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コーデリアは好きに生きることにした  作者: 櫻まど花
コーデリア・レイス、霧の谷にて
5/12

第五話

 その日の夕食。テーブルの上には、エレンが完璧な手際で仕上げたローストビーフの横に、ひどく不格好で端っこが少し焦げたパイが並んでいた。コーデリアがエレンに教わりながら、粉まみれになって作り上げた初めての料理だ。

 ヴェスパー卿は無表情のまま、その不格好なパイを一切れ、自分の皿に取り分けた。


「……悪くない。エレンの作るものより、生地の食感が野性的だな」


「……え」


 コーデリアが驚いて顔を上げると、ヴェスパー卿は相変わらず表情一つ変えずにパイを口に運んでいる。でも、褒められた。きっとお世辞を言うような人ではないから、これは本物の言葉だ。


「リーヴァイには現実の厳しさを教わるがいい。彼なら君の影を見ても、それが何gの炭素でできているか計算し始めるような子だ。この家の人間として、最低限の教養は身につけてもらわねば困る」


「この家の、人間……?」


 コーデリアの喉の奥が、熱いスープを飲んだ時のようにジワリと痺れた。ただの厄介払いではなく、彼は自分をここに留めるための居場所を、リーヴァイという少年を使って作ろうとしてくれている。


(自動人形だと思ってたけど、油じゃなくて少しは血が通ってるのかしら……)


 食卓に流れる静寂は、数日前よりも幾分か柔らかいものになっていた。ヴェスパー卿はワイングラスを揺らしながら、ほとんど独り言のように問いかけた。


「……コーデリア。君のこれまでのことを、少し話してくれないか」


 コーデリアのナイフを持つ手が止まった。

 自分の生い立ち。それは、色褪せた古い写真のように、思い出そうとするたびに指先が冷たくなる物語だ。


「……、……あちこち、行かされたわ。親戚の家とか、山の中の寄宿舎とか。でも、どこに行ってもダメだったの」


 ポツリ、ポツリと言葉を紡ぐ。彼女の言葉に合わせて、足元の影がゆらりと伸び、床の上に古い書斎の机や、主のいない椅子の形をぼんやりと描き出す。


「歳は十二歳。出身はグレイマロウという街。パパは書記官をしていて、ママは家庭教師をしていたの。だけど……わたしが生まれたときに、ママはそのまま亡くなっちゃった。パパも、わたしがまだ赤ちゃんの頃に流行病で。二人のことは、親戚の人から聞いた話でしか知らないわ」


 言葉にすればするほど、惨めな記憶がインクのように溶け出してくる。


「それからは、たらい回しよ。書記官の娘なら少しは役に立つだろうって引き取られては、わたしの病気を見て、みんな顔色を変えてわたしを追い出したわ。……泣くと影が部屋を真っ暗にするし、怒ると影がみんなを刺すの。そんな子、誰も欲しがらないもの」


 悲しみと悔しさが溢れ出した瞬間、食堂の隅からどろりと濃い影が這い出してきた。

 それは彼女の泣き声に同調するように、鋭い茨の形をして壁を伝い、天井を覆い尽くそうとする。これまでの家なら、ここで食卓がひっくり返り、悲鳴が上がっていたはずだ。


「……そうか。書記官と家庭教師の娘か」


 けれど。


「道理で、君の空想には語彙が足りないわけだ。親から受け継ぐはずだった知識の代わりに、影だけが育ってしまったのだな」


 ヴェスパー卿は天井を侵食し始めた黒い影を見上げ、怯えもせずにそう呟いた。逃げ出す素振りも見せず、彼はただコーデリアの空虚と痛みの形を静かに見つめていた。


「コーデリア。次の日曜には礼拝に行こう。……エレン、彼女に相応しい服を用意しておいてくれ」


 ヴェスパー卿はそれだけ言い残すと、立ち上がって食堂を去っていった。

 残されたコーデリアはフォークを握ったまま、どうしていいかわからず固まっていた。天井の影が彼女の困惑に合わせてゆっくりと波打ち、溶け落ちるように消えていく。


「……いつまで呆けているのです。手が止まっていますよ」


 鋭い声に弾かれたように顔を上げると、エレンがいつの間にか傍らに立っていた。彼女は天井の影が消えたのを見届けてから、コーデリアが食べ残していた不格好なパイの皿を指さした。


「冷めきって不味くなる前に、最後の一口まで食べなさい」


 他の家なら、こんなふうにぼんやりしていたら皿ごと下げられていたのに。あるいは、他の子どもたちに横取りされるのが当たり前だった。なのにエレンは皿を引こうともせず、ただ当然のように食卓を全うしろと言っている。それに、おじ様だって、リーヴァイだって。


(……なによ。好き勝手暴れて、困らせてやろうと思ってたのに。なんだか、調子が狂うわ)


 コーデリアは口を尖らせながら、冷めかけたパイの最後の一片を口に放り込んだ。足元にはいつものように黒い影が落ちている。けれど今は誰かを威嚇するような鋭さはなく、満腹になった飼い犬のように、静かに彼女の足元に丸まっていた。

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