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超個人的意見

その日、本当に迎えに行けますか? ~引き渡し訓練 ~超個人的意見

作者: 時司 龍
掲載日:2026/07/17

災害について書いている部分があります。

 子供を持つ方なら、一度くらいは「引き渡し訓練」という言葉を聞いた事があるだろう。

 学校や保育園で行われる防災訓練の一つ。災害が発生した想定で、保護者が迎えに行き、子供を安全に保護者に引き渡せるかを確認する訓練だ。


 私の勤務先にも小さな子供がいる社員が何人かいる。

「引き渡し訓練なので、有給を取ります」

「明日は午前だけ出勤します」

 そんな会話は、年に数回はある。


 防災訓練にも有給休暇にも、全く異論はない。

 防災訓練は大事だと思っているし。

 有給休暇は労働者の権利である。理由など何でもいい。旅行でも、ゲームでも、ライブでも、昼寝でもいい。理由なんてなくとも誰に遠慮する事なく使えばいいと思っている。



 問題はそこではない。

 私が気になるのは、その「訓練」の中身である。

 あれは、本当に訓練として成立しているのだろうか。



 訓練の日。

 保護者は決められた時間になると学校へ向かう。

 道路は普通に走れる。信号は動いている。

 スマホも使える。

 学校も通常運営。先生方も全員出勤。

 保護者も「今日は訓練だから」と仕事を調整済み。


 そうして子供を迎えに行く。

「○○の母です」

 学校から配られたネームタグを首から下げて、名簿チェックを受ける。

「はい、確認しました」

「気を付けて帰ってください」

 確認後、親子で仲良く帰宅。

 めでたし、めでたし。


 ・・・いや。

 それ、本番を一つも再現されない状況じゃないか。


 本当の災害は、そんなに優しくない。

 例えば巨大地震。阪神・淡路。東日本。熊本。能登半島・・・。

 道路は割れる。橋は落ちる。信号は消える。

 高速道路は通行止め。

 電車も止まる。

 スマホは繋がらない。

 先生も何人かは怪我して動けないかもしれない。


 そこへ全員が一斉に「子供を迎えに行こう」「災害地へ救助・援助に」と動き出す。

 すぐに渋滞は数十キロ。

 地獄である。


 私の勤める会社は、いわゆるエッセンシャルワーカーの端っこ辺りに引っかかる仕事だ。

 災害が起きれば、むしろ帰れない側である。まあ、全員が会社に残る必要はない。

「子供がいる人は帰ってください」

 そういう判断になる可能性は高い。

 それでいい。子供を優先するべきだ。


 だが、そこで終わらない。帰った人は、その後しばらく出勤できない可能性が極めて高い。つまり残った社員だけで1週間、2週間、あるいはそれ以上を回す事になるだろう。

 これは会社側の課題であり、今回の本題ではない。


 だが、これだけは言える。

 迎えに行く事自体が、実はそんなに簡単ではない。


 弊社レベルでも即時対応が求められる。

 ましてや警察や消防だったら? 医療系だったら? 高齢者施設の介護士も、学校の先生も、自分の子供が心配だから、すぐ帰ります・・・という訳にはいかないだろう。


 更に地方では車通勤30分、1時間など珍しくない。職場から子供がいる学校まで10キロ、30キロ・・・普通にある。

 家から職場まで時々高速道路利用。そんな人も時々聞く。


 では。

 一般道は亀裂が入って走れません。橋も落ちました、ずれました。もしくは、どこかの道路は何とか通れるので、そこに集中して大渋滞です。

 通れると言っても、2車線の片側に亀裂。残った1車線を誰も誘導する人もいない中、交互に車が通過します。


 さて、何時間で迎えに行けますか。

 答えは簡単だ。分からない。

 下手をすれば、その日のうちに着けない。


「でも歩けば行けますよね?」

 そう言う人もいる。

 歩けば。確かに歩けば。だが30分の車通勤は、徒歩なら何時間になる?

 1時間か。2時間か。

 瓦礫を避け、橋を迂回し、水害なら冠水した道路を避ける。通常より更に時間がかかる。


 夜になる。街灯は消えている。余震も続いている。

 夕方以降に会社から迎えに行こうとするなら、私は止める。

「今日は会社に残った方がいいですよ」

 そう言う。

 暗い中を無理に移動する方が危険だからだ。最低限、懐中電灯とペットボトルの1本くらいは持っている? 夜は休み、夜明けを待つ方が周りが見える分、安全だ。

 周囲の状況を確認してから動いた方がいい。

 その方が、生きて、怪我もなく子供に会える可能性は高い。


 つまり現実には、子供は学校で一晩過ごす可能性がある。いや、可能性ではない。大規模災害なら、その覚悟を前提にしておくべきだ。

 そこを訓練しないで、何を訓練しているのだろう。


 むしろ本当に必要なのは、本当の災害時はどうなるのかという子供への教育と、親の覚悟ではないか。プラス、最低限一晩は子供がいる、もしくは1週間いるかもしれないと学校が認識する事。


「迎えが来るまで学校から出ない」


 これをまず教える。保育園児や低学年なら、勝手に家へ帰らない。友達について行かない。1人で歩かない。先生の指示を聞く。

 これである。


 子供だから泣く。

「ママが来ない!」

 それは当然だ。

 責める気はない。

 だが、その1人が学校から飛び出そうとした瞬間、または延々泣き止まない場合、先生1人が付き添わなければならなくなる。


 教室には、まだ20人、30人の子供が残っている。もっといるだろう。

 飛び出した1人に先生1人。

 残りはどうする。

 たった1人の行動で、現場全体が崩れる。

 これは十分に起こり得る。


 以前、避難所運営に関する資料を読んだ事がある。

 災害ではパニックが危険なのではない。

 1人の想定外が、全体を崩す。こちらの方がずっと怖い。


 だから子供には繰り返し伝える必要がある。

「お父さんも、お母さんも、すぐには来られない」

「でも迎えには必ず行く」

「だから学校で待っていて」

 この三つである。


 勿論、ここで終わらない。

 更に難しい話になる。


 先生も万能ではない。間違っている事もある。過去の災害時にもいろいろ言われている。外野である自分達は後からどうこう言えるが、災害時は先生や周りの大人に頼るしかできないし。子供には様々な知識を繰り返し教え込んでおくしかできない。


 災害には種類がある。

 地震。津波。

 台風。豪雨。洪水。

 土砂災害。

 火山災害。

 雪害。


 学校によって正解が違う。


 海の近くなら、高台へ逃げる。

 山の近くなら、崖から離れる。

 河川敷なら川へ近付かない。

 都市部ならガラスに注意する。

 状況によって避難場所も変わる。


 だから家庭でも、しつこく繰り返し話しておく必要がある。

「もし地震が起きたら?」

「天井が落ちてくるかもしれない」

「ガラスが割れるかもしれない」

「じゃあ、外に飛び出したら? 外壁のタイルが落ちてくるかもしれない。塀が倒れてくるかもしれない。電柱も倒れるかもしれない」


「なるべく、危ないものがない所にいる事」


「もし、津波が来たら?」

「高い所へ逃げる」


「もし体育館が危険になったら?」

「もし先生が別の避難所へ向かうと言ったら?」


 正解は一つではない。

 だからこそ、幾つかの選択肢を教えておく。


 そして、もう一つ。

 これは少し嫌な話になる。

 1人にならない事。

 これも教えておきたい。


 災害時は、大人ですら判断を誤る。先生も違っているかもしれない。正しいかもしれない。どうしたら安全か。自分で考える力とその根拠を教えておく必要がある。


 だから何人かで固まる。

 兄弟でも、友達でもいい。

 とにかく1人にならない。

 誰かが転んでも気づける。

 具合が悪くなっても助けを呼べる。

 夜になれば怖さも紛れる。

 何か起こりそうな時も、誰かが気づけるかもしれない。

 集団でいる事は、それだけで防災になる。


 結局のところ、私は引き渡し訓練そのものを否定したいわけではない。

 保護者の顔を確認する。

 引き渡し方法を確認する。

 連絡手順を確認する。

 それらは必要だ。


 だが、それだけでは足りない。


 いや、足りないどころか、肝心な部分を見失っている気がする。

 訓練の日には迎えに来られる。

 だから安心。

 そんな成功体験だけを積み重ねても、本番では役に立たない。大事な部分が丸ごと抜けている気がしているのだ。


 必要なのは、「迎えに行く訓練」ではなく、「迎えが来ない時間をどう過ごすか」だと思う。


 学校で一晩過ごすかもしれない。二晩になるかもしれない。1週間かもしれない。 ・・・更に嫌な話だが、最悪、迎えに来ない場合もある。親も先生も行政も、それを前提に考え、可能な限り備蓄もし、親は子供にも繰り返し伝える。

 そこまでやって初めて、防災訓練は「訓練」と呼べるのではないだろうか。


 平日の午後、予定通りに学校へ行き、「はい、お迎えに来ました」と笑顔で帰る。

 それは引き渡しの手順確認としては意味がある。

 しかし、災害対応の現実的な訓練として考えれば、あまりにも条件が優しすぎる。

 災害は、こちらの都合に合わせて起きてはくれない。


 だからこそ、理想どおり迎えに行ける訓練ではなく、迎えに行けない現実を前提に備えるべきなのだと思う。



「有給ですか。こちらは大丈夫ですよ。休んでください」

 言いながら、思った。




(7月18日 追記)

 地震、鉄筋コンクリートの学校を想定します。


 ぐらっと揺れた、その時。

 ダンゴムシのポーズ・・・丸まって、身を低くして、頭を守る・・・子供がいる方なら聞いた事があるかもしれない。

 正直、私は初めて聞きました。同僚の何人かも知っていましたので、これを読んでいる方の中にも知っている方はいると思います。

 調べたら、最近の流行りはトカゲやカエルのポーズだとか。防災もアップデートが必要だと思う。




 ・・・ところが、やっぱり話はここで終わらない。

 私がごくごく一般的な日本の公立小学校に通っていた時の避難訓練は、どれとも違っていた。


 ぐらっと揺れた、その時。

 脱出口への導線を確認。基本的に、ドア、もしくは窓から。

 その途中にあるガラス。・・・割れる。

 棚・・・倒れる。

 吊ってある電灯や案内板・・・落ちてきます。最悪、天井ごと落ちてきます。

 それらを回避して行けそうなら、脱出口へ行く。余裕があれば、ドアを開いて、椅子でもモップでも何か挟んでおく。

 そこでストップ。外に飛び出さない・・・外壁が落ちてくる。校庭の照明やサッカーゴールが倒れてくるかも。安全そうな壁にへばりつけ。

 でも、立てないなら、近くの安全そうな場所にへばりつけ。

 揺れてる間は、その場をキープ。

 揺れが一旦おさまったら、外へ避難。


 教室で揺れた場合。

 多分、皆さんと同じ。机の下にもぐる。

 外側も廊下側も、大概は窓ガラスでくっつけない・・・割れる。

 後ろ側は大概、棚・・・倒れるかもしれないし、中のものが飛んでくるかもしれない。

 黒板はきちんと固定されてる? 今なら、エアコンも大丈夫?・・・という事。


 この部屋で一番安全な場所はどこか?

 それを考える事まで含めて避難訓練だった。


 勿論、今のやり方が正しく、昔が間違っていると言いたいわけではないし。どれが正しくて、どれが間違っていると言いたいわけでもない。


 防災は研究が進み、新しい知見が次々と取り入れられている。何度も書くが、その時の状況、場所によって正解は全く違う。

 だから指導が変わるのは当然だ。


 ただ、一つだけ今でも印象に残っている事がある。先生は、避難姿勢そのものよりも、「何が危険なのか」を考えさせていた。

 多分ですが、さ○とう○た○を『サ○イ○ル』小○左○『日○沈○』辺りを熟読した先生達がいたのだと思います。他にも、社会の授業で縄文時代を体験しよう・・・木で火おこし。家庭科の授業で、校庭でかまどを組んで、飯盒。理科の授業で水の流れがどうたら・・・竹を切り出して・・・等、授業がありましたので。


 真相はわかりません。

読んでくださってありがとうございます(*_ _)

ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
 ふと思ったのが、それは災害が起きる前に引き渡す訓練じゃなかろうかと?  最近は大雨洪水警報が出た時点で、さっさと休校の判断をさせますので。  ついでに災害が起きた時は、身柄引き渡しも何も無いと思い…
 時司 龍さん、こんにちは。 「その日、本当に迎えに行けますか? ~引き渡し訓練 ~超個人的意見」拝読致しました。  災害時に、子供を迎えに行く。引き渡し訓練。  でもそれって、本当に訓練になるの…
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