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コーデリアは好きに生きることにした  作者: 櫻まど花
コーデリア・レイス、霧の谷にて
2/11

第二話

 不運なコーデリア・レイス。

 それは彼女が十二年という短い人生で、幾度となく耳にしてきた呼び名である。

 生まれてすぐに両親を亡くした彼女には、守ってくれる盾も、帰るべき場所もなかった。親戚の家から家へ、そして冷たい壁に囲まれた孤児院へ。たらい回しにされるその先々で、彼女の背後には常に招かれざる影が付き纏っていた。


 外在性想像過敏症。強い想像や制御しきれない激しい感情が、物理的な現象として現実を侵食してしまう病。


 彼女が喜びを感じれば部屋の中にありもしない花の香りが漂い、彼女が怒りに震えれば鏡が粉々に砕け散る。そして彼女が孤独に打ちひしがれる時、周囲は真っ黒なインクを零したように塗り潰されるのだ。


 彼女が物心ついた時には、すでにその病は彼女の一部だった。医学書を開けばもっともらしい病名が記されているけれど、完治することのないその病を、世間は疾患ではなく呪いと呼んだ。


 ベッドに腰掛けたコーデリアは、窓の外のどんよりとした朝の空を見つめ、何もかも吹っ切れたように笑った。


「呪いでも病気でも、好きに呼べばいいわ」


 誰もが彼女を恐れ、あるいは憐れみ、最後には視線を逸らして彼女を遠ざけた。

 だから、ここでもきっと同じことが繰り返されるはずだった。冷淡そうなヴェスパー卿もきびきびしたエレンも、いずれは彼女を扱いづらい娘としてどこかへ追いやるに違いない。


「もう誰かの期待に合わせて、わたしを変えたりなんてしないわ。わたしはわたしの病気と一緒に、この屋敷で好き勝手に暴れてやるの」


 彼女がそう呟くと、足元の影から這い出してきた数匹の黒い蜘蛛がベッドの脚をカサカサと登り始めた。コーデリアはそれを追い払おうともせず、嬉しそうに目を細める。


「まあ、ずいぶん元気ね。わたしより先に探検するつもり?」


 指先でそっと蜘蛛をつつくと、想像力の産物であるそれは、朝の光に溶ける霧のようにほどけて消えた。


 ほどなくして、エレンが朝食を運んできた。白い陶器に盛られた、温かいキドニー・パイとたっぷりのはちみつを添えたオートミール。


「……朝食、用意してくれるのね」


 正直なところ、コーデリアは自分で台所を探して、こっそり残り物をかじるくらいの覚悟をしていた。だから少し拍子抜けする。しかも孤児院の固いパンとは比べものにならないほど美味しくて、コーデリアは一口ごとに落ち着かない気分になった。


「いけないわ、コーデリア・レイス。胃袋を掴まれたくらいで、この館に魂まで売るつもり?」


 朝食を平らげると彼女は誰に許可を求めることもなく、探検家のような足取りで廊下へと踏み出す。ヴェスパー邸は彼女の想像力を刺激する、隙間だらけの館であった。


 例えば、長い廊下に飾られた古めかしい騎士の甲冑。


「これはきっと、夜な夜な主人のためにチェスの相手を務めるけれど、負けが続くと悔しくてガチャガチャと泣き出す繊細な騎士様なんだわ」


 彼女がそう考えた瞬間に、甲冑の継ぎ目から黒い霧が噴き出す。金属の腕がぎこちなく動いて、見えないチェス盤をひっくり返すような音を立てた。


 次に、踊り場の大きな古時計。


「この時計の針は実は恋人同士なの。一分に一度、キスをするために追いかけっこをしているけれど、文字盤の数字たちが意地悪をして時間を引き延ばしているのよ」


 想像が形を成すと文字盤から小さな影の手が伸び、数字がクスクスと笑いながら、時計の針を引っ張る。


 コーデリアは自分の後ろに次々と生まれては消えていく影の悪戯を振り返りもせず、誇らしげに鼻歌を歌った。


「病気が影を連れてくるんじゃないわ。わたしの豊かな才能が、この退屈な世界を彩ってあげているのよ」


 やがて彼女は屋敷の裏口に辿り着いた。重い扉を押し開けると、そこには庭園と呼ぶにはあまりに野生的な、深い森へと続く小道がある。

 霧に濡れたシダの葉を掻き分け、どんよりとした空の下を歩いていく。しばらく進むと、森の境界線が不意に途切れた。視界が開けた先、緩やかな小高い丘を埋め尽くしていたのは、何百もの歪な墓標だった。


「あら……ここがミスト・ヴァレーの墓場ね」


 少女が訪れるには、あまりに不吉で寂しい場所だ。けれどコーデリアの目には違って映った。深い霧に包まれた古い墓石たちは、まるで灰色のマントを羽織って内緒話をしている老紳士たちの集まりのようである。


「なんておだやかな集会なの。ここなら誰も、わたしの影を指さして叫んだりしないわ」


 コーデリアは鼻歌を歌いながら、苔むした墓石の間を縫うように歩いた。死者たちは口うるさく説教もしないし、怯えて逃げ出しもしない。

 彼女は一番立派な柳の木の下にある墓石に向かって、まるで舞踏会の招待を受けたレディのように優雅に、かつ大げさに一礼した。


「みなさま、ごきげんよう。コーデリア・レイスのご挨拶よ。……あら、そんなに黙りこくって。もしかして、お茶の用意がないから退屈していらっしゃるの?」


 彼女がそう呟いた瞬間に、足元の影がぐにゃりと伸びる。黒いティーカップや影で編まれた歪なレースのテーブルクロスが次々と湧き出した。


「今日は特別よ。ミスト・ヴァレーに来た記念のお茶会なの」


 墓石に向かって、ひとつひとつカップを並べていく。カチャカチャと小さく音が鳴って、それが乾杯の合図みたいだった。


「ちょっと、君。そこまでにしてくれないかな」


 しかし、コーデリアがカップを掲げようとした途端、ひどく不機嫌そうな声が柳の木陰から飛んできた。

 彼女が驚いて振り向くと、そこには一人の少年が立っていた。泥で汚れた上着に、自分よりも背の高い無骨な箒、そしてずっしりと重そうな手桶を提げている。


 彼はコーデリアの足元で優雅に湯気を立てているティーポットや、墓石に勝手に巻きついたレースを、まるで親の仇か、あるいは賞味期限が三ヶ月切れたパンでも見るような目で見つめた。


「なによ。あなた、せっかくの歓迎パーティーを邪魔する気?」


「パーティー? 冗談じゃない。ここは墓場だ。静かに眠ってる人たちの上に、そんな気味の悪い真っ黒なガラクタをぶちまけるなよ。朝からせっせと落ち葉を掃いて、石を磨いた僕の苦労を台無しにする気か」


「ガラクタですって? 失礼ね。これはわたしの類まれなる豊かな想像力が生み出した芸術よ。 あなたは掃除夫かしら? それなら、この寂しがりやな墓石さんたちのために、わたしが飾り立ててあげたことに感謝してもいいくらいだわ!」


 コーデリアが胸を張って宣言すると、少年の瞳に鋭く冷ややかな色が宿った。彼は怖がる様子もなく、むしろ心底うんざりした顔で彼女を睨みつける。


「感謝どころか、大迷惑だ。君のその想像力のせいで、僕の仕事が二倍に増えたんだよ。……だいたい、死んだ人たちが影のお茶なんか飲んで喜ぶわけないだろ。お供えが喉を通るなら、もっとマシなものを要求してるはずだ」


 彼は迷いのない足取りでコーデリアのパーティー会場に割り込むと、容赦なく箒を振り下ろした。バサリ、バサリと箒が地面を叩くたびに、実体のないティーカップがインクの飛沫のように弾けて消えていく。


「ああ、なんてこと! わたしの特製ティーセットが! 貴族の嗜みが!」


「うるさいな。消えるってことは、本物じゃないってことだろ。……君、ヴェスパーさんとこにやってきたっていう例の居候だな。エレンさんから聞いてるよ。とんでもなく頭の中が騒がしい娘が来るって」


 少年は手を休めず、散らばった本物の枯れ葉を掃き寄せながら、ぶっきらぼうに続けた。


「僕はリーヴァイ・サロウ。この墓地の番人の息子だ。いいか、二度とここにそんなガラクタを散らかさないでくれ。掃除するのは僕なんだから。君の脳内の不法投棄に付き合わされるのは御免だ」


 コーデリアは怒りと屈辱で顔を真っ赤にした。今まで出会った人たちは、彼女の影を見ると怯えて逃げ出すか、憐れんで目をそらすかのどちらかだった。

 それなのにこのリーヴァイという少年は、彼女の病気をただの片付けの邪魔として扱い、挙句の果てにゴミと一緒に掃き出したのだ。


「……あなた、今まで出会った誰よりも無愛想で、想像力がミミズの脳みそほども欠如していて、冷血な掃除魔ね。リーヴァイ・サロウ、あなたの名前、一生忘れてあげないわ!」


「勝手にすればいい。その代わり、帰る前にその墓石にしがみついてる影のトカゲも全部剥がして持って帰れよ」


 リーヴァイは一度もこちらを振り返らず、淡々と次の墓石へと向かう。ミスト・ヴァレーの霧の中で、コーデリアの芸術的なティーパーティーは無残にも掃き清められ、ただの冷たい墓石だけが虚しく残されたのである。

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