第七話
礼拝堂から連れ帰られたコーデリアは、その夜、激しい熱を出して倒れてしまった。
慣れない緊張と、無理やり引きずり出された忌まわしい記憶。それらが一気に毒となって彼女の体を蝕んでいた。部屋には町から医者が呼ばれ、枕元にはヴェスパー卿がまるで影の一部のように座っていた。
「……嫌、来ないで……」
コーデリアは火照った頬を枕に押しつけ、うわごとのように言葉を漏らす。意識は朦朧として、目の前にいるのが誰かもわかっていない。
「みんな、わたしを見て悲鳴を上げるのよ……。『呪われている』『悪魔が憑いている』って……。どこへ行っても、みんな最後にはそう言うの……」
彼女の手が、シーツをぎゅっと掴む。熱に浮かされた肌から、薄い影が陽炎のようにゆらゆらと立ち上っていた。
「影が出ないようにって、真っ暗な地下室に閉じ込められたわ。でも……暗闇の中じゃ、影はもっと自由になっちゃうのに。誰もわかってくれない……」
ヴェスパー卿はその言葉を、ただ無言で聞き届けていた。かつてコーデリアを暗闇に閉じ込めた者たちへの怒りも、彼女への哀れみも、その無機質な表情からは読み取れない。ただ、彼が差し出した冷たい指先は、コーデリアの額にかかった湿った髪を横へ払った。
しかし夜が更けるにつれ、寝室は異様な光景に塗り替えられていった。意識が混濁するたびに、制御を失った影が部屋中に溢れ出す。それは誰の侵入も許さない、孤独な少女が築き上げた、あまりに脆く鋭い城壁だった。
「駄目だ、近寄れない。まるで意志を持った影の怪物だ!」
医師でさえ悲鳴をあげ、影は鋭いトゲや牙を持って部屋に踏み込もうとする者を威嚇して遠ざける。しかし狼狽する医者を背に、ヴェスパー卿が闇の中へ踏み込んだ。
狂ったようにのた打つ影が彼の頬を切り裂き、無数の影のトカゲたちが、主を守ろうと牙を剥いて彼の腕に食らいつく。鋭い痛みが走ったはずだが、彼は眉一つ動かさない。
「お利口にするから……影も、出さないように頑張るから……」
嵐の中心で、震えるコーデリアがうわ言を漏らす。その震えは、かつて冷たい地下室で丸まっていた幼い日のままだった。
「だから、捨てないで……。暗いのは、もう嫌よ……」
その悲痛な叫びを聞いた瞬間、ヴェスパー卿は小さな体を力強く抱きしめた。この部屋にかつて漂っていた、同じ影の匂い。救いを求めていた細い指先。あの時、彼には届かなかったはずのぬくもりが、今はその腕の中にあった。
「……コーデリア、好きに生きなさい。嫌なら礼拝になど行かなくていい。誰に何を思われても構わん」
彼は噛みつく影を振り払うことさえせず、さらに深く彼女を抱き寄せる。
「だが、君が君自身を守り切れるほど、私が君を強く育てるまではそばにいろ。……いいな。誰にも、君を二度と地下室へ戻させはしない」
それは彼女への約束であると同時に、彼が自らに課した再生の誓いでもあった。
不思議なことに、彼の腕に食らいついていた影たちが、戸惑うように力を失い解けていく。絶望を吸って広がっていた闇は揺るぎない体温に触れ、穏やかな夜の影へと姿を変えていった。
翌朝、コーデリアが霧の合間から差し込む光で目を覚ますと、部屋にはトレイを手にしたエレンが立っていた。
差し出されたのは、トロトロになるまでよく煮込まれたチキンスープ。口に運ぶと、鶏の旨味と野菜の甘みが染み渡る。
「……ようやく人間らしい顔色になりましたね。まったく、みんな心配したのですよ」
エレンの口から出た「心配」という言葉に、コーデリアはスープを飲み込み損ねて驚いた。自分はただの厄介者で、また不吉な子として嫌われたのだと思っていたから。
それから数日。ようやく足元がふらつかなくなった頃、ヴェスパー卿がふらりと彼女の部屋を訪れた。その腕には、小さな藤の籠が抱えられている。
「……体調はどうだ」
「もう大丈夫よ。おじ様こそ、その腕……」
彼の袖口から覗く白い包帯に胸が痛んだが、彼はそれを隠すように、そっと籠をベッドの上に置いた。
「寂しさを埋めるには、人間よりもマシな友人がいる」
蓋を開けると中から顔を出したのは、白と黒の斑模様をした小さな子猫だった。
子猫は「みゃあ」と頼りなく鳴くと、コーデリアの膝に這い上がり、丸まって喉を鳴らし始めた。まるで「影なんて怖くないよ」と言っているみたいに。
「……あなた、逃げないのね。こんなに弱々しいくせに」
コーデリアが震える指先でその柔らかな耳に触れると、子猫はくすぐったそうに目を細め、彼女の掌に小さな頭を擦りつけてきた。
「名前は君が決めなさい。ただし、餌やりも世話も君がすること。影が暴れたら、この子を守るのも君の役目だ」
「……わかったわ。約束する。この子が怖がらないように、わたし、影をちゃんと捕まえておく」
コーデリアは視線を落とし、膝の上で丸まる斑模様を見つめる。
「名前は……オーロラにするわ。暗い夜のあとにだけ現れる、きれいな夜明けの光よ」
コーデリアは愛おしそうにオーロラを抱きしめた。子猫の小さな心臓の鼓動と、生きている温もりが胸に伝わってくる。
窓の外には相変わらず深い霧が立ち込めていたけれど、今の彼女には、その白さが以前ほど冷たくは感じられなかった。
ここには、迷惑をかけても彼女を追い出さない人がいる。彼女のためにスープを煮てくれる人がいる。そして、彼女の影を恐れずに眠る小さな命がある。
コーデリアは気づき始めていた。ここはもう、ひとりぼっちの孤児の暮らす場所ではない。自分の影すらも風景の一部になれる、彼女が初めて見つけた居場所なのだ。




