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コーデリアは好きに生きることにした  作者: 櫻まど花
コーデリア・レイス、霧の谷にて
4/10

第四話

「なんて退屈なのかしら。この館の静寂は、まるで世界中の時計が一度に息を引き取ったみたいだわ!」


 掃除の腕を認められた喜びも、数日も経てば日常という名の灰色の霧に飲み込まれてしまった。

 ヴェスパー邸にやってきて一週間。コーデリアは毎朝、目が覚めるたびに「今日こそ出ていけと言われるんだわ」と身構えていたけれど、そんな気配は微塵もなかった。

 追い出されないのはありがたいけれど、自由に歩けるのは館の周りの庭や、せいぜいあの陰気な墓場までの小道くらい。コーデリアの有り余る想像力は、行き場を失って爆発寸前だった。


 そんなある日の午後、彼女は庭の噴水の縁に座り、自分の影とひとりチェスをしていた。


「チェックメイト。残念だったわね、影のわたし。あなたは少し慎重さが足りないのよ」


 彼女がそう呟くと、影のチェス駒たちが悔しそうに震えて霧散する。そんな虚しい遊びにも飽き果てて、大きくため息をついた時だった。


「……その影の駒、少し形が歪んでるぞ。ナイトの耳が片方足りない」


 聞き覚えのある落ち着き払った声に振り返ると、そこにはあの墓場の少年、リーヴァイ・サロウが立っていた。今日は掃除箒ではなく、脇に数冊の分厚い本を抱えている。


「なんですって……! あなた、またわたしの芸術をバカにしに来たのね」


 コーデリアが頬を膨らませて立ち上がると、リーヴァイは気まずそうに視線を逸らした。なぜだか以前のトゲトゲしさは影を潜め、今はただ、霧の街に馴染む静かな佇まいの少年だ。


「違うよ。ヴェスパーさんに頼まれたんだ。君の話し相手、それから……勉強の手伝いを、って」


「話し相手……? おじ様が、わたしのために?」


 コーデリアは耳を疑った。あの、自分に興味などなさそうにスープを飲んでいた自動人形のようなおじ様が?

 リーヴァイは彼女の驚きを無視して、脇に抱えていた本を一冊、彼女に差し出した。


「これを君に。……この前の墓場では、少し言い過ぎたかもしれない。掃除の邪魔をされたとはいえ、君の病気のことも知らずに」


「えっ……」


 それは、美しい押し花が表紙にあしらわれた、真っ白で清潔なノートだった。淡い青の小花が、霧深い庭には似つかわしくないほど繊細だ。


「君の頭の中が騒がしいのは、出す場所がないからだろ。だったらそれが影になって溢れる前に、ここに書いて閉じ込めておけばいい。君は読み書きが少し苦手なんだって? 僕が教える。言葉を覚えれば、空想はもっと扱いやすくなるはずだ」


 コーデリアは何も言えなくなってしまった。急に優しくされると、どうしていいかわからない。それにヴェスパー卿が自分のために、同じ年頃で、影を恐れない相手をそばに置いてくれるなんて。


「……いいわ。そこまで言うなら、教えてもらっても。でも、わたしはとっても物覚えが悪いんだから。後悔しても知らないわよ!」


「だろうね。覚悟はしてる」


 リーヴァイは事もなげに言うと、噴水の縁に腰を下ろして一冊の教本を広げる。それは文字の書き方を記したごく初歩的な本だったけれど、いざ授業が始まるとリーヴァイは驚くほど厳しかった。


「ダメだ。そのAの形は、蛇がのたうち回っているようにしか見えない」


「なによ、蛇だってアルファベットになりたい日があるわ!」


 コーデリアより二つ上の彼は村の学校に通っているのだという。それもただ通っているだけでなく、成績も飛び抜けていいらしい。リーヴァイが淡々と語る学校の話──朝の鐘の音、インクの匂いがする教室、休み時間に木陰で本を読む静かな時間──を聞きながら、コーデリアはペンを握る手に力を込めた。


(学校……)


 かつて、ほんの数週間だけ通ったことがあった。けれど授業中にコーデリアの影が勝手に動き出し、隣の席の子のノートを真っ黒に塗りつぶしてしまったあの日、彼女は不吉な子として追い出されるように別の親戚の家へ送られたのだ。それきり、彼女にとって学びの場は閉ざされたままだった。


「……いいわね、あなたは。毎日そこに行けば、誰かが何かを教えてくれるんでしょう?」


「誰かに教えてもらうのを待つ必要はないよ。今は僕がいるだろ。ほら、次はBだ。今のは雪だるまが途中で溶けたみたいだぞ」


「なによそれ、失礼ね。わたしの繊細な情緒が、あなたの無愛想で削られていくわ……」


 そんなやり取りを数時間。慣れない書き取りと、リーヴァイの容赦ない添削に知恵熱が出そうになった頃、コーデリアのはふらふらと逃げ出すように台所へ向かった。


「何か甘いものでも盗み食いしないと、わたしの輝かしい精神が干からびてしまうわ……!」


 こっそり戸棚を漁っていた時、背後から氷のような声がした。


「泥棒猫のような真似はやめなさい」


 エレンだった。また叱られる、と首をすくめたコーデリアだったが、エレンは彼女の手から乾いたパンを取り上げ、代わりに真っ白なエプロンを差し出してきた。


「リーヴァイ坊っちゃんの授業は、墓穴掘りよりも重労働のようですね。……お腹が空くと、人間はロクな空想をしません。そこに立ちなさい。パイ生地の練り方を教えます」


「えっ……料理を、教えてくれるの?」


「ヴェスパー邸の居候が、卵ひとつ割れないのでは示しがつきませんから。さあ、手を洗って。爪の間のインクも落とすのですよ」


 エレンの指導もこれまた厳しかったけれど、力いっぱい生地を捏ねている間は、不思議と影たちが暴れ出すことはなかった。

 小麦粉の感触、バターの香り。それらがコーデリアを、不安定な空想の世界から力強く引き止めてくれていた。

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