第十話
「あのね、ミリエルとロザリーっていう友達ができたの。エレンの持たせてくれたランチ、二人ともすごく喜んでくれて……交換して食べたナッツも、とっても甘かったわ」
エレンは「それは良かった」と短く応じ、手際よくスープの鍋にハーブを放り込む。夕食の支度が始まったキッチンで、コーデリアはまな板の上で軽快にナイフを動かすエレンのすぐそばに陣取り、今日一日の出来事を夢中で話して聞かせた。
「でもね、ベアトリスっていう子がいて……。わたしのノートを大げさだって笑ったり、意地悪なことを言ってきたの」
「どこにでもそういう子はいるものです、コーデリア。でも聞いた話じゃ、その子はあなたの影が気味悪いと言ったわけじゃないんでしょう?」
「ええ。空想に浸るなんてとか、そんなこと……。ミリエルたちは、リーヴァイがわたしを送ってきたから嫉妬してるんだって言ってたわ」
エレンは手を止め、湯気の向こうでふっと口角を上げた。
「良いじゃありませんか。意地悪を言われた理由が影のせいじゃなく、どこにでもあるちょっとした嫉妬だったんだから。そんなによくある理由で嫌味を言われるなんて、あなたが普通の女の子になれた証拠ですよ」
エレンの言葉が、すとんとコーデリアの心に落ちる。
そうだわ、ベアトリスはわたしの影を恐れて攻撃したんじゃない。ただ、普通の女の子がそうするように、羨ましかったり、気に入らなかったりしただけなのだ。
「……本当ね。意地悪を言われて嬉しいなんて変だけど、でも、すごく安心したわ」
それを理解した瞬間、あんなに胸をざわつかせたベアトリスの刺々しい言葉さえ、コーデリアにとってはなんだか愛おしいものに思えた。
◆
ポプラの木の下、ミリエルとロザリーが器用にシロツメクサを編んでいる。コーデリアも彼女たちに混じって、夢中で指先を動かしていた。けれど彼女が編み上げたのは、可憐な少女の冠とは少し趣が違っていた。
「できたわ。霧の夜に消えた、亡霊の花嫁の冠よ」
コーデリアが掲げたのは、深い緑の蔦とあえて混ぜた枯れ色のシダが複雑に絡み合う、少し風変わりな冠だった。ミリエルたちは目を丸くして、その不気味な冠をまじまじと見つめた。
「すごいわ、コーデリア。あなたの作るものは、なんだか物語の挿絵から抜け出してきたみたい」
「本当。少し怖いけれど、なんだか目が離せなくなるくらい可愛いわね」
二人の屈託のない称賛に、それだけで霧の中がひときわ明るくなった気がした。自分の溢れる想像力が、ここでは面白い個性として受け入れられているのだ。
そのとき、川辺の方から甲高い叫び声が風を裂いた。
「どうしよう、流されちゃうわ!」
見れば、岸辺でベアトリスが半泣きで立ち尽くしていた。一足の靴が、初夏の勢いある水流に乗って流されていく。この先は水深が深くなり、大人でも入るのをためらうような場所だ。
「もうあんなところまで……。母さんに叱られちゃう……っ」
ベアトリスが声を震わせる。並んでいた他の子たちもオロオロとするばかりで、ただ遠ざかる靴を見送るしかない。
(……今なら、できるかもしれないわ)
コーデリアは一歩前に出た。以前なら「気味悪がられるかも」と躊躇したはずの足が、今は自然に動く。ミリエルたちが自分の感性を認めてくれたことが、彼女に力を使う勇気を与えていた。
「大丈夫よ、ベアトリス。わたしが捕まえてあげる」
コーデリアは川面を見つめ、頭の中で強く想像した。それは獲物を決して逃さない、しなやかで強靭な蜘蛛の網。
足元の影が主人の意思に応えて水面を音もなく滑り出す。影は逃げる靴の先回りをすると、水しぶきの中で網のように広がった。
「えっ……?」
ベアトリスが息を呑む。濡れた靴が草の上にぽとりと落ち、影はコーデリアの足元へと帰っていく。
コーデリアは少し肩を震わせながら、拾い上げた靴を手にベアトリスの方を振り返った。拒絶されるかもしれない、と身構える彼女に、最初に飛んできたのは驚嘆の声だった。
「……すごい。すごすぎるわ、コーデリア!」
ベアトリスは濡れた靴を手に取ると、子供のように飛び跳ねて喜んだ。ミリエルとロザリーも「今のどうやったの?」「影が生き物みたいに動いたように見えたわ!」と、目を丸くしてコーデリアを囲む。
コーデリアは一瞬、どう説明すべきか戸惑って言葉を探した。影という病のことを話すべきか、それとも。
「……想像しただけ。あの靴を捕まえられるって、強く思ったの」
するとベアトリスは真っ赤な顔でコーデリアを真っ直ぐに見つめ、力強く頷いた。
「……すごいじゃない。ありがとう。ほんとに、どうしようかと思ったの」
その言葉に後ろからミリエルが笑って付け加えた。
「ほらね、ベアトリス。空想だって役に立つのよ。コーデリアの頭の中には、私たちを助けてくれる素敵な力があるんだから」
ベアトリスは一瞬バツが悪そうに俯いたが、やがて意を決したようにコーデリアの目を見て小さな声で告げる。
「……この間はごめんなさい。変なこと言って。あなたのノート、本当はちょっといいなって思ってたのよ」
その不器用な謝罪に、コーデリアの心に溜まっていた最後の不安が初夏の風に吹かれて消えていく。
「いいの。わたし、もう変わってるって言われるのも悪くないと思えてきたから」
ポプラの木の下に戻る彼女たちの足元では、もう不気味な形を成すことのない穏やかな影が、三人の少女の影と仲良く混ざり合っていた。




