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糸月の雨  作者: 小声奏
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六話

玄関の戸を開けたイマは、笠を被ると、紐を締めずに外に出た。

手の上に乗せた皿には雨避けの覆いがかけてある。中身は昨日採れたルグで作った煮付けだ。よく肥えたルグが採れ、シュスラとの約束を思い出して多めに作ったのだが……。イマはシュスラの家へと続く道を見て、ため息をついた。

アシュ達に昼食を届けた日から7日が経っている。イマは以前にも増して、アシュを避けていた。アシュが顔を出しそうな場所には行かない。昼食の前には川に行きナクルを呼び戻す。アシュの声も視線も届かない場所を選んで過ごし、漸くあの目を忘れかけていた。

イマは右手に続く道と左手に伸びる道を見比べ、掌に伝わる熱を感じ考え込んだ。

シュスラの家へ行くにはアシュの家の前を通らねばならない。遠回りも出来るが、それでは料理が冷めてしまう。弁当に入れるぐらいだから冷めても味には自信があったが、やはり温かいものを届けたい。

イマは笠の端を手で掴むとぐっと引き下げ顔を隠した。これならたとえアシュとすれ違っても誰だか分からないだろう。自分の意気地のなさが嫌になるが、アムルもウルもいない所でアシュと平静に会話を交わす自信がなかった。またあの目で見られでもしたらと思うとなおさらだ。アシュはきっと気付いているのだ。イマがアシュを避けている事に。それともこの間の受け答えの仕方が良くなかったのかもしれない。どちらにしろ自分を避けたり、ぎくしゃくとした話しか出来ないような相手に良い感情など持ちようがないだろう。

アシュに嫌われたんだ。そう思うと絞り上げられるように胸が苦しくなった。

薄暮れ時のもの悲しさが、鬱々とした気分に拍車をかける。しかし幸いにもシュスラの家までは誰にも会わずにたどりついた。軒下で傘を脱ぐと、家の戸を叩く。

「はいよー」からりとした威勢の良い声がして戸が開かれる。シュスラの母であるスエンタはイマを見るなり大きく口を開けて笑った。

「あら。イマじゃないか。おや、いい匂いがするねえ。あ、待って待って、シュスラを呼ばなきゃ、せっかくイマが来てくれたってのに呼ばずに帰しちゃ怒られるからね。そこじゃあ濡れちまうね。さあ、入った入った」

軒先で皿を渡して帰ろうと思っていたイマは、口を開く事も出来ずに家の中へと通された。

スエンタはいつも息をつく間もなく喋るので、彼女と話をしようと思うと大抵こうなる。「シュスラー。イマが来たよ」奥に向かって声を張り上げ、お茶を用意しようとしたスエンタに、なんとか「たくさん作ったのでお裾分けです。お構いなく、すぐに帰りますから」と声をかける事が出来ると、シュスラがすごい勢いで扉を開けて入ってきた。引き戸がぱしんと壁にぶつかって跳ね返る。

イマを見るとシュスラは目を見開き、口元を引き結んで視線を逸らした。

「母さん! いいから」

その逸らした視界に、「ゆっくりしておゆきよ」と茶の準備を進めていたスエンタが入ったのだろう、シュスラは苛立った声をあげる。

イマは食卓の上に置かれた皿を示すと口早に告げた。

「約束してたルグの煮付け持ってきたから」

スエンタに捕まると暫く帰れなくなってしまう。大らかなさっぱりとした性格でいい人ではあるのだが、彼女の話の長さはラズバ婆に引けをとらない。

「あ、ありがとう。送って行くよ」

言うなり、シュスラはイマの腕を取って戸口へと歩き始めた。

腕をひかれて驚いたものの、これで帰れるとほっとして、イマは残念そうな顔をしているスエンタに挨拶をするとシュスラと共に外に出た。

家の外は相変わらず細い雨が降っていたが、後少しで日は西の地に沈む時刻だ。直に止むだろう。

「シュスラありがとう、でも、ここでいいよ。送ってもらうような距離でもないし」

傘をかぶろうとしたイマの手をシュスラが遮る。シュスラは戸口の内側にかけてあったハオマに蝋を塗って作られた大振りの傘を手に取った。

「外に出たかったんだ。少し寄り道していいか? 散歩がてらに送っていくよ」

イマは少し迷ってから頷いた。遠回りをすればアシュの家の前を通らずに済むし、それならば1人で歩くよりは誰かと喋っていた方が退屈せずに済む。

シュスラはイマが居る側の手で傘をさす。1人用の傘では肩口が濡れてしまうが、濡れた所で防水を兼ねた上着だ。そう体が冷える事はない。イマはシュスラの好意に甘え、笠を手に持ち歩き始めた。

一本大回りになる道を行くのだと思っていたイマは、シュスラが村の外れへと続く道を選んで驚いた。

「シュスラ、どこに行くの?」

「寄り道って言っただろ。イイクの花が見頃だろ。見ていかないか」

「え? 今から?」

イイクの木は一番近い場所に生えているものでも、少々距離があるし、日中に田に出れば遠目に見られる。わざわざ見に行くものでもないだろう。

「夜に見た事はないだろ? 雨の中の花もいいが、上がった後の姿も見てみたくないか?」

イマは考え込んだ。確かにイマが見るイイクの花はいつも雨に濡れていた。月の下で見る花はまた違って見えるかもしれない。

夕餉の支度の時間が迫っていたが、下ごしらえは済ましてある。あとはイマが手伝わずとも、ウルやナクルが手伝うだろうし、もうアムルも邪魔をする事はないだろう。

「見てみたい」

ぽつりとイマが零すと、シュスラは嬉しそうに笑った。

「よし、じゃあ行こう」

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