129 吸血鬼の回想
事の発端は、十八年前にさかのぼる。
イノビー村というところに、とある幸せな女性がいた。
彼女は愛する夫と結婚し、そして可愛い娘が生まれた。
何もかもがバラ色だった。
永遠にこのときが続けばいいのにと思っていた。
だからこそ、医者の宣告は、彼女にとって耐えがたかった。
余命一年。
体の不調を感じて医者に診てもらった彼女は、信じがたい運命を突きつけられた。
――信じられない。信じたくない。信じていいはずがない。
だって、こんなにも夫を愛していて、愛されて、生まれたばかりの娘もいて、それもまた可愛らしくて、その成長を見守るのが楽しみで。
なのに、あと一年?
ふざけるな。
病気などには屈しない。
この幸せを永遠にしてみせる。
だって私はこんなにも幸せなのだから。
もっと生きたいのだ。
ただ家族と一緒に生きていたい。
それ以上は望まない。
そんなささやかな願いを抱いてはいけないなどということがあり得るだろうか。
一体どこの誰が『生きたい』という願いを否定できる?
そうだ、私は生きる。
何を犠牲にしてでも――。
彼女は病身を引きずって、研究に没した。
日々、死に向かっていく身体で。数々の魔導書を読みあさり。実践し。魔法を習得し。薬を作って限界を超えて摂取し。肉体の崩壊を寸前で押さえ続けた。
魔導書を買う金がないときは旅人を殺して奪い取り、薬の材料を買う金がないときも殺して奪い取る。
しかし、そんなことを続けているのに、彼女は家族の前では笑顔を絶やさなかった。
全てを隠し通し、よき妻、よき母を演じる。
いや、本人には演じているつもりなどない。
心底、家族を愛していたのだから。
余命の一年を超えてもまだ死なない。
お医者さんの言うことも意外と当てにならないね、なんて夫と笑い合って。
一歳になった娘を抱いて。
それはとても幸せ。
絶対に永遠にしてみせると再度誓う。
しかし、現代の魔法技術では限度がある。
確実に死が近づいている。
それを察した夫は妙に優しくなって。
けれど、たまに悲しげな表情を見せて。
――ああ、ごめんなさい。そんな顔をさせてしまって。
心配しないで、私は大丈夫よ。
私は死なない、死なないわ。永遠に生き続けるのよ、あなたたちと。
どんな方法を使ってでも――。
だから彼女は古代文明の遺跡に潜った。
彼らは今よりも遙かに進んだ技術を持っていたという。
ならば永遠の命のヒントくらいはあるだろう。
なければ嘘だ。死んでしまう。
しかし自分は死なない。だからあるに違いない。
遺跡を探るのは、もちろん家族が寝静まった真夜中。
そうでなければ行いがバレてしまう。
睡眠など邪魔だ。
もはや一秒も無駄にできない。
とてもではないが眠る気にならないし、眠れない。
数々の薬物は、すでに彼女の脳を暴走させていた。
こうと決めた目的のために自動的に突き進む機械。
体はかろうじて生きていた。
だが、もしかしたら心は、とうの昔に死んでいたのかもしれない。
それでも歩みは止まらない、止められない。
そして、ああ、ついに。
数年後。彼女は、とある遺跡の奥底で、望むものを手に入れた。
存在そのものは今までの調査で分かっていたのだが、現物が見つからなかった。
――吸血鬼病患者の頭蓋骨――。
それは吸血衝動と引き換えに、永遠の命を得るという古代の奇病。
古代人たちはこれを脅威と感じ、全力を挙げて患者を滅ぼし、完全に駆逐したらしい。
仕方のないことだ。
人間が、人間を捕食する怪物に変わってしまうなど、種の存亡に関わる。
吸血鬼病は、決して解き放ってはならないものだ。
しかし、そこまで理解しておきながら、彼女は頭蓋骨の牙を自分の首筋に押しつけた。
牙が頸動脈に突き刺さり、血が流れ、入れ替わるようにして、牙から吸血鬼病の術式が流れ込んでくる。
そう。術式。
きっとこれは、古代の魔法使いが作った、人工的な病気なのだろう。
なんて趣味の悪い。
どんな目的か分からないが、人類そのものを危険にさらすようなものを作るなんて、気が知れない。
だが、今は感謝。
おかげで永遠が手に入る。
遠慮なく、躊躇なく。
彼女は頭蓋骨を持って遺跡から飛び出して、愛する家族が待つ家に帰る。
夫と娘にも永遠を分け与えるために。
吸血鬼の吸血行動には大きく分けて、二つのパターンがある。
『死ぬまで吸う』のと、『死なない程度でやめる』というものだ。
吸血鬼に噛まれて生き残った者は、三日後に吸血鬼になってしまう。なってくれる。
ゆえに彼女は、眠っている夫と娘の首筋に、そっと頭蓋骨の牙を押し当てた。
そして回復魔法で傷を塞いで、何食わぬ顔で家族を続ける。
三日後、全てが成就する。
幸せが永遠のものとなるのだ。
この先、色々なことが起きるかもしれないが、家族で力を合わせればきっと大丈夫。乗り越えていける。
しかし、そのときまだ彼女は知らなかった。
吸血鬼病に感染した者の全てが、元の姿と自我を保っていられるわけではないということを。
初日はよかった。
二日目に異変を感じた。
三日目、異形の怪物へと変貌し、夫とともに、愛する娘に襲いかかった。
元の姿と自我を保っていたのは九歳になったばかりの娘だけだった。
家族全員が吸血鬼。
ただ『家族と生きたい』という素朴な願いのために、恐るべき非道に手を染めて、ようやく掴んだ道の果てに、自ら愛娘を破壊しようとする。
娘は戸惑いながらも、怪物になってしまった両親に抵抗する。
自分もまた怪物の力を手にしていることに愕然としながら。
決着は付かない。
吸血鬼は不死身なのだ。
殺されることも、殺すこともできず、暴走状態の父と母はいずこかへ消え、幼い娘は意味も分からず泣き崩れ、そして九年が経過して――。




