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火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


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第二十九話 冬の評定

 天文十五年(一五四六年)二月。


 阿蘇の二月は、まだ冬だった。


 朝の水は冷たく、吐く息は白い。山の影は長く、館の板敷きからは足の裏を通して冷えが上がってくる。


 だが、評定の間だけは別だった。


 春になってから考えていたのでは遅い。田をどうするのか、市をどう育てるのか、山をどう使い、人をどこへ回し、銭を何へ使うのか。そのすべてを冬のうちに決めておかなければ、春の動きには間に合わない。


 その日、惟種は惟豊の近くへ座っていた。


 以前のような末席ではない。かといって、当主である父の横に並ぶわけでもない。


 見て、聞き、問われれば答える。


 だが、もうただ学ぶだけの席でもなかった。


 惟種が始めたものが、増えすぎたからだ。


 座には甲斐宗運、田代宗傳、一門衆、在地の有力者が並び、高森惟房、北里政久、光永惟清ら若い者たちは、必要に応じて呼ばれるよう外に控えている。


 惟豊が座につくと、ざわめきが収まった。


「始める」


 いつも通り、短い。


「昨年の結果と、今年どこへ人と銭を回すかを決める。宗運」


「は」


 宗運が帳面と数枚の板を前へ出した。


「まず、田にございます」


 その言葉だけで、惟種は少し身を乗り出した。


 去年から、水や肥やし、植え方、種の選別、農具、作業の順まで、いくつもの試しを重ねてきた。


 一つ一つは、未来から見れば特別なものではない。だが、それらをこの時代の阿蘇でまとめて使った時、どこまで変わるのか。


 宗運が板を広げる。


「昨年、若君の仕方を多く入れた試し田と村について、改めてまとめました」


 座が静かになった。


「結論から申します。条件の揃った試し田では、前年に比して五割を超える実りを得たところがございます」


「…………」


 最初は誰も声を出さなかった。


 やがて、一門の一人が聞き返す。


「五割?」


「はい」


「二割ではなく?」


「五割にございます」


 今度こそ、座がざわめいた。


 惟種も同じだった。


(……本当に五割を超えたのか)


 理屈では分かる。


 一つだけを変えたのではなく、水回りや肥やし、農具、植え方、作業まで重ねている。元の収量が低ければ、改善幅が大きくなることもある。


 それでも、実際に「五割」という数字で聞けば重みが違った。


「ただし」


 宗運がすぐに続ける。


「全ての田で五割を取れる、と申しているのではございませぬ。土地、水、肥やし、人手、それぞれ条件が違います」


 惟豊が問う。


「なら、全体では」


「まず二割を安定して増やすことを目指します。五割は、あくまで条件がよく揃ったところで出たものとお考えください」


「広げられるか」


「一度に全ては無理にございます」


「理由は」


「人と肥やしと水路。それに、教える者が足りませぬ」


 宗運は即答した。


「農具だけ渡せば同じ結果が出る話ではございませぬ。何を、いつ、どれほど使うか。それを村ごとに伝える者が要ります」


「ならば今年も順に広げよ」


「は」


 惟豊が頷いた。


 そこで惟種は、宗運の顔が妙に晴れないことへ気づいた。


「宗運」


「何でしょう」


「嬉しくないのか?」


「嬉しゅうございますよ」


「そう見えぬ」


「嬉しいから困っております」


「なぜだ」


 宗運が小さく息を吐いた。


「五割などという数字を、そのまま外へ出せると思われますか」


「あ」


 惟種も気づいた。


「二割ならば、豊作で済ませられます。三割でも、土地が良かった、水が良かった、肥やしが良かったと申せましょう」


「五割なら?」


「調べに来ます」


 答えは早かった。


「大友も。菊池も。蒲池も。商人も、近隣の国人も。阿蘇が何をしたのか、探る者が増えます」


「……面倒だな」


「はい」


 宗運は心底同意するように頷いた。


「ゆえに、五割という数字そのものは出しませぬ。二割とも三割とも、土地によってはただの豊作だったとも申させます」


「理由も一つにしない?」


「無論にございます」


 肥やし、水、農具、火山灰、あるいは阿蘇大明神の加護まで、村によって理由を変える。正しい数字も一つには揃えない。


「輪郭だけ見せて、中までは見せぬ」


 惟種が言うと、宗運が頷いた。


「左様にございます」


「頼む」


「簡単に仰いますな」


「頼りにしておる」


「……承知しました」


 宗運はそう答えたものの、板を片づけようとはしなかった。


「それと」


「まだあるのか」


「ございます」


 宗運の声が少し変わる。


「隠すだけでは、足りませぬ」


 惟種が首を傾げた。


「どういうことだ」


「阿蘇が豊かになっていること自体は、隠せぬからです」


 市へ来れば人と荷が増えていることは分かるし、玻璃はすでに外へ売っている。鉄もいずれ外へ流れ、田の実りが良くなれば村人の暮らしまで変わる。


「何も変わっておらぬ、と言い張る方が不自然にございます」


「それはそうだな」


「そして」


 宗運は少しだけ間を置いた。


「南との糸もございます」


「島津か」


「はい」


 日新斎自ら阿蘇へ来て、鉄砲まで置いていった。


 今はまだ、ごく限られた者しか詳しく知らない。


 だが、いつまでも伏せ切れる話ではない。


「阿蘇が急に太り始めた。その阿蘇へ、島津日新斎殿が自ら来られた」


「…………」


「大友が聞いて、何とも思わぬとお考えで?」


「思わぬわけがないな」


 惟種はすぐ答えた。


 これまで何度も考えてきた。


 阿蘇にとって最大の相手は大友だ。今はその権威と力を認め、下手に出ている以上、正面から敵に回してよい相手ではない。


「島津だけと結んだように見えれば」


 宗運が続けた。


「それだけで余計な疑いを招きます」


「なら、どうする」


「使者を出します」


「大友へ?」


「まずは」


 宗運は平然と答えた。


「別口にて、菊池へも。蒲池へも。必要と思うところには、それぞれ使いを出しておきましょう」


 一門衆の一人が言う。


「何を伝える」


「難しいことは申しませぬ」


 宗運は淡々としていた。


「昨年は実りがよかった。市も賑わい始めた。境目の騒ぎも収まった。阿蘇はこれまで通り、近隣との誼を大切にしたい。商いも通したい」


「それだけか」


「それで十分にございます」


 惟種は少し考えた。


「先に、敵ではないと伝えるのか」


「左様にございます」


 宗運が頷く。


「国が急に太れば、周りは理由を探ります。そこで黙っておれば、何か企んでいると思われる。ならば、こちらから先に口を開く」


「だが、五割も銭の額も、鉄の場所や量も伏せる」


「無論にございます」


「玻璃のように隠せぬものは」


「こちらから見せます」


「贈り物に?」


「はい」


 宗運の口元が僅かに動いた。


「作れることを隠せぬのであれば、阿蘇との誼には利があると見せた方がよろしい」


 惟種は頷く。


「隠すものは隠す。見せるものはこちらから見せる」


「その方が相手も読みやすい」


「安心する?」


 惟種が聞くと、宗運は大友の名を思い浮かべたように少しだけ黙った。


「大友は、安心まではせぬでしょうな」


「……だろうな」


「ですが」


 宗運の目が僅かに細くなる。


「少なくとも、阿蘇が今すぐ大友へ刃を向ける気はない。そう思わせておくことには、大きな意味がございます」


「本当に向けるつもりもないしな」


「はい」


 そこが大事だった。


 嘘ではない。


 今の阿蘇は、大友だけでなく、菊池や蒲池とも無用に争っている暇はない。国内を太らせ、人と銭を増やし、兵を整えるだけでも、やるべきことは山ほどある。


「友和か」


 惟種が言った。


「はい」


「島津だけではなく」


「島津だけでは困ります」


 宗運の答えは早かった。


「なぜだ」


「南とだけ親しくなれば、それを見ている者がございます」


「あ」


 惟種はそこで改めて気づいた。


 ゲームなら、島津との友好度が上がればそれで終わる。


 だが、現実は違う。


 島津との距離が縮まれば、それを大友も、菊池も、蒲池も見ている。一つの家との関係を動かせば、別の家の見方まで変わる。


(……外交って、本当に面倒だな)


 ボタン一つでは終わらない。


「だから、大友との糸も切らせぬ」


 惟種が言った。


「左様にございます」


「菊池も」


「はい」


「蒲池も」


「必要なだけは」


「敵を減らす」


「少し違いますな」


 宗運が言った。


「何がだ」


「敵でない者まで、敵にせぬことです」


 惟種は黙った。


 宗運は続ける。


「こちらが何もせずとも、相手が勝手に警戒することはございます。ならば、警戒させぬための手もこちらから打つ」


「…………」


「国を太らせる時ほど、周りへは笑っておくものにございます」


「……怖い言い方をするな」


「政とは、そのようなものにございます」


 惟種は少しだけ顔をしかめた。


 だが、宗運の言う通りだった。


 強くなる。


 ただそれだけでも、周りから見れば警戒する理由になる。


 ならば強くなりながら、自分たちは敵ではないとも伝え続けなければならない。


「父上」


 惟種が惟豊を見る。


「よろしいですか」


「宗運の申す通りにせよ」


 答えは早かった。


「大友へは礼を欠くな」


「はい」


「菊池、蒲池も同じだ」


「はい」


「ただし」


 惟豊の目が少し厳しくなる。


「頭を下げることと、腹まで見せることは違う」


 惟種は頷いた。


「承知しております」


 宗運も頭を下げる。


「使者はこちらで選びます。玻璃ほか、出してよい品も見繕いましょう」


「任せる」


「は」


 こうして、外へ漏らす数字をぼかす方針と同時に、外へ向ける笑顔まで決まった。


     ◇


「次」


 惟豊が促した。


「市と銭にございます」


 宗運が板を替えると、今度は宗傳も前へ出た。


「門前の市は、すでに定期の市というより、日々の商いへ近づいております。人が増え、荷が増え、商人が留まるようになりました」


 一門の一人が眉を上げる。


「役を減らしておるのに、銭になるのか」


「市そのものから取る銭だけを見れば、減ります」


 宗運が答えた。


「ですが、商人が増えれば倉を使う。土地を使う。荷を運ぶ。人が住めば飯を食い、家を建て、道具を買う。阿蘇の品も売れます」


 税を下げれば、その場の取り分は減る。


 だが、商いそのものが何倍にもなれば、結果は逆になる。


 惟種が前世では当たり前のように見ていた理屈が、この阿蘇でも形になり始めていた。


「それと」


 宗運が続ける。


 鉱山、製鉄、鍛冶、玻璃、水飴まで、現在動いているものを順に確認していく。


 黒川を軸に山を開き、長陽と永水を追わせる。鉄は鍛冶と製鉄へ回し、農具や工具、金具、武具へ加工する。玻璃は高く売り、水飴は広く売る。


「これらを、市と合わせて一年へ置き直しました」


 宗傳が大きな帳面を開いた。


 惟種は、何となく嫌な予感がした。


 宗運が惟豊へ向き直る。


「まだ全てが本格に動いておるわけではございませぬ。山も製鉄も玻璃も、これからさらに増えます。ゆえに確定した決算ではなく、現在の動きを一年へ置き直した見込みにございます」


「うむ」


「なお、米の実りと年貢は、これには含めておりませぬ」


 惟種の眉が僅かに動く。


「では、商いと産業だけか」


「はい」


「申せ」


 惟豊が促す。


 宗運は帳面へ一度目を落とし、口を開いた。


「おおよそ、二十万貫」


 座が止まった。


「…………」


 惟種も固まった。


 誰も声を出さない。


「宗運」


「はい」


「いま、何貫と言った?」


「二十万貫ほどにございます」


「…………」


 聞き間違いではないらしい。


 二十万。


 貫。


 惟種は頭の中でもう一度数字を転がした。


 玻璃を最初に売り、六十三貫が動いた時ですら驚いた。


 それが今は、水飴、玻璃、市、鉱山、製鉄、鍛冶まで合わせ、一年間へ置き直せば二十万貫になるという。


「……まじかよ」


 思わず漏れた。


「まじ?」


 惟豊が聞き返す。


「あ」


 惟種は父を見る。


「いえ」


「何だ」


「何でもありませぬ」


 宗運がじっとこちらを見ている。


 惟種は咳払いした。


「それほどになるとは、思っておりませんでした」


「若君が驚かれるのですか」


 宗傳が苦笑する。


「わしが始めたことと、二十万貫になることは別だ」


「同じ話のようにも思えますが」


「違う」


 惟種は言い切った。


 宗傳の口元が僅かに緩む。


 だが、宗運はここで水を差した。


「若君」


「何だ」


「二十万貫は、使える銭ではございませぬ」


「分かっておる」


「本当に?」


「……おぬし、最近それが多くないか」


「必要なので」


 宗運は帳面を指した。


「人夫や職人への支払いに、炭や木、鉱石の運搬、道、橋、炉、工房、倉の整備。さらに玻璃や山、製鉄を増やし、商いへ戻す銭も要ります。壊れた物を直す分まで含めれば、残るものは大きく減ります」


「だから、残るのはいくらだ」


 宗運が宗傳を見る。


 宗傳が帳面を一枚めくった。


「今のところ」


 一拍。


「六万貫前後を、家として新たに動かせると見ております」


「…………六万」


「はい」


 二十万貫が動いても、原料、人件費、輸送、設備、維持、再投資でおよそ十四万貫が消える。


 残るのが六万。


 普通に考えれば、とんでもない大金だった。


 惟種もそう思う。


 一瞬だけは。


(六万貫)


 だが、その次に頭へ浮かんだものが悪かった。


 朝廷や幕府への働きかけ、宗運の手の者や文官の増員、読み書きと算用を教える学び舎、職人を集めた町。鍛冶だけでなく木工、石工、船大工、鋳物師、玻璃職人まで増やしたい。


 そして。


(船)


 海へ出る。


 いつかは、ガレオン船のような大船を造る。


 そのためには造船所と港、木、綱、帆、鉄、そして人まで要る。そこへ大筒まで載せるとなれば――。


(……全然足りないな)


 惟種は真顔になった。


 六万貫もある。


 ではない。


 六万貫しかない。


 宗運がその顔を見て、嫌な予感を覚えたらしい。


「若君」


「何だ」


「いま、足りぬと思われませんでしたか」


「…………」


「思われましたな」


「まだ何も言っておらぬ」


「顔に出ております」


「失礼だな」


「二十万貫と聞いて驚いた直後に、その顔をなされれば分かります」


 一門衆が二人を見比べている。


 惟種は仕方なく答えた。


「六万貫もあれば、今までできなかったことができる」


「はい」


「だが、これからやりたいことを考えれば、足りぬ」


「やはり」


 宗運は額へ手を当てたくなった。


「何をなされるおつもりで?」


「まだ言わぬ」


「なぜです」


「今言えば、おぬしが嫌な顔をする」


「すでにしております」


「なら、なおさらだ」


 宗傳が小さく笑った。


     ◇


「とはいえ」


 宗運が話を戻す。


「銭が増えたことで、一つできることがございます」


「何だ」


「人を雇えます」


 宗運の声は、妙に実感がこもっていた。


「それは前から言っておるだろう」


「もっとです」


「もっと?」


「はい」


 宗運は帳面を見る。


「今まで、仕事が増えれば我らが抱えておりました。宗傳が抱え、北里が走り、光永が書き、私がまとめる」


「そうだな」


「ですが、これだけ銭が動くのであれば、人を雇えばよいのです」


 惟種は瞬きをした。


「……そうだな」


「帳面を持ち、算用ができ、村から上がる報告をまとめる者。市や蔵、山、人夫、物の出入りをそれぞれ見る者を雇います」


「うむ」


 宗運は一拍置いた。


「文官を育てましょう」


 惟種はすぐに頷いた。


「必要だ」


「読み書きと算用を教えます。若い者を取りましょう」


「うむ」


「家柄だけでは足りませぬ」


 一門衆の何人かが僅かに顔を動かした。


 宗運は構わず続ける。


「使える者を取ります」


 以前なら、ここでもう少し強い反発があったかもしれない。


 だが、五割を超えた田があり、市が育ち、山から鉄が出て、玻璃が銭を生んだ。


 そして今、二十万貫という数字が目の前にある。


 結果は、口より強かった。


 惟種は内心で頷く。


(そうだ)


 国を大きくするために必要なのは、宗運が百人いることではない。


 そんなものは無理だ。


 だが、宗運ほどでなくてもいい。


 帳面を持ち、数字を読み、命令を理解し、決められた仕事を行って、何が起きたのかを報告できる。


 そういう人間なら育てられる。


 十人。


 百人。


 いずれは、それ以上。


 ここから先は、物を作るだけでは足りない。


 人を作らなければならない。


     ◇


「今年の骨は」


 惟豊が言った。


「何だ」


 宗運が板を並べ直す。


「四つにございます」


 指を折る。


「田。市。山。火」


 座の視線が集まった。


「田は、成功した仕方を順に広げる。ただし領内全体では、まず二割の増を安定して取ることを目指します」


「うむ」


「市は、商人が留まり、物が動く形を続ける。役を取りすぎず、その代わり商いそのものを太らせます」


「うむ」


「山は黒川を先に進め、長陽と永水を追わせます。鉄は鍛冶と製鉄へ回し、農具、工具、武具へ変える」


「うむ」


「そして火」


 ここだけ、宗運の声が少し低くなった。


「日新斎殿より頂いた鉄砲を見本とし、鍛冶場で複製を始めます」


 座が僅かにざわつく。


「一挺から作れるのか」


 武辺者の一人が問う。


 惟種が答えた。


「作れるようにする」


「言い切るな」


「そのために実物をもらった」


「何挺を考えておる」


「二年で百」


 今度は、はっきりとざわめいた。


「百挺?」


「うむ」


「鉄砲を百も?」


「鉄砲だけではない」


 惟種は言った。


「百人を常に抱える」


 空気が変わった。


「常に?」


「農繁期になっても村へ戻さぬ」


「百姓を田へ返さぬのか」


「最初から、田を主とせぬ者を選ぶ」


 一門の一人が眉を寄せる。


「銭がかかるぞ」


「かかりましょう」


 惟種は認めた。


「だから今まではできなかった」


 その視線が、先ほどの帳面へ向く。


 二十万貫のうち、家として新たに動かせる銭は六万貫。


「だが、今は払える」


 座が静かになった。


 食わせる米と払う銭があるからこそ、初めて兵を田から切り離せる。


「わしは賛成だ」


 宗運が言った。


「常に訓練できる兵を持つことには利がございます」


「だが」


 一門の一人が言う。


「外から見れば妙ではないか。阿蘇が突然、常備の兵を抱え始めたとなれば」


「そこです」


 宗運が少し考えた。


 そして。


「神事のための兵、といたしましょうか」


 惟種が宗運を見る。


「神事?」


「我らは阿蘇大宮司家にございます」


「あ」


 惟種にも分かった。


「祭礼の警護」


「はい」


「社領の警固」


「はい」


「街道も守らせる」


「よろしいでしょう」


 惟種の口元が上がる。


「それなら、一年中置いていても不自然ではないな」


「左様にございます」


「訓練していても?」


「神域を守る兵が弱くては困りましょう」


「武具を揃えても?」


「神威を守るために必要でしょうな」


 惟種と宗運が顔を見合わせた。


「使えるな」


「使えます」


 惟豊が咳払いした。


 二人が父を見る。


「悪い顔をしておるぞ」


「そうでしょうか」


「二人ともだ」


 宗運が何事もなかったように顔を戻した。


「ともかく、名目だけではございませぬ。実際に祭礼、社領、街道、館を守らせます」


「その上で訓練する」


「はい」


 嘘ではない。


 役目を本当に持たせ、そのうえで戦になれば最も早く動ける兵にする。


「森羅衆は」


 惟豊が問う。


「その百人から育てます」


 惟種が答えた。


「今は鉄砲が一挺しかない。まず常備兵百人を抱え、鉄砲が一挺、二挺、五挺、十挺と増えるたびに、扱える兵も増やしていく」


「二年後には」


 惟種は言った。


「百挺。百人」


 武辺者の一人が低く笑った。


「本当に揃えば、面白い」


「揃える」


 惟種は迷わなかった。


     ◇


「火薬の方は」


 別の家臣が問う。


 宗運の顔が変わった。


「そこから先は、ここでは申しませぬ」


 座が静まる。


「そこまで伏せるか」


「伏せます」


 宗運は平らな声で答えた。


「火薬は、兵を強くする前に家を焼きます。さらに作り方そのものが外へ出れば、阿蘇にとって損にございます」


「家として進めることだけは決める」


 惟種が補った。


「人里から離し、出入りを限る。火を扱う場所を分け、飲み水へ影響させぬ。場を守る者と帳面を持つ者も置く」


「細かな手立ては」


 宗運が続けた。


「わたくし預かりといたします」


 何人かが顔を見合わせた。


 宗運の裏手へ預ける。


 それだけで、この話が普通の作業場ではないことは伝わる。


 前月、惟種たちの間で名を付けた花音衆についても、この場で細かく明かすつもりはない。


 何を、どう作るのかまで知る者は、少なくてよい。


「よかろう」


 惟豊が言った。


 それで終わった。


     ◇


 評定も終わりに近づいたところで、惟豊が座を見渡した。


「これまで」


 皆の目が当主へ向く。


「惟種の言は、試しとして扱ってきた」


 惟種も父を見る。


 水飴、玻璃、田、市、山、鍛冶。


 一つずつ小さく始め、駄目なら止め、使えるなら広げてきた。


「だが」


 惟豊は帳面へ目を落とした。


 条件のよい田では五割を超える実りが出て、領内全体でも二割増を狙える見込みが立った。商いと産業では年間二十万貫もの銭が動き、そのうち六万貫ほどを新しいことへ回せる。


 鉄が出て、玻璃が売れ、人が寄り、ついには田から切り離した兵まで現実の話になった。


「もう、試しで済ませる段ではない」


 評定の間が静かになる。


「田を増やす。市を育てる。山を開く。鉄を作る。銭を回す。人を育てる。兵を抱える」


 惟豊は一つずつ言った。


「これらを」


 一拍。


「これらを、これよりは惟種一人の策とはせぬ。阿蘇家の方針とする」


 惟種は、思っていた以上にその言葉を重く感じた。


 嬉しい。


 もちろん嬉しい。


 だが、それ以上に重かった。


 これまでは自分が言い、試した。


 失敗すれば、やめることもできた。


 だが今日からは、家が動く。


 人が動く。


 銭が動く。


 結果が出なければ、失敗するのは自分一人ではない。


「惟種」


「はい」


「どうする」


 短い問いだった。


 だが、意味は分かった。


 このまま進むのか。


 本当に阿蘇家を、自分が思い描いた方向へ動かすのか。


 惟種は少しだけ息を吸った。


「進めます」


 迷わなかった。


「ただし」


「何だ」


「今年は、土台を固めます」


「ほう」


「銭ができたからといって、全部使い潰しませぬ」


「では、何へ使う」


 惟種は宗運を見る。


 宗運が僅かに眉を上げた。


「人です」


 座の何人かが顔を上げる。


「文官、鍛冶、山師、商人、兵。それに、教える者です」


 惟種は続けた。


「これから先、わし一人が知っていても意味がありませぬ」


 この言葉は、以前よりもずっと自然に出た。


「阿蘇に、できる者を増やします」


 惟豊はしばらく息子を見ていた。


 やがて。


「ようやく、銭の使い方が分かってきたようだな」


「前から分かっております」


「本当か」


「本当です」


「玻璃の工房を作った時は、銭を全部突っ込もうとしたであろう」


「あれは必要な投資です」


「山も同じことを申したな」


「必要でした」


「鉄砲も」


「必要です」


 惟豊が少し笑った。


「まあよい」


 宗運も横で、僅かに口元を緩めていた。


     ◇


 評定が終わった。


 人が順に座を出ていき、宗運と宗傳はそのまま帳面を抱えて次の話へ向かう。


 惟種は一人、少しだけその場へ残った。


 目の前には、まだ帳面がある。


 二十万貫が動き、そのうち十四万貫ほどが原料や人、設備、再投資へ消える。


 残る六万貫。


 米と年貢は別だ。


 一年前の自分なら、六万貫も自由に動かせると聞けば、何でもできると思ったかもしれない。


 だが、今は違う。


 朝廷や幕府への働きかけ、人材育成、兵、鉄砲、大筒、職人町、港、造船所。


 使い道はいくらでもある。


 国を大きくするというのは、ただ金を貯めることではない。


 金を使って、次の金を生む仕組みを作ることだ。


 水飴に使った銭が玻璃へつながり、玻璃で得た銭が鍛冶と山へ流れ、山と鉄が新しい仕事を生んだ。


 市が人を呼び、その人がまた銭を生む。


 ならば、二十万貫まで来たことに満足する理由などない。


 惟種は帳面の数字を、もう一度見た。


 二十万。


(次は)


 六万貫を何に使うか。


 それも大事だ。


 だが、もっと大事なことがある。


(この二十万貫を)


 惟種の口元が、ゆっくり上がった。


(次は、どうやってもっと増やすかだな)


 外はまだ冬だった。


 だが、惟種の頭の中では、もう次の銭が動き始めていた。

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同作者の別連載
『異世界エンゲージ ~毎日のパック開封でカード使いは帰還を目指す~』
こちらも覗いていただけると嬉しいです。

― 新着の感想 ―
硝石丘法なんてこの時代誰も知らんのじゃないか? 鉄砲伝来からわずか3年も経ってないし。 しかも硝石なんていう莫大な利を齎すものの製造法を評定で 言っちゃダメでしょ。秘中の秘よ。
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