128 これは思わぬ展開です
パキリッと、氷がひび割れるような音。
振り返ると、吸血鬼を包んでいた氷に、亀裂が走っていた。
「そんな、まさか氷に閉じ込めても駄目なんですか!?」
ローラは信じられない思いでひび割れた氷を見つめる。
だが、どうやら吸血鬼の悪あがきだったらしい。
亀裂はそれ以上広がらず、吸血鬼が動き出すことはなかった。
「ふぅ、よかったわ。氷でも駄目なら、次元倉庫に収納するしかないもの」
「おお、その手もありましたか。じゃあ心配することもなかったんですね」
「でも、あいつ、次元倉庫に入れても永遠に生きてそうじゃない? 私、あんなのを倉庫に入れておくとか嫌なんだけど」
「確かに……」
そのうち死んでくれるならいいが、今までの不死っぷりを見る限り、それはあまり期待できそうもない。
あんな怪物を入れたままにしたら、次元倉庫の使い勝手がとても悪くなってしまう。
「でも、このまま墓地に置いておくわけにもいきませんよね」
「そうなのよねぇ……どうしましょ」
そう悩んでいると、不思議なことがおきた。
氷の中にいる吸血鬼の色が、どんどん薄くなっていくではないか。
最初は光の屈折のせかいと思ったが、違う。
明らかに、消えている。
「ど、どういうことですか!」
「まさか!?」
大賢者は空に光球を打ち上げた。攻撃ではない。たんなる明かりだ。それは強烈な光で墓地全体を昼間のように照らし出す。
すると、空中を移動する黒いモヤの姿が浮かび上がった。
そのモヤは、氷の亀裂から伸びている。
まさか、吸血鬼が霧に化けて、あの小さな亀裂から脱出をしているのか。
信じがたい。
しかし、現実に氷の中の吸血鬼は、もはやほとんど見えなくなり、そして空のモヤは濃くなっている。
「ならば元を絶ちます!」
ローラは氷を次元倉庫のゲートで包み、空間ごと削り取る。
が、しかし、遅すぎた。
すでにモヤは吸血鬼の形になっており、そして復活を――。
「そうはさせないわ」
大賢者もまたゲートを開き、吸血鬼を飲み込もうとする。
だが、吸血鬼は学習していた。ゲートが開く直前、真横に飛んで逃れてしまう。
ローラが氷を空間ごと消して見せたせいで、自分の再生力でも太刀打ちできない技があると察したのだろう。
しかし、ローラは〝なんとなく〟吸血鬼の行動を読んでいた。
無人島でダイケンジャーと激しい戦いを経験したことで、戦いの勘が以前よりも研ぎ澄まされているのだ。
ゆえに吸血鬼が逃げた先にゲートを開く。
いかに吸血鬼といえど、空間に干渉するすべはないはず。
今度こそ閉じ込めた――そう思ってしまったのを、油断と呼べばいいのだろうか。
だが、まさか吸血鬼が、これほど薄く広がれると、どうして予想できようか。
「また霧に!」
ただ霧になったのではない。固体だろうと気体だろうと、次元倉庫はどんなものでも飲み込んでしまう。
しかし吸血鬼は、一瞬にして広大な範囲に薄く広がったのだ。
次元倉庫はその極一部を飲み込んだだけ。
薄すぎて、とてもではないが目視できない。
よって魔力探知でその位置を探る。
すると、恐るべきことに。吸血鬼の気配が、墓地の全てから感じられた。
ならば墓地ごと次元倉庫で飲み込むか?
いや、それではローラと大賢者も一緒に向こう側に送られてしまう。意味がない。
「ローラ、後ろ!」
と、大賢者ではない誰かが叫んだ。
瞬間、吸血鬼の気配がローラの背後で濃くなった。
同時に首筋に痛み。
何かがグサリと刺さっている。
そう。
吸血鬼の牙。
ローラは今、血を吸われているのだ。
しかし、これはつまり。
「捕まえました!」
すぐ真後ろで実体化しているというならば、もう外さない、逃さない。
ゲート開放。
吸血鬼は〝向こう側の空間〟へと飲み込まれていく。
「ローラちゃん、大丈夫!?」
「ぴー」
吸血鬼が消えたあと、大賢者とハクが心配そうに声をかけてくた。
大丈夫、と答えたかったが、ローラは首の痛みで半泣きになる。
「ふぇぇ……凄く痛いです……」
「あらあら。待って、治してあげるから。えいっ」
大賢者がクルリと指を回すと、すぐに傷が塞がり、痛みも消えてしまった。
「ありがとうございます!」
「いいの、いいの。ローラちゃんこそ、よく噛まれながら次元倉庫を制御できたわね」
「ふふふー、あのくらいでは集中力は乱れませんよ!」
「でも、そのあとすぐに涙目になってたけどね」
「それは言わない約束ですよ……」
戦いの最中は頑張れるが、終わったら、もうそれまで。
痛いときは泣くし、くすぐったいときは笑うのである。
「ところで、さっき叫んでくれたのは誰だったんでしょう?」
ローラが疑問を口にすると、
「私よ」
声とともに、木の上から小さな人影が降りてきた。
黒い髪に白い肌。
ローラよりも更に小柄な体。
「ニーナさん!?」
そう。エミリアが衛兵のところに連れて行くはずだった、正体不明の少女。あのニーナが現われたのだ。
「どうしてここに!」
「どうしてって……さっきからずっといたし。とりあえず、あの明かりを消してくれない? 明るいと治るのが遅くって」
そう言ってニーナは空に浮かぶ光球を指さした。
治るのが遅い――。
その言葉が指す答えは、彼女の首筋にあった。
真横に、むごたらしい傷が走っている。
まるで、ねじりきられたのを、強引にくっつけたかのような。
「その傷は……え、もしかして、さっき吸血鬼に襲われていたのはニーナさん? でも完全に首がとれていたのに、どうしてまだ生きて……明るいと治りが遅いって、まるで吸血鬼みたいな……あれ、吸血鬼? ニーナさんが吸血鬼の正体!? でも吸血鬼は私が次元倉庫に送ったし……あれ? あれれ?」
何が何だか分からず、ローラの頭の中にクエッションマークが一杯に広がる。
「ここに来て急展開ねぇ。とりあえず、明かりは消すわよ」
大賢者がそう言うと、墓地を照らしていた光球が消え去る。
辺りは再び夜の闇に包まれた。
それと同じくして、墓地の入り口から、シャーロットとアンナの声が聞こえてきた。
「ちょっと二人とも! わたくしたちをのけ者にして戦うなんて酷いですわ!」
「ここを通して。というか、どうしてニーナがそこにいるの?」
などと言いながら、二人は、まるで壁でもあるみたいに何もない場所をドンドンと叩いている。
「シャーロットさんとアンナさんは、どうしてパントマイムを……?」
「ああ、私が墓地を結界で包んでいるのよ。吸血鬼が霧になって逃げないように。あと何も知らない一般人が入ってこないように」
「なんと! 流石は学長先生、いつの間に。気がつきませんでした!」
「ふふ、ローラちゃんもまだまだね」
そして大賢者が結界を解除すると、シャーロットとアンナがつんのめって倒れた。
「酷いですわ、酷いですわ!」
「これはもしかすると学長先生による生徒へのいじめかもしれない。どこに訴え出たらいいんだろう?」
「い、いじめじゃないわよ!?」
訴えると言われ、さしもの大賢者も慌てる。
「まったくもう……まあ、わたくしたちを追い出した理由は分かりますわ。それで吸血鬼はどうなりましたの? なぜニーナさんがここに?」
シャーロットは赤くなった鼻をさすりながら問いかけてくる。
「吸血鬼は、ローラちゃんが次元倉庫に閉じ込めたわ。それで、この子、あなたたちがラン亭の前で出会ったっていうニーナちゃんね。どうしてここにいるのかは、私も聞きたいわ。というか……何者? さっきの吸血鬼と近い魔力の波長を感じるんだけど。しかも、あの酷い首の傷がもう消えちゃったし?」
そうだ。あの目を背けたくなるような傷は、すでに跡形もない。
ローラも大賢者も、ニーナに回復魔法をかけていない。彼女自身が使ったような気配もない。
勝手に治ったのだ。
そんなニーナを警戒してか、大賢者は表情こそ微笑んでいるものの、眼光は鋭かった。
「……こうなったからには、全部説明するわ。でも、まずは一番大事なことから言わせて。ローラ。あなた、三日経ったら吸血鬼になるわよ。あと、あのエミリアさんって人も」
「へえ……私とエミリア先生が吸血鬼に……え、ええええ!?」
ローラの叫びは墓地全体に広がっていった。