鈴と飛鳥
『――』
食事時、流れるテレビ。
「なあ、飛鳥」
少年――時神鈴は、テレビのニュースから目を離さないまま、正面に座る少女、水無月飛鳥に声をかける。
すると彼女は、「どうしたの?」と、いつもの調子で首を傾げた。
「常識って、何だと思う?」
そんな鈴の問いに、彼女は少し唸って、
「人それぞれに存在する、価値観みたいなもの――かな?」
それから、小さな口に箸を運んだ。
なるほど。常識とは、人それぞれの価値観。一理あると思う。
価値観は人の数だけ存在する。また常識というものは、人の価値観の上に構築されるべき代物だ。価値感と同等のものではないにしても、限りなく近しいものであることは確かだろう。
鈴は「へえ」頷いて、パクリと口に唐揚げを放り込んだ。
「どうしたの、急に」
口に入れた米を飲み込んだ彼女は、「ごちそうさま」と食べ終わった昼食を、片付け始める。
鈴は、周囲を見た。映るのは、いつもの景色だ。毎日目にする、自分の家。家事を手伝いに来てくれる、目の前の彼女。
鈴は、テレビを見た。
ニュースがやっていた。
鈴が目にするニュースの内容は、とある山林地帯に工場を建てようとしたが、奇妙な現象――具体的に言えば、途中で機械が故障したり、工事員が死亡したり、奇妙な声を聞いたり、奇妙な影を見たりといった具合である――が発生することについてのものだった。
――心霊現象だ、と専門家は言った。
――機械の不備だ、と専門家は言った。
『あなたは高天原第八地区の山林地帯の事故について、どう思いますか?』
ニュースキャスターが、第八地区の現場付近に住む人々に訪ねている。
『……えー、そんなんわかんないっすよ。あれじゃないっすか、機械がボロかったとか。それよりなんすか、これテレビ映るんすか? もしかして俺映っちゃうんすか? テレビ出ちゃうんすか? ウェーイ! お前ら見てるかァー?』
『怖いわよねえ。けど今時ユウレイなんて言ってられないじゃない? やっぱり機械の点検に問題があったのかと思うけどねえ』
『他の県がどうかは知らないですけど、そんなの、よくあることじゃないんですか? どーせまた機械の不備ですよ。確か中国の製品でしたよね、あれ』
口々と、彼らは言った。
そんな彼らには、世界がどのように見ているのだろう。ふと、テレビを見ながら、鈴はそんなことを思ったのだ。
彼らには、この日常が当たり前の世界であると――そう、見えているのだろうか。
「いや、特に意味はなかった。ただ、ふと思ってな」
言って、鈴は唐揚げを口に放り込む。
今の唐揚げが最後のおかずだ。受け皿を片付けて、ごちそうさまと一言告げる。その皿を飛鳥に渡して、鈴は窓の外を見た。
鈴の目に映る空は、青く美しかった。
☆
―― 一年と半年ほど前。
時神鈴がまだ中学二年生であった頃、彼の目に映る常識は、一般に言われる『常識』と呼ばれるものと同じものであった。
いつものように、学校へ行って。いつものように、クラスメイトと顔を合わせて。そして、いつものように、家へ帰る。
そんな、当たり前の日々。明日も続くであろう、変わらない日常。
けれど今では、彼の常識は大きく変化した。
――この世界が危機にある。戦うべき敵がいる。
唐突に現れた狐の女の告げた一言が、時神鈴の常識を変えた。
そして彼女の言葉通り、世界に危機が訪れた。
その危機は、そしてその戦いは、一般には知られていない。しかし確かに、世界は滅びようとしていた。その時に世界を救ったのが、天児と呼ばれる神の魂を宿した存在――時神鈴を中心とした、人を越えし者たちである。
そして世界を救うための代償として払われたのは、彼の親友の命。
ただ一人の人間の死で世界が救えるというのなら、それはきっと、安いものなのだろう。しかし時神鈴という少年にとって、親友の存在は自分の身体の一部とも言えるものだった。半身を失ったまま、時神鈴は生き続けた。
親友の残した、「前に進め」という言葉を胸に。
己の信じた、正しき道を。ひたすらに進み続けた。
☆
昼食の後。
鈴と飛鳥は、二人で最近のニュースをパソコンで見ながら時間を潰す。やはり、二人の目には、高天原において起こる不思議な事件ばかりが目についた。
第八地区にて。幾度も起る、機械の故障。
第二地区にて。電柱にぶら下げられた絞殺死体の発見。
第四地区にて。見えざる化け物への恐怖に怯える、交通事故を起こした男。
第一〇地区にて。とある心霊スポットにて惨殺された少女の遺体の発見。
実に、多くの事件がこの高天原には溢れていた。
中でも鈴たちの目を引いたのは、第八地区の山林地帯における機械の故障である。そこでは確か、数年前にも似たような事件が何度か起きていたはずだ。
「物騒なもんだな。工事も中止にすりゃいいのによ」
もっとも、簡単に中止できるほど、大人の社会も甘くはないのだろうが。
「一度行ってみる?」
「――ああ、」
そうだな――と、鈴が頷こうとした時に。
鈴と飛鳥のスマートフォンに、ほぼ同時に着信が入った。
メールだった。
それも、一般の回線からのものではなく、特殊な回線を通じてのもの。この回線は一般には知られておらず、おそらく警察ですら知らされてはいないだろう。
メールの件名には、こうあった。
『天神より』
「……」
鈴がスマーフォンから飛鳥に目を向けると、飛鳥はメールを読み終えたようで、鈴を見た。
「第八地区、やっぱり居るみたい」
特殊回線を通して鈴と飛鳥に連絡を入れてきた『天神』。
正式名称を、大日本帝国異常災害特別対策機関“天神”という。
この世界には、人間の知らない常識がそこらに転がっている。例えば、心霊現象。例えば、地球外生命体。これらは確かに、世界に存在している。
それらが居ない、と言うことは簡単だ。しかし居ないという証明は果たして、何人の者ができるだろうか。存在することの証明よりも、存在しないことの証明の方が難しい――と言われることもある。
心霊現象、或いは地球外生命体の起こす、異常な事件――異常災害。
鈴たちの所属する“天神”というものは、そういった常人では対処のできない非常識に対抗するために設立された組織である。
そして常人では対処のできない非常識に対抗する手段こそが――時神鈴と水無月飛鳥を中心とした――天児と呼ばれる、神の魂を宿した存在だった。
季節は、春。学生通りに並べられた桜たちが、綺麗な花を咲かせている。
時刻は夕刻。昼には青かったはずの空は、既に赤く染まっていた。
桜の花。そして、桜の花を赤く染める夕焼け。
人々はこの赤を、どのように捉えるだろう。
飛鳥と共に高天原駅へ向かいながら、ぼんやりと、鈴はそんなことを考える。
――紅葉のように美しい赤、と人は言う。
――血のように不気味な赤、と人は言う。
誰の目にも同じものが見えているハズなのに、夕焼けに魅せられた桜の花びら一つにしても、その見方は様々だ。
では、その違いは一体、どこから来るのだろうか。
おそらく、それら見方の違いをもたらしているものが、『常識』というものだ。
曰く、生きていく中で造られていく、『砂の城』。
曰く、人々が持つそれぞれの『価値観』。
それらが人々の常識という城を構築し、そして各々が持つ常識という価値観の通りに世界を目に映す。
事実の有無に、大きな意味はない。そこに在るものが見えないことがあれば、そこに無いものが見えることもある。人の持つ常識によって、世界の総てが変わる。
では、彼の持つ『常識』は。
彼が。時神鈴が、その眼に映す『常識』は――。