1/心霊スポット
ガタゴト、ガタゴト。
音がして。
かくかくと揺れながら、景色が変わる。
いくつもの電信柱が隣を走り、緑の木々もまたそれに連なって、近づいてぶつかりそうになっては、横を通って後ろへ抜けていく。
「……眠い」
静かな電車の座席、その窓際で、肘をついて流れゆく景色を、眠たげな眼で見つめる少年は呟いた。
少年はふと窓から目をずらし、正面を見る。
対面するような形で座席に、少女が一人座っている。他に誰かいないものかと周囲を見渡しても、車両内には誰一人としていなかった。
ぼーっと、少年は少女を見る。
少女は長い黒髪、整った鼻に柔らかな瞳、綺麗な顔立ち。
海を彷彿とさせるワンピースの上から白いカーディガンを羽織り、肩から小さめの薄いピンクのポーチを下げて、少女はブックカバーに包まれた文庫本を読んでいた。
「……」
あのさ。
と言おうと、少年は彼女に話しかけようと口を開く。が、読書の邪魔をするのは悪いと思い、声になる前に、唇を閉じた。
ガタゴト、ガタゴト。
音が鳴る。景色が、変わる。
電車が走っているのは、俗にいう田舎道だ。
広がる水田、そびえる木々に、所々にぽつりと見える家々。
大して代わり映えもしない景色の中、電車に揺られておおよそ三〇分。少年は緑を見ることは嫌いではないが、流石に飽きてしまった――。
つい、先日の話である。
少年――時神鈴は、幼馴染である少女――水無月飛鳥と共に、無事に高天原中学校を卒業し、春休みを満喫していた。
満喫していた、と言っても、彼の常識は一般の常識とは少しばかり異なっている。普通の学生の言う休みの満喫――ただ怠惰な日々や、友人との遊びの日々を過ごすというわけではなく、ランニングや筋肉トレーニングで身体を鍛えた上で、暇な時間は……と言った具合だ。
これまで時間を搾り取られていた学校が休みとなったので、余った時間はそれなりに満喫して過ごしていた。のだが、平穏は長く続かないというのが、世の中の常である。
中学を卒業すると同時に両親は外国へ行ってしまって、実質一人暮らしとなった鈴のもとには、幼馴染であり隣家に住む少女、水無月飛鳥が、いつものように昼食を作りに来てくれていた。
そんな彼女と二人、昼食を前に手を合わせ、「いただきます」と箸を取ろうとしたときに、来客が訪れる。
鈴が玄関へ向かって目にしたのは、玄関に出る前に一人の黒いスーツを着た、目測二十代後半ほどの女性が既に上がり込んでいる場面であった。
「よう、鈴。邪魔するぞ」
「あの、既に入り込んでますよね?」
「お前の家は、わたしの家だ」
「ええ……」
心底不満そうな声を出して迎えた鈴の襟首を掴んで、半ば無理やり居間に上がり込んだ彼女は、水無月波姫。水無月飛鳥の母親であり、高天原高校の一教師であり、そして――。
波姫は食卓の前で困惑する飛鳥の隣に鈴を転がして、二人の前に雑誌を突き出した。
「お前ら、春休みになって暇なんだろう。是非とも此処へ行くといいい。というか行け」
『人を殺す、恐怖の館!』
『怪奇! 鏡の間!』
大きな見出しには、そういったことが書かれていた。
「急にどうしたの、お母さん……」
突如現れた母に困惑しつつ、飛鳥は波姫が突き出した雑誌を見る。飛鳥の横に転がされた鈴もまた、起き上がってその雑誌を見た。
「なんすかこれ」
「なにこれ」
二人は同時に顔をしかめた。
「心霊スポットだ。それと、これを見ろ。第十地区の『葵荘』という場所なんだが、ここに泊まるといい。わたしも泊まってみたが、お手洗いが少し遠いのと、春なのに肌寒いこと以外は問題ない」
心霊スポットについての雑誌を二人の前に放り捨てた波姫は、すぐさま別の雑誌を取り出して、二人の前に突きつけた。
いきなり心霊スポットの話をされたと思ったら、今度は宿の雑誌を見せられた。展開が速すぎて、二人の頭に理解が追いつかない。
しかし嫌な予感だけはしたのだろう。
「お断りしても?」
鈴が言った。
「なら聞くがな、鈴。お前、“天神”でわたしにこき使われるか、此処行くか、どっちがいいんだ」
――大日本帝国異常災害特別対策機関“天神”。
この世界には、人間のあずかり知らぬ世界が広がっている。心霊現象、地底人、まつろわぬ神、未確認生命体に、地球外生命体。そういったものは、確かに存在している。それらが異常なるものが影ながら起こす災害――すなわち異常災害を、秘密裏に処理し、世界の平和を守る……。
まあ簡潔に言ってしまえば、“天神”とは、そういう組織だ。そして“天神”には、人でありながら神の魂を宿す、天児という人を越えし存在が所属している。時神鈴、水無月飛鳥もまた、そのうちの一人だ。
第一級災害直接殲滅活動部隊“明星”。それが、二人の所属する部隊名である。
しかしどう見ても、心霊スポットということは“天神”絡みだろう。
結果、波姫にこき使われる、心霊スポットへ行く、どちらを選択しても、上司である波姫にこき使われることに変わりはないのではないだろうか。
理不尽な物言いに鈴が言葉を失っていると、波姫は「わたしの下は鬱になると噂だが構わないか」と続けた。
この年で鬱にはなりたくない。
「不肖時神鈴、是非ともその心霊スポットへ行かせていただきたく存じます」
「いい返事だ。予約などは此方で手配してあるから、早速明日の朝に向かってくれ」
――という次第で、鈴と飛鳥は現在、その心霊スポットに向かっているのである。
鈴は飛鳥から借りた本を置いて、今一度、波姫から渡された心霊雑誌を手に取った。
何度も読み返したものだが、眠くなる小説を読むよりは、よっぽどマシだ。念には念をというし、鈴はもう一度記事を読んでおくことにする。
『心霊スポットベスト30! 第5位『鏡の館』!』
パラリと捲ったページに、大きな見出しが、館の写真と共にデカデカと乗せられている。その下に綴られている細かな文字を、鈴は追った。
その内容は、言ってみればよくあるものだ。
――戦後、間もない頃の話である。
とある遊女がいた。名は『恵果』。
戦争のためか、家のためか、貧乏な生活をしていた彼女はある時、とある富豪に見初められ、嫁に行くことになる。その時に造られたのが、この心霊スポット――『鏡の館(正式名称・柊木館)』であるという。
正式名称が柊木館であるのに、心霊スポットとしては鏡の館と呼ばれるのには、相応の理由がある。どうにもこの館、二階のとある部屋には、尋常ならざる数の鏡があるらしい。その部屋が通称『鏡の間』とも呼ばれており、また幽霊の目撃証言があるのも、その鏡の間である。
ちなみに、この鏡の間に鏡が多量に配置されているのには、幾つかの説がある。
曰く、夫が、妻・恵果の美しさを幾度も眺めるためだとか。
曰く、恵果自身が自分の美しさを確かめるためだとか。
話を戻そう。貧乏な生活から一転して、富豪の嫁となった恵果は、贅沢の限りを尽くした。しかしある時、夫は恵果を捨て、愛人と共に姿を消してしまう。どうも、恵果は子を成すことができない身体であったらしい。
奈落から這い上がったと思えば、再び奈落に落ちた恵果。しかし一度啜った贅沢の蜜を忘れられず、彼女は金を稼ぐことにした。その方法が、身売りである。美しい自分を、多くの男に売り込んだのだ。
毎晩、毎晩、鏡に映る自分の美しさに酔いしれながら。
しかし恵果も人である。いつかは廃れ、衰える。自らの美しさを誇りに思っていた彼女は、自分の美しさが廃れることに絶えられなくなり、自殺した。
だが恵果の死体は見つからず。死因となる毒物なども、未だ見つかっておらず。
そしてある時を境に、鏡の館の周辺では奇怪な殺害事件が多発した。警察は同一犯の犯行による連続殺人事件であると捜査を始めるも、犯人は見つからない。あの女の祟りだと、呪いだと、誰かが言った。
時は流れ、現在までその殺人事件は続いた。そうしていつしか、心霊スポットと成った次第であるらしい――。
「……さて。どこまでホントなんだかな」
呟いて、雑誌を閉じた時だった。丁度いいタイミングで、『まもなく――』という車掌の声と共に、電車が減速を始める。鈴たちが目指していた駅のホームが、電車の窓から目に映った。
『第一〇地区。第一〇地区』
ぷしゅー。
抑揚のない声が放送されると同時に、電車の扉が開く。
鈴たち以外にも、数人が電車から降りていた。どうやら、別の車両には何人かの乗客がいたらしい。
「おっし」
鈴がぴょんと電車から降りると、可憐な仕草で、飛鳥も電車から駅のホームへ足を降ろした。
二人のその手には、二泊ぶんの着替えが入った、大きな荷物がある。
「では、行きましょうか」
駅から連なる凹凸の激しい田舎道を見て、飛鳥は言った。
☆
二人が田舎道を一時間ほど歩いて、山の上から見下ろした先に見えたのは、目的地らしい小さな集落の全体像である。動物避けの柵らしきものは開けっ放しで、ツルが生い茂っている辺り、もう何年・何十年と動かされていないのだろう。その柵から見て右手には、大きな館がそびえている。そしてその奥には、幾つかの家々、そして農作物を作っているのであろう畑があった。
「なぁ、飛鳥」
コンクリートにすら固められてはいない。道沿いに生えた樹木の根にのし上げられて、非常に歩きづらい。そんなでこぼこ道を歩きつつ、鈴は隣を歩く飛鳥に話しかけた。
「なに?」
「あと何分ぐらい歩けばいいの?」
「えっとねー……」
地図を見た彼女は、あと一時間ぐらいだと告げた。
既に一時間ほど経過しているわけだが、まだまだ続きはあるらしい。
それから一体、どれほど歩き続けただろう。いやむしろ、歩くというよりは、もはや登山・下山と呼べる行為であったのだが。
てっきり一時間で到着するつもりでいた鈴と飛鳥だったが、やたら登りの坂道が多かったり、道が複雑であったり汚かったりと、従来アスファルトの上ばかりを歩いている足には、想像以上に過酷なものがあった。
先ほど見えた柵の前に到着する頃には、家を出た時にはまだ東寄りにあった太陽が、大きく西に傾いていた。始めは平気で歩いていた飛鳥も、そして鈴すらも、気付けば額に汗をにじませている。
「ちょっとこれはきつかったね……」
柵を前にして一度立ち止まった飛鳥は、胸元をパタパタと揺らして仰ぐ。
「普段使わない筋肉使ったんだろうけど、若干足が痛いな」
「主にふくらはぎがですね……」
「わかる、すっげえわかる」
柵を前に、二人は一度立ち止まり、同時にとある方向を向いた。
柵の右にそびえる、巨大な館が、嫌でも二人の目を引いた。
どうやら、これが噂の鏡の館らしい。飛鳥が開いた雑誌を、鈴は横から覗き込んで、その画像写真と目の前の館を比べてみる。案の定、同じ建築物のようだ。
いつ建てられたのかは、彼らの目測ではわからないが、しかしかなり古いものであることが素人目にも分かる。洋風の館で、所々に苔が生え、木々に囲まれたその建造物は、完全にその場に同化していた。
なのに。――それなのに。何かが、違うと感じた。ボロ館が景色に溶けているようで、溶け込んではいない。馴染めていない。
確かにそこに在るハズなのに、どこか浮いている。
それは一言でいうならば、『異質』か。
墓場、病院など、死という概念に多く触れる場所などは、多くの者が「気味が悪い」「寒気がする」といった異質を感じ取る空間だろう。多くの心霊スポットと呼ばれる場所――その一つであるこの館もまた、そういった異質を感じさせるものであった。
上手く言葉には言い表せない、違和感。何故かよぎる、不気味な気配。誰かの視線に、粘つく空気。
気のせいと一言でいってしまえば、それまでかもしれないが。それでも、鈴と飛鳥は尋常ならざる雰囲気を感じていた。
「……」
気付けば、鈴と飛鳥は、どちらともなく館の二階を見つめていた。
しばらく見つめた後、我に返った鈴が、さっさと宿に荷物を置こうと言う。頷いた飛鳥は、鈴と共に柵をくぐった。