した気分になっていた。
だから呑気にオムレツを食べる余裕があった。
しかし、このままでは、ローラもエミリアも吸血鬼になってしまう。
自我を保っていられるなら、まだいい。
ニーナのように生きていくこともできる。
だが、自我を失ってしまったら……人を襲う醜い怪物と化す。
「落ち着いてローラちゃん。とにかく、原因は分からないけど、吸血鬼は次元倉庫の中にいない。つまり、こっち側の世界にいるってこと。私とローラちゃんとニーナちゃんの三人で探しましょう。あとの皆は学園で待機」
「なぜですの!? ローラさんとエミリア先生のピンチなのですわ。わたくしたちも吸血鬼を探しますわ!」
「気持ちは分かるけど、あなたたちが吸血鬼を見つけても、何もできないでしょ? はっきり言ってしまえば足手まといだから」
大賢者はいつになく真剣な口調でシャーロットを突き放した。
それを聞いたシャーロットは、唇を噛みしめ、泣きそうな顔になる。
しかし、事実だった。
ローラは既に噛まれているから、もう一度噛まれても問題ない。ニーナはなおさらだ。
そして大賢者なら、何時間も全身を防御結界で包み続け、吸血鬼の牙から皮膚を守るということも可能だろう。ローラだってしんどいが、やろうと思えばできなくもない。
だが、シャーロットとアンナには無理だ。
単純な戦闘力の問題。
おそらくシャーロットとアンナは、あの吸血鬼の前に立ったら、数秒で殺されてしまう。
だからこそ、大賢者は墓地から二人を排除したのだ。
多分、シャーロット自身、力不足を分かっているはず。
しかし、意地を張らずにいられない。
そんなシャーロットの袖を、アンナが引っ張る。
「シャーロット、今日のところは、引こう。いつか強くなって、足手まといにならないようになろう……!」
アンナの言葉に、シャーロットは絞り出すように呟く。
「……分かりましたわ」
足手まといだから来るなと言われ、それに頷くというのは、どれほどの屈辱だろうか。
ローラが無人島で味わった無力感。あれを何倍にもしたものが、シャーロットの中で渦巻いているに違いない。
「シャーロット殿、元気を出すであります。なんなら……少しくらいなら尻尾をモフってもいいであります」
「ありがとうございます、ミサキさん……でもこれは、ミサキさんの尻尾でも解決できない悩みですわ……」
そう言いながらも、シャーロットはしっかりミサキの尻尾を触っている。