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糸月の雨  作者: 小声奏
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四話

「よお、イマ。珍しいな、お前が来るなんて」

勧められてもいないのに、どっかとイマの隣に腰を降ろすと、その男――シュスラは胡坐をかいて、昼飯を広げ始めた。

突然の乱入者は、天の助けには違いなかったが、イマは些かむっとした。弟であるウルと同じ歳のシュスラにお前呼ばわりされた事に腹を立てたのだ。ほんの二年程前までは、家に遊びに来るたびにイマ姉ちゃんと呼んで纏わりついていたのに、声変わりを迎えると共に急に背が伸び出したシュスラは、体だけではなく態度も大きくなった。

「おっ、このルグの煮付け、お前がつくったやつだよな」

イマの膝の上に、長い腕を伸ばすと、ひょいとおかずを掻っ攫っていく。

「ちょっと!」

「うん、美味い」

イマの抗議など知らぬ顔で、奪ったおかずを口に放り込むと、シュスラは簡潔に感想を述べた。

灰汁の強い根菜であるルグを使った料理は、イマの最も得意とするものだ。イマのルグ料理はマティも認めるところで、ルグを扱う皿はもうずっと前からイマに一任されていた。

「へえ、ルグか。大好物なんだが、しばらく食べてなかったなあ。イマがつくったのか?」

シュスラとイマの会話を聞いたアシュが感心したような声を上げる。

イマは頬が熱くなるのを感じた。ルグ料理が上手くなったのは、アシュの好物だと知っていたからだ。下拵えに手間のかかるルグを、アシュが近頃口にしていないのではないかと、つい、用意してしまった。

「うん……アムルはルグが苦手だから、好き嫌いをなおそうと思って」

いい訳めいたイマの言葉に、アムルがうえっと舌を出した。

「シュスラ、アムルのもあげる」

「こら、アムル。好き嫌いしてちゃあ、父さんみたいに強くなれねえぞ」

アムタートが眦を吊り上げる。アムルは少し考えた後、首を横にふった。

「やっぱりシュスラにあげる。父さんみたいにお腹が出たら困るもん」

アムタートは上背があり、筋肉質で頑強な性質だが、近頃少し下腹が出てきた。マティが頬杖をつき、ため息を吐きながら愚痴るのを聞いていたのだろう。

「親父の腹とルグは関係ねえよ。アシュはルグが好きだが、腹なんて出てねえだろ?」

そうウルが言うと、アムルはアシュを繁々と見詰めた。

「ルグ食べたら、アシュみたいになれる?」

アシュを覗き込むアムルの顔は真剣そのものだ。

「ああ、なれるとも」

アシュは笑顔で頷いた。

「おいおい、俺じゃなくて、アシュかよ」とアムタートがぶつぶつと言っているが、仕方のないことだろう。

忙しいアムタートに代わり、仕事と自警団の職の合間を縫って、少年達に剣を教えているアシュは、今や子供達の憧れの的だった。また共に長身を誇りながら、大岩を思わせるアムタートとは違い、アシュは山野を駆け巡る獣の様にしなやかな体躯を持っており、剣を振るう身のこなしは軽やかで素早い。それも子供達に人気のある所以だとウルが話してくれた事があった。尤もアシュ本人やシュスラに言わせると、一撃に重みのあるアムタートの剣よりも非力な子供達が真似しやすいかららしいが、剣を扱ったことがないイマにはよく分からなかった。

「じゃあ、ルグ食べる。シュスラごめんね。また今度姉ちゃんにいっぱい作ってもらって持って行ってあげるから」

「え? あ、ああ。気にしないで食べろ。元々お前のなんだから」

申し訳無さそうにアムルに見詰められ、シュスラは面食らった顔をしてから目を泳がせた。

食事の間、話題は専らアムルやナクル、アズール達の話で占められた。ナクルとアズールは剣の筋がいいが型が随分違うとか、アムルが模擬刀を作ってもらったとか、イマには関係の薄い話で、ただ相槌を打つだけで済んだのが有難かった。相槌を打ちながらも、イマはなるべく弁当とアムルに視線を落として過ごしたが、時折顔をあげると、風に吹かれてなびいた黒い髪の隙間から覗く藍色の瞳と目が合った。その度に不自然にならないように努めて目を伏せる。それだけで食事が終わる頃にはイマは疲れきっていた。

「さて、もう一仕事だ。アシュはもうちょっと残ってくれるか。ウル、シュスラ、お前らはもう上がっていいぞ」

昼飯をたいらげると、アムタートは立ち上がり声を張り上げた。

「お前等ももうあがってくれ。残りは俺と副長で片付けとくからよ」

おー。おつかれ。おう、ごくろうさん。腰を上げた自警団の面々が服に付いた土を払うと、ある者は談笑し、ある者はアムルの頭を一撫でして去っていく。

自分達と、畑の持ち主であるウィドが残るのみになると、イマは軽くなった篭を纏めた包みを持って、アムルの手を取った。

と、急に腕が軽くなる。見れば、シュスラが包みを手に、イマの隣に立っていた。

「持ってってやるよ。俺も家の田に戻るし」

行きに比べれば、随分と軽くなった荷物だが、はしゃいだアムルに急に手を引かれる事もある。

好意を受ける事にしたイマが「ありがとう」と口を開くより早く、背後から声がかかった。

「悪い、シュスラ。戻る前にこれを納屋に運んでくれるか」

振り返ると、アシュが足元の耕具を指さして申し訳無さそうに苦笑を浮かべている。

「ウル、イマ達を送っていってやれ。イマ、ありがとう。美味かったよ。マティさんにも礼を伝えてくれ」

「あ、う、うん」

イマは目を逸らして頷いた。世辞かもしれなくても嬉しくて頬が緩みそうだった。

「アムル、ウル、戻ろう。母さんが待ってる」

堪えきれなくなる前に、この場を離れよう。

イマはアシュと目を合わせぬまま、後ろを向く。すると不服そうに眉を寄せるシュスラと目があった。

「シュスラ、お先に帰るね。これ、ありがとう。自分で持って帰るから」

掴みあげた包みを自分の腕に戻すと、シュスラは憮然とした顔で空になった己の腕を見た。耕具の片づけを頼まれた事が余程不満らしい。

「お疲れ様。頑張ってね」

終わったと思ったばかりの仕事がまだ残っていると言われればイマだって嫌な気分になるかもしれない。労いの言葉をかけると、シュスラの眉間が少し緩んだ気がした。

少しもじっとしていられないアムルが、ウルの手を引いて駆け出し、イマは慌てて後を追う。

「イマ!」

シュスラの横を通りすぎた時、急に呼び止められた。

振り返ると、シュスラが真っ直ぐな眼差しでイマを見ていた。

「ルグの煮付け美味かった。その、今度俺にもつくってくれないか?」

「え? うん、分かった。たくさん作ってお裾分けに持っていくよ。ワユ達と食べてね」

美味しかったと言われて悪い気はしない。笑顔で弟達と食べてと言ったのに、シュスラの顔が何故か曇る。

どうしたのだろうと首を傾げたイマは、シュスラの背後から藍色の瞳がじっと自分に向けられているのに気付いて、どきりとした。その顔にはこれといって感情が浮かべられていたわけではないのに、イマは頭から冷や水を浴びせられたような居心地の悪さを覚えた。

「じゃ、じゃあ。お先に」

イマは慌てて俯き加減になると、家へと続く道を、アムルの手を引き足早に戻り始めた。

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