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時神鈴の夜 『坦々片編』  作者: 九尾
殺人鏡館
12/14

8/望む未来

 鈴は一人、雑誌や十蔵から聞けたことを纏めながら、布団の上で唸っていた。

 この集落で起きた七〇年にも渡る期間の連続殺人事件は、明らかに人の犯行ではない。この鏡の館でタタリが現れることは、確かなハズなのだ。

 しかし鈴と飛鳥の前に、その姿は現れなかった。となれば、何かしら、出現条件があるのだろう。

 タタリには稀に、何かしらの条件を満たした時にしか、人に害を与えない特殊なものがいる。

 例えば、『リア充死ね』と死の間際に祈って生まれたタタリには、カップルを目撃することで出現条件を満たすとか。例えば、色欲に飢えて生まれたタタリは、好みの女を見つけた時にのみ出現条件を満たすとか、そういったことだ。

 ではこのタタリの出現条件は、何なのか。

 今回の被害者は全員女性である。年齢層はバラバラ、そして住む場所もまるで異なっている。唯一の共通点は、この鏡の館に訪れたということのみ。強いていうのなら、被害は年末年始に多いようだが……。

 しかし女性が訪れるという条件だけならば、何故、飛鳥がいても出現条件が満たせなかったのか。

 タタリとは、高性能な機械のようなものだ。特定の条件を満たした相手を殺すためだけに存在している、殺戮機械と変わりない。

 であれば、もし女性が起動の鍵となるならば、飛鳥が引き金になって然りである。

 しかし発動しなかったということは――他に、条件があるのか?

 ――時間?

 否。目撃証言、及び行方不明になった時の時間はそれぞれ異なっている。

 ――天候? 季節?

 それも、違う。年末年始に多いとはいえ、同じくこれもバラバラだ。

 ――装飾品、香水、服装……それら総ても条件があるとは思えない。

 では、一体何が――。

 鈴がうんうんと唸っていると、鈴を呼ぶ飛鳥の声が聞えてきた。

 どうやら朝食の準備が出来たらしい。

 昨日の事もあるので、鈴はタミコと顔を合わせることに少し抵抗を覚えたが、そんなことで悩んでいても仕方がない。

 鈴は、重い腰を上げてタミコの部屋へ向かった。



 その日の朝ごはんは、味噌汁と、キャベツの上に乗せられた豚の生姜焼きだった。

 準備ができ次第、鈴も呼ばれて、三人でタミコの部屋で食べた。その間、これといって会話はなかった。

 食事が終わり、飛鳥が「お皿を片付けるから」と席を立つ。

 タミコも片づけをしようとしたが、飛鳥が休むように言ったので、その場に座ったままだった。

 鈴とタミコは、二人きりになってしまった。

 どちらも口を開く様子は欠片もなく、タミコのずず、というお茶をすする音だけが、嫌に大きく聞えた。

 非常に居づらい空間であったので、鈴も何度かこの部屋を出てしまいたいと思ったのだが、昨日の今日でそう反抗的な態度を取るのも失礼だろう。


「ばあちゃん、昨日は悪かったよ、あんな事言って」


 思い切って、そう言った。


「ああ」


 タミコは鈴に目を向けることなく、ずず、と茶をすすった。

 会話はそれきりだ。

 数分言葉を待ったが、どうやらタミコはまだご立腹らしい。

 仕方ないと、鈴はこの場を離れようと立ち上がった時だった。


「またあの館へ行くのかい」


 タミコが言った。

 やはり、鈴を見ないまま。


「……そのつもりだ」


 それだけ言って、鈴はこの場を離れようとすると、

「待ちなよ」タミコが鈴を引き留めた。

 タミコは顎で、自分の前の座布団を示している。

 どうやら、「座れ」ということらしい。

 鈴は、その座布団にあぐらをかいて座った。


「あんた、人助けをするつもりなんだってね」


 初めてタミコは鈴に目を向けて、そう言った。


「……まあ、そんなところだ」


 今度は鈴が目を合わせずに言った。

 どうも、飛鳥が余計なことを話したようだ。

 彼女は人から話を聞き出す事が上手いが、聞き出されるのも上手いのが、鈴のかねてからの悩みどころである。


「なんだってそんなことをするんだい。もしかしたら、危険な目に合うかもしれないってのに。事件にわざわざ首を突っ込むなんざ、正気の沙汰じゃないよ」


「……俺はさ、正義の味方になりたいと思ってる。だから、助けたい。それだけだよ」


「馬鹿だねえ。正義の味方? そんなものは、この世のどこにもありはしないよ。本当に正義の味方がいるなら、この世から犯罪なんてとっくに消えちまってるさ」


 心の底から馬鹿にするように、タミコは笑った。

 そんなことは、鈴が一番よくわかっている。

 この世に絶対悪がいないように、絶対正義もまた、この世界には存在しない。

 結局、正義だの悪だのというのは人それぞれの立場、環境、価値観によって導き出される印象に過ぎない。

 自分にとって都合のいいものが『正義』。都合の悪いものが『悪』。

 実際、世の中の風呂敷を覗いてみれば、正義と悪なんて、そんなものだった。


「それでも……俺は、正義の味方になりたいと思ったんだ」


 鈴は、ぎゅっと拳を握った。


「ロクな願いじゃないよ、それは」


 今度は、タミコは笑わなかった。


「……俺さ、小さな頃にテレビを見たんだ。正義の味方の出てくる、テレビ番組。そこにはさ、どんなに苦しくても、絶対あきらめなくて、そんで最後にはみんなを幸せにできるヒーローの背中が写ってた。俺も、そうありたいと思った」


 それはきっと、男の子ならば、誰もが一度は思い描く未来の夢だ。

 けれど、その夢を実現させたものはいない。

 この世の正義というものは、とても曖昧なものだから。

 この世の悪というものは、必ずしも滅ぼすべきものではないから。

 正義とはなにか。悪とはなにか。その狭間で揺れる葛藤はいつしか、薄汚れた灰になる。そうしていつしか、少年たちは正義の味方という夢を忘れていってしまう。

 時神鈴もまた、幼き日、正義の味方に憧れた少年の一人だった。


「けど俺は、正義の味方になれなかった。正義の味方になるには、力がなかったんだ。それは喧嘩の強さだとか、そういう物理的なものだけじゃなくてさ。みんなを幸せにできるだけの……頭の良さ、っていうのかな。そういうのも、俺にはなかった」


 この世界は、テレビの中と同じではない。悪を殺して終わり、そんなハッピーエンドは訪れない。

 例え、力があったとして。例え、この世総ての悪を倒したとして。けれどその心根だけは、どうにもならない。心だけは、人それぞれのものだから。だからこそ、必要になるのは物理的な力ではなく、人と人を繋げる心の力。

 しかしその力を持っていた少年は、もう居なくなってしまった。

 鈴は、静かに開いた自分の掌を見つめた。


「それだけわかってるなら、どうしてあんたは正義の味方なんかになろうとするんだい。この世界は広すぎる、今この瞬間だって、どこかで争いが起きて、たくさんの人が死んでるよ。ガキ一人でどうにかなる問題じゃあないんだ」


「……ああ。わかってるよ。俺では、すべての人を救うことなんかできないってさ」


 鈴のこの手は、二つしかない。いくら手を伸ばしても、助けられる数は限られている。

 救えない命は、たくさんあった。両の指では数え切れないほど、たくさんの命を見殺しにした。その度に、自分の無力を呪った。


「だったら、やめちまえばいいだろう、そんなこと。そうすりゃきっと、楽になる」


「だろうな」


「だったら――」


「――目の前で、人が死ぬのを見た」


 タミコの声を遮って、鈴は言った。

 人の死。

 その単語に、タミコは言葉を失ってしまう。


「俺の目の前で、人が死んだ。そいつはさ、俺の親友だった。俺はそいつを、助けられなかったんだ。その時に思ったよ。俺のこの手で守れるものは、どうしようもなく小さなものなんだって。俺がなろうとしている正義の味方は、俺なんかじゃ、どうしても辿り着けないものなんだって」


 鈴は、掌を見つめた。

 掌を見つめて、かつて、この手から取りこぼしてしまった少年を思った。


「それでも、俺は」


 いや、「だからこそ」、というべきか。


「正義の味方になりたい、と思った」


 人が死ねば、誰かが泣く。

 当たり前のことだ。けれど、大切なことだ。とても、大切なことだ。

 父が。母が。友人が。子が、孫が、恋人が。

 大切な人を失った人たちが、ただ一人の人間の死を悲しみ、悼み、傷つき、泣く。

 そうして泣く人たちを、前にして。無力な自分を呪いながら、拳を握って。もし、ああしていれば。もし、こうしていれば。取り戻せない過去を願って、取り零さなかったという仮定の世界を夢想して。そんな後悔だけは、もう。――あんな思いだけはもう、二度としたくない。他の誰にも、知ってほしくない。

 だから、何もしないで後悔することだけは、絶対に嫌だった。

 助けられるものがあるのなら、助けたい。この手は小さい、助けられるものは限られている、それでも、この手を伸ばせば届くかもしれない。だったら、この手を伸ばしたい。例え――時を止めてでも。

 もう二度と、取りこぼしてしまわないように。


「俺は――」


 例えそれが、万人の望むものではないものだとしても。例えその行いが、悪のものであると言われても。

 それでも、時神鈴は。


「――俺は、正義の味方になりたいと、思った」


 そう言って、拳を強く握った。

 鈴の表情を見て。鈴の想いに触れて。タミコは湯呑を置いた。

 大きなため息をついて、嘲笑した。


「馬鹿な男だねえ。あんたみたいなやつが、一番詐欺に引っかかるんだよ。世の中、最後はみんな幸せなんて結末は、ただのご都合主義でしかないんだよ。テレビの中だけのもんなんだよ、それは」


 話を笑い飛ばそうとするタミコに顔を向けて。


「ま、現実はそんなもんだよなあ。……でも、仮にそんな奇跡を起こせたらさ。仮に、最後、みんなが笑ってられる結末になるならさ。――それって、最高の未来だと思わないか」


 最高の笑顔で、鈴は言った。

 その笑顔は、あまりに曇りがなくて。あまりに眩しくて。

 呆れたように肩を竦めたタミコの口の端は、固まっていた。


「救いようのない馬鹿だね、アンタ。そりゃもう末期だよ」


「自分でもそう思う。けど、きっとこれでいいんだ。バカみたいな理想を目指すのが、俺の生き方なんだ」


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