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糸月の雨  作者: 小声奏
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八話

イイクの大木とシュスラの背に挟まれた形となったイマは何が起こったのか分からず、ぎゅっとシュスラの外套を握り締めて息を潜めた。

素早く辺りを見回すシュスラから、身を刺す様な鋭い気配が伝わる。

脇に開けられた外套の隙間に手を差し入れたシュスラはそこから短刀を取り出そうとして、ぴたりとその動きを止めた。

「……アシュ?」

イマは耳を疑った。アシュ?

「どうしてあんたがここに……」

シュスラの身体から殺気が抜ける。外套から手を抜くと、シュスラは一歩足を踏み出した。寄り添っていたシュスラとの間に空間が出来、イマは上手く動かない指を一本ずつシュスラの外套から剥がした。前を向いているのが怖くて、俯いた視線の先――――イイクの大木の根元に、腕の太さほどの丸太が転がっていた。明らかに人の手で切り出された真っ直ぐな切り口の丸太にイマは眉を顰めた。さっきまで確かに丸太などなかったはずだ。

「やあ、シュスラ。すまない、驚かせたようだ」

イマの耳に穏やかな声が入り込んだ。低い声はよく響き、シュスラの背に隠されているというのに、すぐ間近で聞いているようだ。

「イマ、俺だよ。怖がらせて悪かったな」

シュスラの影に隠れてアシュから見えていなければいいのにと思ったけれど、しっかりと見られていたらしい。イマは観念すると息を吸い込んだ。

「今晩は、アシュ」

アシュは20歩ほど離れた先のあぜ道に佇んでいた。イマが顔を出すと薄っすらと微笑み、やけにゆっくりとした動作で屈んで、足元に手を伸ばす。

「細工に使う木を切り出した帰りなんだが、雨に濡れて手が滑ってね」

何のことだと首を傾げるイマの視線の先で、アシュは足元に落ちていた丸太を拾い上げる。真っ直ぐな切り口のそれは、木の根元に落ちている丸太にそっくりだった。

アシュは木を脇に抱え直すと、爪先を村の方角へ向けた。

「もう遅い。二人とも送っていこう」

「待てよ」

そのまま歩き出そうとしたアシュの背にシュスラが声をかける。アシュが振り向いた。

「忘れもんだよ」

言うなり、シュスラはイイクの根元に落ちていた丸太を足で弾いて手にとり、アシュに向かって投げつけた。その勢いの強さにイマは息を呑む。

しかしアシュは、風を切って真っ直ぐに飛んでくる丸太を、眼前に出した掌で事も無げに受け取ると、「ありがとう」と礼を述べて村に向かって歩き始めた。

イマは眉を寄せてアシュとシュスラを見比べた。さっぱり話が見えない。シュスラが投げたあの丸太はアシュのものだったのだろうか? どう手が滑れば離れた木の根元に丸太を落とせるというのだろう。アシュはただ足元に木を落としただけで……でも、だとしたら、さっき聞いた甲高い音は?

イマは混乱する頭を抱えて、伺うようにシュスラの顔を覗き込む。

険しい表情でアシュの背中を見ていたシュスラは自分の顔を見つめるイマに気が付くと、どこか力ない笑みを見せた。

「行こう、イマ」

「……うん」

シュスラのその顔を見ると、聞きたいけれど、聞いてはいけないような気がして、イマは頷くとシュスラの後ろから畦道を歩き出した。

いつの間にか、声を潜めていた蛙が、一斉に鳴き出す。

行きとは違った緊張と気まずさを味わいながらイマは歩いた。

無言のまま田を抜けると、村の前の分かれ道でアシュが立ち止まる。

「イマは俺が送って行こう。シュスラはもう帰りなさい」

「もともと俺が送るって出てきたんだ。最後まで送るよ」

シュスラがむっとしたようにアシュに言い返す。

「いいや、帰るんだ。イマを送ると行って出てきたなら尚更だ。余り遅くなってはスエンタさんが心配するだろう。イマは俺が責任をもって送り届けるよ。それとも俺の剣の腕では心配か?」

軽口を叩くようなアシュの口調に、シュスラの顔が険しくなる。引き結んだ唇にぎゅっと力を入れると、ふいっとアシュから顔を背けた。

「俺があんたの腕をどうこう言えるわけないだろう」そう、はき捨てるように言うと、シュスラはちらりとイマに視線を寄越した。

「イマ、続きはまた今度な」

「えっ…うん、送ってくれて、ありがとう」

続きというのはイイクの下でシュスラが口を開きかけた先の話だろう。先に続く言葉を思うとイマの胸は砂を詰めたように重くなった。シュスラのことは大事に思っている。だからこそ、その先の言葉を聞きたくはなかった。自分は早くアシュに見合う大人になりたいと背伸びばかりしていたというのに、シュスラにはイマのよく知る子供のままで居て欲しいと願ってしまう。

――なんて身勝手なのだろう。

イマはすっかり大人の男のそれになったシュスラの背中を見送りながら溜息を吐いた。シュスラの気持ちに応えられないくせに、彼を傷つけたくないだなんて虫がいいにも程がある。イマは自分の手前勝手さに辟易しながら、もしかしたらアシュも今のイマと同じ気持ちなのかもしれない、と思った。小さな頃から長い時間を共にし、大事に思っているけど、異性としては見られない……。だとしたら、いよいよイマの気持ちに行き場はない事になる。

角を曲がり、シュスラの背中が見えなくなると、アシュがイマの隣に立った。脇に抱えた丸太から匂やかな生木の香りが漂い、イマの視線は自然と丸太に向けられた。

太さの違いはあれど、長さは二の腕程で均一に揃えられている。

「魔除けの注文が入ってね。アラの香木だよ。いい香りだろう?」

イマはおずおずと頷いた。腕に抱えられた丸太は全部で6本。そのどれもが焦げた米のような濃いあめ色をした、アラの香木だ。イイクの花ほど甘くなく、控えめながらも凛とした品のある香りがする。アシュはこの木を使って、軒先に吊るす魔除けを掘るのを得手としていた。

「アシュ、さっきシュスラが投げたのって……」

シュスラが投げた丸太が、果たしてアシュのものだったのかが気になって、イマは尋ねた。あの丸太が、アシュが脇に抱えていたものだとしたら、彼がイイクの木に向かって投げつけたという事になる。何故アシュがそんな事をしなければならいのか、イマは不思議でならなかった。

「……ああ」

アシュは首を捻った後、やっと思い当たったという顔で頷いた。それからひたとイマを見据えた。

「言っただろう? 手が滑ったと」

――ああ、またあの目だ。

薄っすらと笑みを浮かべる口元とは逆に、藍色の眼差しが射るようにイマを見詰める。イマは肺を押し縮められたような息苦しさを感じた。

「さあ、帰ろうか」

イマの戸惑いが恐れに変わる寸前に、アシュは目元を緩めると、そっと背に手を当てて促した。

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