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時神鈴の夜 『坦々片編』  作者: 九尾
殺人鏡館
14/14

終/花

 ――。

 ――――。


「――……」


 小さく呻いて、タミコは目を覚ます。

 開いた目に映るのは、木の木目。何度も何度も、目を覚ます度に見た景色。


「起きたか、ばあちゃん」


 その景色の隅に、少年がひょっこりと顔を出した。

 その髪、その服、その瞳。それらすべて銀ではなく、これまでにも見た少年のものだった。まるで、先ほどまでのことが夢であったかのように。


「ここは、一体……」


 何処、なのだろうか。

 どうやらタミコは、布団で寝ているらしかった。身体には布団、頭に枕。いつも、自分が使っている布団だった。


「ここはばあちゃんの部屋だ。覚えてないか? ばあちゃん、外で倒れてたんだ」


「あたしが、倒れてた……?」


 タミコは身体を起こす。どこかが痛むことはない。ただ、妙に身体が浮くような、奇妙な感覚だけがあった。


「飛鳥が今、小粥(おかゆ)を作ってるからさ。少し待ってな。……なんか欲しいものあるか? 持ってくるけど」


「いや、いらない」


「そうか」


「気遣いありがとよ」


 タミコは周囲を見渡した。

 いつもの、自分の部屋だ。特に何かの配置が変わっているようにも見えない。

 台所の方では、鈴が言ったように、飛鳥が料理をしているのだろう、ネギでも刻むような音がする。

 ふと、タミコは手を見る。

 その手は、すすに汚れているような気がした。ひどい埃のあるところに、手を置いたような汚れ。


「あんたが、あたしを助けてくれたのかい」


 タミコは、呟くように言った。

 どこまでが、現実なのだろう。

 朝、飛鳥と共に料理をして。その後で鈴と話して。柊木館へ向かって。そして――恵果の呪いに遭遇して。そして、白銀の少年が、助けてくれた。

 あの少年は、目の前のこの少年なのだろうか。


「婆さんとはいえ、運ぶのは骨が折れるからなぁ。次は倒れる前に布団で寝てくれよ」


 ――違うかもしれない。

 けれど、確かめたかった。

 あの夢のような出来事が夢だったのか。或いは、誠だったのか。


「……あたしのようなバアアを助けても、仕方ないだろ」


 鈴は、眉を寄せた。


「そんなことはないだろ」


「あたしは、ロクでもない人間だ。あんたのような人間に助けられる資格なんてない」


「それを決めるのはアンタじゃない」


「――あたしが、人を殺していてもかい」


 タミコの言葉に、一度開いた鈴の口が固まって、閉ざされた。


「あたしはね、七〇年前に人を殺してるんだ。睡眠薬で眠らせて、あの館に連れ込んだ。鏡を付けて、たくさんの傷をつけて殺した」


「何の、ために」


「気に入らなかったからだよ。当時この集落で一番権力を持った男の嫁になることを、誰もが望んでいた。あたしもその一人だ。でも、あのどこの馬の骨とも知れない女が突然現れて、攫って行った。邪魔だったんだよ、あの女は。――だから、殺した」


 鈴は、何も言わなかった。

 ただ黙って、俯いていた。


「これが、あんたが助けたババアの本性だ。助ける価値なんざないんだよ、こんなクソババア。さっさと死んじまえばいいんだ。散々苦しんで、ロクでもなく死ねばいいんだ」


 吐き捨てるように、タミコは笑った。

 鈴は、悲しそうな表情だった。


「助ける価値があるとか、無いとか。それを決めるのはアンタじゃない。だいたい、何をそんなに、言い訳がましく言う必要があるんだ。本当に助ける価値のない人間は、自分は死ねばいいなんて言わないだろ」


「――」


 タミコは、言われてハッとする。

 少し、自暴自棄になってしまったのかもしれなかった。寝起きだから、頭が回っていなかったのかもしれない。少し、自分らしくなかった。


「なあ……そんなこと、言うなよ。自分なんか死んでしまえばいい、なんてさ……悲しいこと、言うなよ……」


 胸が、痛かった。

 タミコの胸はどうしてか、締め付けられるように痛かった。

 自分は人間の屑だ。どんなに蔑まれても仕方ないと、開き直ったつもりだった。いや、むしろ蔑んでほしいとすら思った。

 なのに鈴の言葉は、タミコの心を、何より深く傷つけた。

 かつて殺してしまった、一人の女。彼女に償うこともできないまま、この自分は、今もみっともなく生きている。

 そんな自分にも、生きてほしいと願ってくれた人がいることが、どうしようもなく、どうしようもなく、嬉しかった。


「……あたしが……悪かった……許しておくれ、どうか、許しておくれ――」


 謝罪の言葉は、目の前の少年に対してか。或いは、殺してしまった女に対してか。

 タミコの胸から溢れる何かが、涙という形となって、零れ落ちていった。


        ☆


「お世話になりました」


「じゃあな、ばあちゃん。もう来ないかもしれないけど、元気でな」


 タタリは終わった。

 これ以上、鈴と飛鳥がこの集落に留まる理由はなくなった。

 荷物を纏めて、その日の夕方に、集落を出ることにした。

 偶然か必然か、柊木集落に滞在した時間は二泊三日。


「そこは嘘でも、また来るって言っときな」


 タミコは笑って、鈴と飛鳥を送り出した。

 去る二人の背後。宿の横には、大きな石がある。その手前には、一輪の、小さな黄色い花が咲いていた。


        ☆


「ねえ、鈴くん」


「どうした」


 ガタゴトと音の鳴る電車の中。飛鳥が本を閉じて言った。

 窓の外を眺めていた鈴は、飛鳥に顔を向ける。


「十蔵さんはね、タミコさんの事が好きだったんだって。タミコさんも多分、十蔵さんのことが好きだった。でもね、十蔵さんが結婚の申し込みをしても、タミコさんは断ったらしいの。『あたしは幸せになっちゃいけない』って。だから結局、二人が結婚することはなかったんだって。タミコさん、なんで断っちゃったんだろう」


「……さあな」


 飛鳥の疑問は、もっともだ。きっとそれは、本人(タミコ)にしかわからないだろう。

 これは推測にしかすぎないけれど、おそらくは、罪悪感があったのではないだろうか。自分は幸せになってはいけないと、心のどこかで思っていたのではないだろうか。

 けれど今は、少しだけ、考え方を変えたと思う。今のタミコは、少しだけ、幸せになれると思う。

 鈴は、窓の外を見る。

 そこには、遠くに見えるあの集落があった。

 葵荘、そして、葵荘にある大きな石が見えた。そこにいるのは、きっと……。


「今度は、幸せになれるといいな――」


 まるで、誰かに語り掛けるかのように。

 鈴は、小さな黄色い花を、見つめ続けた。


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